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あいさつ について

「あいさつ」はできて当たり前とされている。特に社会人になって、企業に就職すると「あいさつ」は基本だと言われる。

何故「あいさつ」をするのだろうか?

本当に「あいさつ」は必要だろうか?

小学生か中学生か高校生か忘れたが、ある先生が、元気にあいさつをすると「気持ちがいい」と言っていた。私は昔からあいさつが苦手で、人からあいさつをされると緊張してしまって、むしろ気持ちが悪かった。だから、先生の言っていることが理解できなかった。その気持ちの悪さは、社会人になるまで続いた。

社会人になって間もない頃、アージ理論というものを知った。感情が行動のトリガーになるが、その感情が環境に起因するというものだ。例えば、動物には縄張りがある。縄張りは、その動物が生活するのに必要なエリアだ。だから、そこに他の縄張りの奴が侵入してくると、自分の生活が脅かされることになる。そこで、その縄張りの主は、戦って追い出すか、縄張りを放棄して逃げるかという選択しなければならない。この場合、恐怖や怒りといった感情が行動のトリガーとなる。怒りが勝れば戦うだろうし、恐怖が勝れば逃げるだろう。

人にも縄張りはある。地球、国、街、家、会社、デスクなど。特に最近の新型コロナウィルスが流行している状況下では強く意識されるのではないだろうか。例えば、会社のデスクを考えてみる。自分のデスクにペンが置いてあるとする。そのペンは自分のものだ。隣の人に「ペン貸してくれませんか?」と言われたら、私なら快く了解するだろう。しかし、もし隣の人が勝手に私のペンを放り投げたら、「何するんですか!」と怒るだろう。別にペンを放り投げられても、自分は痛くも痒くもないにも関わらず、怒りの感情が湧く。これは、自分の縄張りで勝手なことをされたとき、自分の身を守る行動を起こすように遺伝子レベルでプログラミングされているからだろう(隣の人のことが嫌いというのは今は考えない)。

サラリーマンであれば、出社したときや、客先に訪問したときなどに「あいさつ」をしなければいけないとされている。何故かといえば、上に書いた「ペン貸してくれませんか?」と同じだ。会社も客先も、誰かの縄張りだ。そこに侵入する際、「私が来ました」「あなたを認識しています」「敵意はありません」ということを表明するのが「あいさつ」の目的だ。無言で相手に近づくというのは、例えばサバンナでの肉食動物の狩りの仕方と同じだ。だから、昔学校の先生が言っていた「気持ちがいい」という感覚は、「あいさつ」をすることによって得られる「安心感」の現れだったのだろう。

というわけで、「あいさつ」はした方がいい。特に、信頼関係がちゃんとできていない相手とは。

そういえば、少年漫画で主人公が敵をぶっ飛ばすとき、技名を叫ぶ。その方が正々堂々戦ってる感じがするからだろうか。


カバー写真: ヒロム

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