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おそるべき鼎談だったと振り返る。


普段はブログで川田十夢のことを書き散らしているのだが今日は気分を変えてnoteに書いてみた。

かつて江戸にあったという神田山。その神田山を東京ビエンナーレでファションデザイナーの山縣良和の構想、AR三兄弟の開発で実際に神田山があった万世橋で再現するというアートを仕掛けている。山縣良和の東京にも山があったらいいのにという思いから着想したプロジェクトだ。
神田山は御茶ノ水周辺に存在し日比谷の入江を埋めるために切り崩された実在の山だ。

先週17日、評論家宇野常寛が主催するPLANETSの遅いインターネット「ARとファッションから身体を考える」と題されたイベントを配信でみた。山縣良和、川田十夢、そして宇野常寛の3人で繰り広げられた衝撃の会話後、全く別物に見えてしまう神田山。いや、そもそもこのAR自体を現場で観てないから語るわけにもいかないが勝手に認識が変わってしまった。

遅いインターネットにおいて宇野常寛、川田十夢、山縣良和の鼎談でのあまりにも宇野常寛の無双ぶりがアーカイブを見るのさえ二の足を踏む要因になってしまう。
宇野常寛が言った言葉が心に響くのだ。「東京ビエンナーレは何と戦わなければならなかったのか」。
ビエンナーレに関係のない地方在住の私にとってはこの時代にお前は何を感じるのか、と問われたのと同義だと思った。
ぐうの音もでない。そりゃ宇野常寛の話すことが全部正しいと思ったわけじゃない。思ったわけじゃいけれど鋭すぎた。
考えないとならないことが山積みで心の熾火を炙り出されたような、課題を出されたような感覚がとくに表現者というわけでもない私の心を震わせた。
山縣良和と宇野常寛は初対面とのことだった。あの場であの感じで言葉を放たれる山縣良和、とても衝撃だったろう。

意地でも山縣良和になにゆえ山であり鑑賞者に何を与えたかったのかその意図を聞き出す宇野常寛になぜか私まで怒られている気になった。おそらくは山縣良和が言語化できていない部分まで言語化させようと促していた宇野常寛は時間制限のある枠の中で忍耐強いとすら思えるほど繰り返し問うていた。
そのくらい東京ビエンナーレに批判性を持たせることが出来ると踏んだのだろう。
オリンピックにぶつけるようにして開催された東京ビエンナーレ。なんでもかんでも民間にぶん投げて誰も責任を取らないという醜さの集大成のような開会式に象徴されたいまを批判し得るのは確かにアートだけかもしれないし、なんならアートの仕事のはずなのだ。

そこを踏まえたうえでオリンピックとコロナ禍という時代を同時代的に感じながら川田十夢がなにをどう表現していくのか。私の関心と焦点はいつだってそこに合っている。
宇野常寛の怒涛の喋りの中でひとつ気づいたことがあった。川田十夢が身体の拡張と風景の拡張に乗り出したことに関してその表現の変化だった。

身体という意味ではかつては木の葉に鑑賞者の身体が隠されてしまう『幻と影』、電話を取ると身体が透明化される『透明人間と黒電話』、脱身体化させる『メディアはいよいよマッサージである』など人間の身体を透明化、或いは霧散に近い感覚にさせてきた。肉体という重力から自由にするように。しかし2019年に大阪で行ったNO BORDERが起点となっているのだとは思うが具体的な骨格を持った人間の身体を拡張することに変化している。

力士とバレリーナの身体を3Dスキャンして骨格を入れたものを皮切りに「体に経験を宿したいろんな職業の人たちのフォルムと動きを最先端技術で記録することにより新たに生まれる芸能と芸術の可能性を探ります。」と以前発言していたが、東京ビエンナーレで発表された『都市と経験のスケール』はそれぞれの具体を持った肉体が別の骨格を身体の中に入れ舞い踊ることで観る者の精神が変容するような造りになっていた。(おそらくはその演者はもっと強い感情が巻き起こるだろう。)


この変化はおそらくは"劇的に"と形容してもよいくらいだと思う。身体からの自由度が増しているのである。誰かと入れ替わる。出来ないことができるようになる。筋力も経験や修練も度外しして、誰かになってみる。その景色が一変するだろうことをやっているのだ。
なんとも言えないおかしみと、生命讃歌を『都市と経験のスケール』に感じたのだった。サエボーグのサエポークがあの位置に入ること。スポーツと文化が天秤にかけられ、常に文化が切り捨てられてきた事実。どんな肉体にどんな経験があってもなくても、生命の輝きはなんら揺らがない。だから私にはとても美しく感じられたし、揺さぶられたのだと思う。肉体はARに於いては自由なのだ。誰からも何からも自立して自律していいのだ。
川田十夢の表現が変化したと書いたが進化したのだ。鼎談のタイトルそのものだ「ARとファションで身体を考える」結果となった。

