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『「渡る世間はコロナばかり」~渡る世間は鬼ばかり2020年代編~』後編

『「渡る世間はコロナばかり」~渡る世間は鬼ばかり2020年代編~』前編の続き

数日後、幸楽に葉子が訪れる。
愛「葉子おばさん、いらっしゃい。母さん、葉子おばさんが見えたわよ。」
五月「あら、葉子珍しい。何かあったの?」
葉子「タキさんから聞いたわよ。眞ちゃん、今幸楽で仕事してるんだって?」
五月「そうなのよ、自分の家に居場所がないとか言って。眞、ちょうど二階で仕事してるから、上がって。」
眞「あっ、葉子おばさん、いらっしゃい。」
葉子「眞ちゃん、家に居場所がないんですって?しかも貴子さんはコロナを気にして一歩も外へ出ないらしいわね。」
眞「母さん、葉子おばさんにまで、うちのこと話したのかよ。」
五月「私はタキさんに話しただけよ。」
葉子「今ね、ウィズコロナ時代に合わせた物件を多く扱ってるの。眞ちゃん、会計士として一人前になったらしいし、そろそろ引っ越しなんてどうかなって。」
眞「新築物件買う余裕なんてないですよ。これから香の学費だってどんどんかかるし。」
葉子「新築じゃなくても、安い中古物件をリノベーションする若い人たちが増えているの。玄関先に手洗い場を設けたり、ちゃんと在宅ワークスペースを確保したり、お客さまの要望通りの家を設計してるのよ。私が最初にコロナ禍に合わせて設計したモデルルームももうすぐ安く売り出されるところなの。」
五月「あら、中古物件ならいいんじゃない?マンションに家賃を払うと思えば、月々のローン返済だって、なんとかなるだろうし。」
眞「勝手なこと言わないでくれよ。たとえ中古であっても、今家を買う余裕なんてないよ。」
葉子「集合住宅にいるより、郊外の人の少ないところで、暮らせば貴子さんもきっと気持ちが楽になって、香ちゃんものびのびと生活できるようになるわよ。眞ちゃんだって、いつまでも幸楽にいるわけにはいかないでしょ?」
眞「そりゃあ、貴子の気持ちが変わるのは、願ってもないことだけど…。」
風「いらっしゃいませ、旦那さまがみなさまでと昼食をこしらえて下さいました。」
葉子「あら?この方、新人さん?」
五月「そうなの、今幸楽とおやじバンドで働いてもらっている渡世風くん。」
眞「ピアノがすごい上手なんだよ。」
葉子「ピアノ…やっぱりあなたあの渡世風くん本物なのね。私、仕事の合間にあなたの動画よく見てるのよ。『千の風になって』とか大好きで。最近新しい動画なくて、もう音楽やめちゃったのかなって心配してたの。」
五月「コロナでデビューが少し伸びてしまっているけれど、プロデビューできるまで、うちで働きながら、おやじバンドのメンバーとしても活躍してもらってるの。」
葉子「えっ?もしかして勇さんのおやじバンドのマスクマンって渡世くんだったの?私、ユーチューブでずっと見てたわよ。」
風「えぇ、顔は出せないので、マスク姿で演奏させてもらってます。」
葉子「おやじバンドに渡世くんがいたなんて…お目にかかれて光栄です。これからも応援してますから。」
風「ありがとうございます。まさか俺の動画を見て下さってる方と会えるなんて思ってなかったので、本当にうれしいです。」
葉子「建築士の仕事って孤独な作業も多いのよ。ひとりで仕事している時、渡世くんのピアノと歌声にどんなに励まされたことか。勇気をもらっていたのよ。」
五月「風くん、良かったわね、あなたの音楽はちゃんと届いているのよ。」
風「本当に、感激です。幸楽で働かせてもらっていなければ、こうしてファンだと言って下さる人とは会えなかったかもしれませんし、こちらこそ、励みになります。」

