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聖火の道を歩き・・・いや、走り終えて〜岸田ひろ実のコーチングな日々〜

4月14日、聖火ランナーとして、娘に支えられ、息子と一緒に大阪を走りました。

退院してからまもなくひと月がたとうとしています。
お陰様で、術後の痛みも体を動かす恐怖も随分と減ってきました。寝ている時間よりも、起きて何かをしている時間の方が長くもなりました。

入院中は、大きな病気をしたことで、この先の想像上の不安に押しつぶされそうになりながらも、聖火ランナーとして走ることを目標に前向きに頑張ってこれました。

感染性心内膜炎になってから今日まで、苦しくて泣いて落ち込んで、笑って泣いて元気になって、大爆笑しつつも時々ちょっと落ち込んで・・・を繰り返し、気がつけば生きる目標であった聖火ランナーとして走ることも叶っていました。

改めてここで、これまでの人生のこと、病気をしてから聖火ランナーとして走ることができたこと、そこから今、どんなことを思うのかを書き残しておきたいと思います。



16年前、夫が病気である日突然になくなりました。その3年後、家計を支え、子どもたちを育てるために昼も夜もなく働いていた私は、娘が高校1年生、息子が小学校6年生の時に、大動脈解離という病気で倒れました。

存命率20%という確率で緊急手術を受け、幸いにも命は救われましたが、手術の後遺症で私は下半身麻痺という重い障害が残りました。

「歩けないなら死にたい」と思っていた私が娘にその気持ちを打ち明けた時、娘に言われた「それなら一緒に死のう、でもあと1年だけ、家族3人で一緒に生きてみよう」の「1年だけ」を繰り返し、13年が経ち、今が幸せだと思えるようになりました。

そしてそんな中、また私に試練が訪れました。

聖火ランナーとして走る日の2ヶ月前。
私は感染性心内膜炎で緊急入院し、大手術を受けることになりました。
そして再び命を助けていただくこととなりました。



そんな大変な状況だった私が、退院からたったの2週間後に聖火ランナーとして走ることができたなんて。こんな日を迎えることができたなんて。夢のようでした。



いただいたユニフォームに着替え、オリエンテーションをすませ、走る予定の場所に移動し準備万端。いよいよ聖火が私のトーチにわたり、これから走るぞという10分前。車いすを押してくれるはずの息子・良太が急に「僕、押しません」と座り込んでしまいました。

あれだけ楽しみに練習していたのに、なんで?どうして?

どうしよう・・・

私と奈美とで必死に声をかけ、褒めておだててあの手この手で良太のやる気を引き出そうとしましたが、何も響かず石のように座りこむばかり。

しかし、いざという瞬間に良太は何事もなかったかのようにすっくと立ち上がり、さーっと両手を車いすに伸ばし、押してくれました。

これは大変なことになるぞ〜、えらいこっちゃ〜って、ドキドキハラハラしたことも、終わってみればクスッと笑えるステキなエピソードになりました。



本来なら2分ちょっとの道のりでしたが、良太の歩く?いや、走る?ペースがあまりにもゆっくりすぎて、4分以上かかってしましました。

2倍の時間です。すなわち、テレビに映っている時間も2倍。すみません。

でも、おかげでいっぱい観れてよかったなんてご感想をいただいちゃいました。

あたたかく見守ってくださった伴走スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。




片手で持つトーチは、病み上がりの私にとって思ったより重たくて。でも、その感じる重さまでもが美しくて、嬉しくて。


手術後、ひとりぼっちで体調が悪くて悲しくて落ち込んでいた私が、こうやって息子に車いすを押してもらい、沿道で娘に応援してもらいながら、聖火の道を走っている・・・まるで夢の中にいるようでした。



このカメラの向こうでみんなが見ていてくれる。

ポケットに入れていたスマホがずっと揺れている。

たくさんの人から「観てるよ!」「がんばれー!」「すごい!」とメッセージが飛んでくる。

溢れそうな涙をこらえるのに必死でした。

そうして、あっという間に聖火の火は次の人へ。



2ヶ月前、生きるか死ぬかの状況でした。
命が助かっても後遺症が残ったら今よりも動けなくなるかもと言われて、生きることを諦めたくなるくらい、とても不安でした。

でも、聖火ランナーとして走るという役割をいただいていたから、私は聖火ランナーを目標に、顔をあげ、未来を見ることができました。

オリンピックを開催することが、今の日本にとっていいことか、よくないことか、私にはしっかりと自分の考えを言うことはできません。

でも、聖火ランナーとして走らせてもらえて、本当によかったです。

今回の病気で私のことを心配してくださっている大勢の人たちに、元気な姿を見てもらうことができました。

「感動しました」「勇気をもらいました」という声をたくさんいただくことができました。

私が走ったことが、他の誰かの勇気になれたなら、少しは恩返しができたのかなと思います。

絶望から始まった13年間。私と、娘と息子が走ってきた人生は今、笑顔で聖火の道を走りました。

そしてこれからの人生も、ゆっくりしっかり、止まらず、聖火のように前へ、前へと進み続けたいと思います。

応援してくださった皆さま、サポートしてくださったスタッフの皆さま、命を助けてくださった神戸大学病院の先生、そして、ランナーに選んでくださったJALの皆さまには、心から感謝します。

私たち家族に幸せな瞬間を与えてくださり、ありがとうございました。

(素敵な聖火リレーのphoto by 別所隆弘さん)


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