今現在、川田十夢はラジオ番組の補足という意味合いも込めてnoteを更新している。その中で自分の過去を書くということ、経験を思い出すということ。それはいまの川田十夢が自身を保護することであるように思うし、ある種のワークのような気がする。やがて次に生み出すものに昇華されるはずだ。
コロナ禍という世界中の誰も経験したことのなかった、しかし世界中の誰もが直面している厄災をどのような光に変えて行くのだろうか。ARというテクノロジーで。

クリエイターや開発者という人が全員そうだとは思わないがこのコロナ禍のこの有事に際して口惜しい思いをしている人は多いだろう。その中のひとりに宇野常寛もいるのだとその口ぶりに思った。
思えば川田十夢と宇野常寛がはじめて隣り合った場所は東京ビエンナーレにゆかりのある千代田アーツ3331であった。2012年のことだったろうか。
ワンダーランドー◯ーー◯展のトークセッションにて隣り合わせた宇野常寛に川田十夢がものすごく真剣な眼差しでAR三兄弟のことをどう思うか聞いたことを覚えている。
そして全体のプログラム終了後、川田十夢に感想をTwitterで投げたらこんな風に返ってきた。

宇野常寛との対話、僕も刺激を受けました。きっと時代を代表する評論家になると思う。時代性から逆算して評論家と作家の役割は分断ではなく分担だと感じています。作り手は語りしろを、語り手は作りしろを用意しないと同時代的におもしろいものにならない。

私もこの時、とんでもない人だなと思ったのだが川田十夢の感想はおそらく正しくて、だからこそ東京ビエンナーレがなにと戦わねばならないのかという発言は宇野常寛にしかできないだろうと思った。あの飽くなき山への追及は語り手が作りしろを用意する発言ではなかったのか。

宇野常寛の著作をいつくか読んできているが扱う内容が膨大すぎてなかなか咀嚼しきれない。宇野常寛単独トークイベントも福岡のものに参加したがその内容をまとめようにも纏められなかった。付け焼き刃の私では無理だ。社会学(私は宇野常寛を社会学の人だと思っている。)という全容の測りきれない学問を納めて尚且つ現代カルチャーに精通していなければこの人の全容を観るのは難しいだろう。最低でも吉本隆昭全集を読むことからかと思う。
川田十夢に関してはここ10年熱視線で観てきたのでなんとかついていけている部分はあるにせよ(それでも全然足りないが)宇野常寛となるとまるきり無力。

だからこそ素直にすごいなと思わされる。遅いインターネットの鼎談で東京の都市のど真ん中に山というモチーフで介入する山縣良和という身体と向き合うファションデザイナーが風景に介入する意味性とそこに川田十夢が関わることにものすごい象徴性を持たせていたことに驚いたのだ。

映像から取り戻すべき文化と表現は多々あるとは思うが、その映像を作ったのはミシンだ。ミシンの布送り偏心カムを縦に置くことでコマ送りを可能にし、複合映写機としての重要な機構が発明された。
リュミエール兄弟はミシンを踏むと針が下りる時に布は停止し、針が上がった瞬間に布が送られるという偏心カムの作用からフィルムの間欠送り機構を考えついたのだ。

川田十夢がミシンメーカーに10年勤め、その中でミシンに纏わる特許をとった経歴を考えるとなんだか因縁じみてくる。山縣良和はファションデザイナー。当然ミシン、ましてや工業用あるいは業務用といえば川田十夢が勤めていたメーカーのものがトップシェアだ。
山縣良和と川田十夢、2人にミシンから生まれた映像から文化の奪還を仕向けていたことがとても心に残っている。
川田十夢は「風景を撹乱する」ためにどう動くだろうか。
川田十夢は虚と実を行き来きしながら映像に奪われたイマジネーションのなにをどう取り戻すか、取り戻さないのか。豊かな発想と色彩をその身上にしている男の描く"風景"がどうなるのか興味は尽きない。

今日はパラリンピックの開会式だ。そして東京ビエンナーレはコロナの感染状況を踏まえ24日は全展示、全会場の休場がなされていた。なんというか因果を感じる。

願わくば川田十夢と宇野常寛、そろそろ今までの全仕事のまとめを出しておいて欲しい。中間報告みたいなものになるだろうが、あらゆる境界を包摂する存在だけに後続が跡を辿るのに苦労しそうだと老婆心を抱いている。


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