そこへ弥生と結が現れる。
愛「弥生おばさんいらっしゃい、どうぞ二階へ。今葉子おばさんも見えてるの。今日は珍しい日ね。そちらの方は?」
弥生「葉子も来てるの?じゃあ二階にお邪魔するわね。こちらは倉岡結さん。ちょっと幸楽で確認したいことがあって…。」
二階へ上がると、風が驚いた表情をする。
風「結…。」
結「やっぱり風くんだった…。」
五月「弥生姉ちゃん?どうしたの?こちらの方は?」
弥生「結さんっていう方なんだけどね、わけあって今うちで暮らしているの。この前、文子が来て、勇さんのおやじバンドの動画を見せてくれたの。その時、結さんがおやじバンドに参加しているマスクマンさんのことを気にし始めて…。顔は見えないけど、絶対風くんだって言って。」
五月「風くんと、そちらのお嬢さんが知り合いなの?」
弥生「知り合いも何も、恋人同士よ。」
五月「じゃあ、売れないミュージシャンの風くんを支えていた彼女って…。」
弥生「そう、結さんね。」
風「結、どこに行ってたんだよ?連絡もくれないし、心配したよ。それから…殴ったりしてゴメン。」
結「私の方こそ、ごめんなさい。風くんがつらい時、支えてあげられなくて。今は弥生さんのところでお世話になってるの。」
風「弥生さん?」
弥生「五月の姉です。結さんね、相当思いつめてたの。だから今は私の家で一緒に暮らしてるの。」
眞「えっ?もしかして風くんはうちの母さんが救って、結さんのことは弥生おばさんが助けていたってこと?すごい偶然だね。」
風「結がお世話になってます。ありがとうございます。今は幸楽で働かせてもらっていて、正式にデビューが決まったら、結を迎えに行きたいと思います。」
結「風くん働いてるんだ…音楽できてるみたいで本当に良かった。」
風「うん、いつまでも結に迷惑かけてられないからね。だから結、結が仕事見つからなくても大丈夫だよ、今度は俺が結のことを支えるから。」
結「私もね、新しい仕事決まりそうなの。弥生さんの妹さんの文子さんが、国内旅行を扱う新しい会社を立ち上げて、それのお手伝いをさせてもらうことになって。だから私は大丈夫だよ。風くんは音楽に専念して。」
五月「えっ?何?文子、もしかして海外旅行を扱う旅行会社やめて、国内旅行の新会社作ってたの?全然知らなかった…。」
弥生「一度は諦めた旅行会社で再起するって、張り切ってるわよ。五月や日向子ちゃんから刺激もらったらしいわ。おかくらにいるまひるさんのご実家も旅館らしいじゃない?結さんの実家も旅館で、文子は国内で苦境に立たされてる旅館を助けたい意味もあって、国内ツアーを考え始めたらしいの。」
結「文子さんは今まで海外ツアーにばかり目を向けていたけれど、これからは近場でも素晴らしい旅行地があるということをお客様にお伝えしたいとおっしゃっていて、なるべく近隣の地域からお客様を募って、旅行の地産地消を目指したいと。それに私も参加させていただいているんです。」
五月「文子もコロナ禍でいろいろたいへんだったんでしょうね。あれだけ海外ツアーに命削っていたのに、方向転換してすごいわね。葉子もそうだけど。」
弥生「何?葉子も新しい事業を始めたの?」
葉子「私は、建築士として、コロナ時代に合わせた住居を設計しているだけよ。それを眞ちゃんに売り込みに来ただけ。」
弥生「へぇーそうなの。葉子もがんばってるんだ。」
五月「とにかく、風くんと結さん、二人で話したいこともあるだろうし、私たちは私の部屋で話しましょう。」
風「お気遣いなく。俺たちが下に下りますので。」
結「そうです、弥生さんはせっかく妹さん方と会えたんですもの。どうぞここでゆっくりしてください。」
弥生「今日は結さんのために幸楽に来たんだもの。私たちに遠慮することはないわ。二人でじっくり話し合いなさいね。」
五月「せっかく、三人が揃ったことだし、私たちはこれからおかくらに行ってみない?長子もいるだろうし。文子も呼びましょうよ。」
葉子「そうね、コロナで緊急事態宣言の頃なんて、五人姉妹が揃うだけでも密になるから五人で会うことはずっとできなかったものね。」
弥生「いいわね。私も今日は一日、本間クリニックからお休みいただいてるの。こんな機会めったにないものね。」
眞「風くんと結さんのことなら、俺に任せて。俺が母さんと父さんの部屋使わせてもらって、仕事してるからさ。母さんたちはおかくらでゆっくりしてきなよ。」
風「何だかすみません、俺たちのために追い出すようなことをしてしまって。」
五月「いいのよ、こんな機会でもないと、なかなか姉妹揃わないんですもの。」
結「弥生さん、私たちのためにすみません。」
弥生「結さん、風くんとちゃんと話し合いをするのよ。こっちは姉妹で楽しむから、私たちのことは気にしなくていいのよ。」

