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おわりを迎えて、手放したいものはなにか。

正直なところ、とてもおどろいています。
昨日退社後、特売日のスーパーによってご褒美にいつもは買わないハーゲンダッツ(定価)を買って、それで一息ついておわり、そう思っていました。

そして、ほんとうにただただ感慨深くてつぶやいた。

そうしたら、多くの方から労いの言葉と門出のお祝いを頂いて。驚きと素直に嬉しい気持ちと、「おわる」ということは本来こういうことなのかと言葉になりきらないような感覚に丸一日包まれています。今見ても心がぎゅっとなります。つながりがありがたい。

言葉を受け取って改めて思えば、人生で一番長く濃いもののおわりです。新卒から勤めた会社を6年と10か月。小学校生活よりも長い時間、少ない同僚とともに過ごしてきた、最も1日の時間を占めていた、そんな時間のおわり。社会人になって挫折し葛藤し、多くを学んだ時間の区切り。

時間だけみれば日常のひとこまだけれど、わたしの人生にとっては初めて自ら選択してはじめ、おわらせた大きな節目。

改めておわりってなんでしょうね。

わたしは違う畑に行くのだけれど、それでもきっと私の中にのこるものは多そう。意識して一緒に手放しておきたいものはあるだろうか。

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書きながら考えていて、今は3つほど浮かんでいます。これらは恐れからくるものも、持ち味なところもある。今のわたしの自覚として書いておきます。

●過度な低め評価
こりゃわたし仕事ができないぞ、から始まった。その視点からくる「このままではまずい」精神から得られたものは多い。一方で、事実としての評価は人並みだった。勝手に5年先輩の土俵に上がっているつもりでいる。そのずれが生んだネガティブな現実は多そう。

等身大のめがねをかけて、フィードバックを多めにお願いしていこう。

●効率化による持続性低下
基本小単位で最終点が見えているものは、ぎゅっと集中して早く終わらせたいところがある。分割した複数のものを1日のなかでどう組み立てて早く丁寧にこなすかのゲーム感覚。それは、会社視点で利点も多いだろうというのがわたしの正義なのかも。するとついつい呼吸が浅くなったり水分補給が減ってしまう。犠牲にしている感覚はないけど、夜には疲れて家事を放棄したくなる。持続性に欠ける。

暮らしとのバランスをとっていこう。わたしが楽しい、リフレッシュする時間をもっと自覚してとっていこう。

●監督じゃないんやで
仲間と一緒に創りあげるということを体験したい(源から重なっている感覚)というのが次の畑の選択理由のひとつ。だけど、基本ひとりで動きがちなところがある。チームで仕事していてもどのような振る舞いが適切か判断するために全体把握をしておきたいところがある。それは大切な視点かもしれないけれど、強すぎちゃ体験したいことが体験できない気もする。

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総じて片付けていく感覚がつよいな、と思った。目標品質が定まっている仕事柄かもしれない。これからは創っていくのよ!をのびのびと意識したい。

なぜ集い、なぜやるのかに納得した時間を過ごしていくためのおわりの選択。なべさんが下さったすてきな言葉を胸に、新たな門出へ。

改めて、労いやエールをくださったみなさま、本当にありがとうございます!!!


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