こうして弥生、五月、葉子は三人揃っておかくらへ向かった。
タキ「まぁまぁ、三人お揃いで。ようこそ、いらっしゃいました。」
五月「お邪魔します。最初にお父さんに挨拶してきます。」
三人で仏壇の前で手を合わせる。
葉子「三人でここに揃うのはほんとにひさしぶりよね。」
弥生「お父さんにもすっかりご無沙汰してしまっていたわ。」
長子が現れる。
長子「夜のお弁当、受け取りに来たら、お姉ちゃんたちみんな来てるっていうから驚いちゃった。どうしたの?」
五月「弥生姉さんとうちでそれぞれ訳あって預かってた子たちが知り合い同士でね、今幸楽で二人だけでゆっくり話してもらってるから、二人の邪魔しないように、私たちはおかくらへ行ってみようってことになったの。」
弥生「結さんと風くんっていう若い子たちを私と五月がそれぞれ家で預かっていたの。二人ともコロナ禍でたいへんな目に遭ってる子たちで…。」
長子「そうだったんだ。弥生姉ちゃんと五月姉ちゃんは相変わらず人助けしてたんだ。うちの年配の患者さんたちもコロナ禍に巻き込まれて、みなさんたいへんな思いしてらっしゃるの。若い人たちは出歩けても、ご病気だったり、歳を取ってらっしゃると、どうしても閉じこもりがちになって、認知症が進んでしまう方も多いのよね。」
葉子「長子の所もやっぱりコロナで苦労してるのね。本間クリニックの患者さんたちは自宅だからまだしも、老人ホームとか施設暮らしのお年寄りは本当に出歩くこともできなくて、つらいでしょうね。」
弥生「そうよね、うちの患者さんたちは家族の許可さえあれば、近所を散歩程度させてあげることはできるけれど、施設の方々は大勢で外出なんて厳しいでしょうし、家族が施設を訪問することさえ許されないケースもあるらしいじゃない?お年寄りは家族に会う楽しみも減ってつらい時代になったものよね。」
長子「そうなのよね、若い人たちは若い人たちなりにバイトが減ったとか、解雇されられたとかたいへんな思いしているけれど、年配の方々も本当につらい日々を送っていらして。この前、患者さんから教えられたんだけど、勇さんたちがやってるおやじバンドがユーチューブ始めたらしいじゃない?それを心の拠り所にして楽しみに見てるって患者さんがいらしたの。その方は五月姉ちゃんのさつキッチンも見てたらしくてね。」
葉子「すごいじゃない、五月姉さんや勇さんたちの動画がお年寄りの生きがいにつながっていたなんて。」
五月「そんなこともあるんだ。うれしいわね、私たちが好きでやってることが誰かを励ましたり、救うことにつながっているとしたら。これからもがんばらなきゃって私の励みにもなるわ。勇にも伝えておくから。教えてくれてありがとう、長子。」
まひる「失礼します。文子さんもお見えになられたので、みなさまで一階でゆっくりお食事召し上がってください。」
弥生「あら、文子も来たの?タイミングいいわね。」
まひる「タキさんがみなさまお見えですって文子さんに連絡したんですよ。」
長子「さすがタキさん、私たちが頼まなくても呼んでくれるなんて、気がきくわ。」

四人で一階へ下りて文子と合流する。
五月「五人が揃うなんて、一年ぶり以上よね。」
文子「ほんとに、五人一緒は二年近くなかったものね。」
弥生「それぞれ誰かと会う機会はあっても、五人はなかなか揃わなかったものね。」
葉子「これも風くんと結さんのおかげね。」
日向子「みなさま、おかくらの料理をゆっくりお楽しみください。」
五月「ありがとう、日向子ちゃん。日向子ちゃんがこうしておかくらを守ってくれているおかげで、私たちはいつでもおかくらに戻って来ることができるんだものね。」
弥生「そうよね、日向子ちゃんのおかげだわ。」
日向子「私は自分のわがままでこうしておかくらを継がせていただけただけなので。株主のみなさまに感謝しています。それからタキさんや壮太さん、まひるさんが見守って下さるおかげです。ひとりではとてもやっていけません。」
長子「そうなのよね、タキさん、壮ちゃん、まひるさんにはほんと感謝してます。いつもひなのことを助けてくれてありがとう。」
タキ「いえいえ、とんでもない。わたくしの方こそ、こんな年寄りをおかくらで働かせてもらえているのも日向子ちゃんが旦那の後を継いで下さったおかげですし、感謝しています。」
壮太「俺たちも、飲食業界で解雇になってる知り合いもいる中、おかくらで働かせてもらえて、日向子ちゃんには感謝してます。」
微笑むまひる。
文子「私はね、海外旅行の会社で挫折しちゃったから、もう旅行会社は諦めようって弱気になっていたけど、おかくらを守ってくれてる日向子ちゃんやそれからまひるさん、結さんっていう若い子たちからパワーもらって、旅行を諦めずにもう一度がんばろうって思えたの。」
まひる「文子さんや結さんが、うちの旅館のことも視野に入れて国内ツアーのプランを組んで下さって、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。母親も喜んでいます。」
文子「まだ計画を立てている段階で、実際にどれくらいお客様が来て下さるかは分からないけれど、近場の旅行先も海外に負けないくらい楽しめるって、国内旅行の魅力をひとりでも多くのお客様に伝えたいと考えているの。結さんもいろいろなアイディアを提案してくれて、頼りになるのよ。」
葉子「さすが、文子姉さん、何度挫折しても、めげないわよね。」
弥生「文子と出会って以来、結さんも少しずつ明るさを取り戻して、生きる希望をみつけたみたいで、良かったわ。」
長子「お姉ちゃんたち、みんな人助けしてるんだ。私も疲れたとか忙しいとか弱音吐かずにがんばらなきゃ。」
五月「長子も十分がんばってるわよ。誰よりも今人助けしてるじゃない。英作さんや本間クリニックを支えているんだから。」
葉子「そうよ、コロナ禍の今、一番人助けしてるのは、医療関係の長子や弥生姉さんよね。」
文子「医療関係者の方々の努力がなければ、コロナと戦うことはできないものね。私たちが安心して新しい仕事に取り組めるのも、医療、病院があってこそよ。」
長子「弥生姉ちゃんや英作はともかく、私はクリニックで電話番とか、事務仕事とか雑用してるだけだから。」
五月「雑用も大切な仕事よ。英作さんや病院で働いてくれる人たちの健康管理とか、患者さんとクリニックのコミュニケーションをとるのも大事な仕事じゃない。」
葉子「そうよ、仕事に集中できるのは誰かの支えがあってこそだもの。私だって、双子の子どもたちはシッターさんに任せて、仕事させてもらってるもの。」
五月「長子も、葉子も、文子も、弥生姉ちゃんも、それから私もコロナ時代に負けずに、がんばって生きてるってことでいいじゃない。」
弥生「そうよ、それぞれができることは違うんですもの。長子は英作さんやクリニックを支える大切な役目があるし、葉子はコロナに対応した新しい家の設計、文子は充実した国内旅行、五月は幸楽やさつキッチンで健康に大切な食事を提供しているの。みんなすごいことやってるじゃない。」
長子「そう言ってもらえると、私も少しは社会の役に立ててるのかなって自信もてる。ありがとう。お姉ちゃんたちには敵わないけれど、私なりにがんばるよ。」
文子「長子は十分にがんばってるわ。葉子も五月姉ちゃんも弥生姉ちゃんも、私たち五姉妹は伊達に長年様々な鬼と戦ってきたわけじゃないわね。コロナにも負けない五姉妹よ。」
タキ「みなさまはコロナという鬼と戦う救世主ですわね。」
五月「救世主なんてキレイなものじゃないけど、困っている時は助け合いたいわよね。」
弥生「私だって、自分の子どもたちのことは褒められるような育て方はできなかった…今になって見ず知らずの人たちを助けて、罪滅ぼしをしたいだけなのかもしれないわ。」
葉子「罪滅ぼしなんて思う必要ないわよ。赤の他人を家族同然、やさしく家に招き入れられるのは弥生姉さんや五月姉さんくらいですもの。本当に尊敬する。新しい家族の形を教えてくれて。私の家の設計に、姉さんたちが教えてくれた新しい家族の形も反映させなきゃって思うわ。」
文子「葉子の言う通りよ、私も弥生姉ちゃんや五月姉ちゃんを見習って、新しい家族の形を模索しないとね。」
長子「また亨さんと結婚するのもありじゃない?」
文子「結婚はもうたくさん。亨とはビジネスパートナーでありたいの。その方がずっと尊敬できるし、好きでいられるもの。今は結さんと二人で、国内旅行の会社を軌道に乗せることで頭がいっぱいよ。」
五月「結さんと風くんはうまくいったかしらね…」
弥生「きっと大丈夫よ、眞ちゃんも見守っていてくれるし。」
五月「眞じゃ頼りないわよ、こんな時は愛にでも頼めば良かったかしらね。」
文子「結さんなら、大丈夫よ、私たちが心配するまでもないわ。さぁ、おかくらのおいしいお料理をいただきましょう。」
葉子「めったにない機会だものね、今夜はひさしぶりに楽しみましょう。」
長子「私、クリニックにお弁当届けたらすぐに戻ってくるから。」
タキ「お弁当なら今、まひるさんが届けに向かいましたから、長子さんも安心してゆっくり召し上がってください。」
長子「タキさん、いつも気をきかせてくれて本当にありがとう。」
タキ「困った時は五月さんのおっしゃる通り、助け合いが大切ですものね。」
皆で談笑しているうちにおかくらの夜は更けていった。

幸楽に戻った五月。
五月「ただいま戻りました、すっかり遅くなってしまってごめんなさい。」
愛「遅かったわね、母さん、叔母さんたち元気だった?」
五月「みんな、相変わらず元気だったわ。」
そこへ邦子が現れる。
邦子「こんばんはーお邪魔します。お兄ちゃんいる?」
五月「邦子さん、こんばんは。」
勇「何だよ、こんな遅くに。」
邦子「忙しくてこの時間しか時間ないのよ。この前はごめんなさいね。お店から人手貸してくれなんて。これ、インターネット販売で新たに売り出したいと思ってる餃子なの。お兄ちゃん味見してくれない?」
勇「別にこの前のことはどうでもいいよ。誠くんや周ちゃんはもう上がってしまったし、味見って俺でいいのか?」
邦子「幸楽って名前で売らせてもらっている以上、お兄ちゃんの許可さえもらえればいいかなって思って。これね、居酒屋で働いていた子たちが考案した餃子なの。」
五月「居酒屋ですか?」
邦子「そう、今、夜のお店で働く人たちはたいへんじゃない?時短だなんだって仕事にならなくて…。それで人手もほしかったから、居酒屋経営してる友達からうちで働いてくれる人を斡旋してもらったのよ。元々居酒屋の賄いで仕事の後に食べてた餃子らしいんだけど、おいしいから、商品化できないか考えているところで。」
勇「それなら俺より、そっちの居酒屋の許可が必要なんじゃないのか?」
邦子「別にメニューとしてお客様に提供していた餃子じゃないから、構わないって居酒屋の許可はすでにもらってるの。後は、この味を幸楽って名前で売り出してもいいか知りたいだけ。」
試食する勇と五月と愛。
勇「俺はおいしいと思うけど、こういうことはやっぱり誠くんや周ちゃんたちの意見も聞かないとな。一人じゃ決められないよ。」
愛「誠、呼んで来ましょうか?」
邦子「急ぎじゃないからいいわ。この餃子置いて行くから、明日みんなで食べて検討してみてちょうだい。よろしくね、愛ちゃん、お兄ちゃん。」
五月「邦子さんも色々がんばってるんだ。」
勇「自己中に見えるけれど、居酒屋で働けなくなった子たちを雇ってあげたってことだろ?邦子にしては上出来だ。」
愛「邦子おばさんもいいところあるんだ。コロナ禍では鬼も人にやさしくなれるのね。」
五月「愛、邦子さんのことをそんな失礼な言い方しちゃダメでしょ。」
五月「ところで風くんはどうなったかしら?」

二階へ上がる五月。
眞「おかえり、母さん、遅かったね。」
五月「風くんと結さんは?」
眞「風くんと結さんなら帰ったよ。」
五月「また一緒に暮らすんでしょ?」
眞「いや、結さんは弥生おばさんの家へ、風くんは自分の家へ戻ったよ。」
五月「まさか、話こじれちゃったの?」
眞「そんなわけないよ。二人ともお互いを好きだから、自立するんだってさ。」
五月「どういうこと?」
愛「風くんはデビューできるまで、変わらずうちで働いてくれるって。結さんと一緒に住んでた部屋で一人で暮らすんだって。結さんは今は弥生おばさんの所でお世話になっているけれど、文子おばさんとの仕事がうまく行ったら、ちゃんとひとりで部屋を借りて、ひとりで生きていける女になるんだって。」
五月「やっぱり二人は別れちゃったんじゃないの?」
眞「それは違うよ、母さん。お互いのために、今は別々の人生を歩むってことだよ。風くんだって、一人前になれたら、必ず結さんを迎えに行くって言ってたし。今は一緒に暮らさない方がいいって意見が一致したみたい。」
愛「眞が、貴子さんと別れたくないから、今は別居してるのと同じことよ。」
五月「そうなの?私はてっきり貴子さんとは別れてくれるんじゃないかと期待してたんだけど…。」
眞「姉さんの言う通りだよ、俺は別に別れたくて幸楽に戻ってきたわけじゃないから。俺がいるとイライラするみたいだし、貴子を落ち着かせるために、出てきただけで…。でも風くんと結さんを見てたら、そろそろ俺も貴子と向き合わなきゃなって思った。香も心配だし。」
愛「母さんってば、眞が離婚して、香ちゃん連れて幸楽に戻ってきてくれると思ってたんだ。いつまで経っても親馬鹿なんだから。」
五月「何よ、二人して、母さんのこと馬鹿にして。」
勇「まぁまぁ、せっかく風くんと結さんがうまく行ったんだから、眞と貴子さんのことで揉めることはないだろう。」
眞「明日、貴子と話し合ってみるよ、貴子がこれからどうやって生きていきたいと考えているのか、改めて聞いて、ちゃんと俺の意見も伝えてくるよ。」
五月「眞が帰ってしまうと思うと寂しくなるわね。」

家に戻った眞。
眞「ただいま、ちょっと話をしたいんだけどさ…。」
貴子「おかえりなさい。入る前にちゃんと除菌してね。」
眞「分かってるよ。香は?」
貴子「今はお昼寝。最近夜泣きがひどくて…。」
眞「そっか。貴子に聞きたいんだけど、今、何が心配?」
貴子「何がってコロナに決まってるじゃない。こんな街のど真ん中の集合住宅じゃ、玄関から出るだけでも他人と接触することになるんですもの。危なくて香を外で遊ばせてあげることもできない。たとえワクチン接種の順番が回ってきても、打てば絶対コロナに感染しないって保障もないんですもの。コロナが世間に漂い続けてる限り、私の不安はなくならないわ…絶望しかないわよ。」
眞「そっか。じゃあさ、人の少ない郊外で暮らせば少しは安心できる?例えば集合住宅じゃなくて、戸建てだったとしたら。」
貴子「100%は安心できないかもしれないけど、少なくともここにいるよりは郊外で人の少ない所の方が落ち着けるとは思うわ。でも戸建てなんて、うちにそんな余裕ないじゃない。」
眞「葉子おばさんがさ、今コロナ禍に対応した住宅の設計をしているらしくて、リノベージョン可能な中古物件とか、手頃なモデルルームを俺に勧めてくれて、今度ゆっくり見学してみない?家賃払ってると思えば、中古物件ならなんとかなるかもしれないし。俺もがんばるからさ。」
貴子「今はコロナ対応の住宅なんてあるんだ。知らなかった。まずはインターネットで見学できないかしら?」
眞「またインターネットかよ。まぁいいや。貴子が少しでも興味示してくれただけでうれしいよ。葉子おばさんに改めて話し聞いておくから。」

幸楽にて。
風「とうとうデビュー日が決まりました。今までお世話になりました。」
勇「決まったか!おめでとう!」
五月「おめでとう。結さんも喜んでいるでしょうね。」
誠「風くんがいなくなると思うと、寂しいよ。もうキーボードも教えてもらえなくなるし…。」
風「ありがとうございます。時間的に幸楽は辞めなきゃいけなくなると思いますが、おやじバンドは時間のある時に参加させていただけたらなと思ってるのですが…。」
勇「そうか、おやじバンドは続けてくれるか。うれしいよ。」
誠「これからも風くんにいてもらえるとしたら、本当に心強いよ。」
風「どれだけ忙しくなるか、時間が取れるか分からないので、すべての練習に参加するのは無理かもしれないんですが、できる限り、おやじバンドの活動も続けさせていただけたらなと思ってます。」
五月「良かったわね、あんた、誠さん。」
愛「風くん、幸楽の料理はどれもおいしいって気に入ってくれているから、おやじバンドは幸楽弁当が目当てだったりして?」
風「それもあります。」
はにかむ風。一同笑い。
風「デビューライブが決まったので、みなさまでお越しください。幸楽、おやじバンドのみなさまはもちろん、五月さん、弥生さんや文子さんたちにも伝えていただけませんか?結がお世話になってる方々なので。よろしければご姉妹みなさまでお越しください。」
五月「ありがとう。もちろん、みんなに伝えるわ。風くんは家族同然なんだから、辛くなったら、幸楽が実家だと思って、いつでも帰って来ていいのよ。」
風「五月さん、ありがとうございます。」

二〇二一年、五月晴れのとある日。
『渡世風 デビューライブ~さつきの風になって~』
風「ライブに集まって下さったみなさん、初めまして、渡世風です。」
風のMCでライブがスタート。
風「最初の曲はデビュー曲『HELP EVER HURT NEVER』です。『常に助け、決して傷つけてはいけない』という意味です。僕は…たくさんの人に助けられてここまで来られました。決して傷つけてはいけないという曲を歌うというのに、僕は、大切な人を傷つけてしまった時期もありました。コロナのせいですべてが上手くいかなくなって、他人を信じられなくなった時期もありました。路上ライブができなくなり、音楽の道が閉ざされて、掴みかけた夢が遠ざかり、絶望の果て、僕の心の中には鬼が住みつくようになりました。そんな時、やさしい人たちと出会い、その人たちが僕の心の中にいた鬼を退治してくれたんです。新たな家族が僕のことを助けてくれたんです。僕の両親はすでに他界していて、兄弟もいませんし、本当の家族は一人もいません。そのせいか、大切な人ともうまく向き合えなかったりして、幸せそうな家庭が本当に羨ましかった。夢を叶えられない自分が惨めに思えて、他人を妬んで、傷つけて…。鬼になってしまった僕を救ってくれたのは、コロナのおかげで出会えた強くてやさしい人たちでした。僕のことを家族として受け入れてくれた方々に恥じないように、一生懸命歌い続けようと思います。そして僕もそんなやさしい家族を見習って、困っている人がいれば助けてあげられる、やさしい人間になりたいと思いました。僕なんかより、コロナでつらい思いをした人たち、今もつらい思いをしている人たちがたくさんいると思います。そんな人たちを音楽の力で励まし、救えるようなミュージシャンになることが僕の目標です。それでは、聞いてください。『HELP EVER HURT NEVER』」
風がピアノを弾きながら、歌い始める。ピアノの旋律と風の歌声に酔いしれる観客。
涙を流す結。
弥生「良かったわね、結さん。」
文子「強くてやさしい風ってきっと五月姉ちゃんのことよね。」
長子「ライブのタイトルにまでなって、すごいじゃん、五月姉ちゃん。」
葉子「生で、渡世風くんのピアノと歌声を聞けるなんて…ありがとう五月姉さん…。」
葉子は目を潤ませていた。
五月「何だか恥ずかしいわね。でもさつきの風なんて、今の時期がたまたま五月だからでしょう。それより本当に素敵な曲ね。」

『帰ろう』、『若者のすべて』、『旅路』、『優しさ』、『二十二才の別れ』、『風よ』などオリジナル曲とカバー曲を歌い続ける風。
ライブは終盤に差し掛かる。
風「最後の曲はデビューのきっかけをくれたこのカバー曲です。『千の風になって』。」
勇「風くんの曲はやっぱりこの曲が一番好きだなぁ。」
誠「こんな素晴らしいミュージシャンが僕たちのおやじバンドにいてくれるなんて、信じられませんね。」
愛「最初は誠の宿敵だったのに、すっかり仲良くなっちゃって。」
眞「おやじバンドのユーチューブアカウント作って本当に良かったよ。風くんがいたずらみたいなコメントしてくれてさ。」
五月「別に、おやじバンドのアカウントがなくても、きっと風くんとは出会えたわよ。」
勇「幸楽のおいしそうな匂いにつられて来てくれたんだもんな。」
弥生「私も、結さんと出会えて本当に良かった。結さんと出会えなかったら、風くんの音楽なんて知らなかったもの。」
長子「手強い鬼だけど、コロナに感謝しないといけないかもね。」
葉子「ほんとにそうよ、風くんはコロナ禍を乗り越えて、また演奏に磨きがかかった気がするもの…。」
結「みなさん、本当にありがとうございます。私や風くんがこうして前を向けるようになったのは、みなさんのおかげです。五月さん、風くんのこと信じてくれてありがとうございました。」
五月「私たちは別にたいしたことしてないわよ。風くんと結さんがコロナに負けずにがんばったから、今日があるのよ。」
弥生「その通りね、風くんも結さんもよくがんばったわね。」
文子「風くんの音楽聞いたら、また明日からがんばろうって勇気もらえたわ。」
葉子「結さん、後で風くんのサインいただけないかしら?私、ますますファンになっちゃった。」
長子「葉子姉ちゃんってば、ただのミーハーなファンになっちゃって。」
一同笑い。

ライブ終演後。
弥生「それじゃあ、またね、私は結さんと帰るから。」
長子「ライブの後って結さんは風くんと打ち上げとかあるんじゃないの?」
結「いえ、私はあくまで観客という立場で、風くんの仕事現場には立ち入らないことにしているので。」
葉子「お付き合いしているのに、なんだか距離があるのね。」
結「すみません、葉子さん、サインは後で頼んでおきますから。」
葉子「いつでもいいのよ、もしもいただけたら、よろしくね。」
弥生「前まで、一緒に暮らしていて、お互いに依存してしまっていたから、程よい距離を保ちながら、応援するって決めたんですって。」
文子「結さんも風くん以上にたくましくなったものね。頼りにしてるわ。」
眞「葉子おばさん、モデルルームだった家を安く紹介して下さって、ありがとうございました。これで貴子や香と安心して暮らせます。」
長子「眞ちゃん、マンションから引っ越すんだ。若いのに家を買うなんてすごいわね。」
五月「葉子がね、かなり安く手配してくれたのよ。」
葉子「コロナ禍になってから、初めて手掛けたコロナ時代対応の家ですもの。私にも愛着があるの。眞ちゃんが住んでくれたら、いつでも遊びに行けるじゃない?だから私も眞ちゃん家族が住んでくれるなら本当にうれしいの。」
眞「葉子おばさんのおかげで、貴子も少しずつ外に出ようって気持ちに変わってくれて、助かりました。でもさすがにライブ会場にはまだ来られなくて、今日は自宅で、インターネット配信されてる風くんのライブを香と一緒に見てると思います。」
葉子「貴子さんもいつか風くんのライブに来られるようになるといいわね。」
五月「葉子のおかげで、眞の問題も解決したし、風くんは今日立派にデビューを果たしたし、結さんも文子と一緒に新しい道を進み始めたし、コロナはまだ解決しないけど、未来はきっと明るいわね。」
みんな微笑んでいると、爽やかな五月の風が流れた。

予期せぬコロナウイルスの流行で、様々な困難に直面する時代になってしまったけれど、困っている人がいれば、五姉妹で助け合い、コロナ前と変わらず協力しながら、暮らしていけたら、コロナという鬼にも負けずに、笑顔で生きていけるはずだと、風の奏でる音楽を聞きながら、思う五月なのでありました。

(エンディング) 

スピンオフ『渡世風物語~ささやかなこの人生~』はこちら

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