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慢心してはいけない

今日のおすすめの一冊は、岡本一志氏の『心がほっとする ほとけさまの50の話』(王様文庫)です。その中から「全員に好かれることはない」という題でブログを書きました。

本書の中に「慢心してはいけない」という心に響く言葉がありました。

心理学者のアルフレッド・アドラーは、人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だといいました。 確かに、私たちには他人と比べて「自分が優れている」と思いたいという、強い欲求があります。
友達や同僚に対して、自分とどちらが、みんなから好かれているだろうか? どちらが仕事ができるだろうか? と比較してしまいます。自分のほうが優れていると思うと安心し、自分のほうが劣っていると思うと、 悔しい気持ちやみじめな気持ちになるものです。
自分を他人と比べる心は誰にでもあるのですが、あまり気にしすぎると、相手との関係がギスギスし、疲れてしまいますから、とらわれすぎないようにするの が大事です。
お釈迦さまは「自分のほうが優れている」と思う心を、「慢(まん)」「過慢(かまん)」「慢過慢(まんかまん)」に分けて教えられています。
まず「慢」とは、自分よりも劣った人を見て、自分のほうが上だ、と思う心のことです。 相手の容姿や服装を見て、「私のほうが綺麗よ」と思ったり、年収や肩書きを 比べて、「自分のほうが上だ」と相手を見下す心です。
もちろん実際に、相手よりも自分のほうが優れていることもありますが、その部分においては相手よりも優れているだけで、すべてにおいて相手よりも優れているわけではありません。ところが、何か一つでも相手よりも優れていると、自分のほうが偉いように思ってしまうのが、慢の心です。
次に「過慢」とは、同じ程度の相手に対して、自分のほうが優れていると思う心のことです。 気になっている同僚と、今月の営業成績が同じだったとき、来月は負けないようにがんばろうと前向きに受け止めることができればいいのですが、「あの人は たまたま、よいお客さんを上司に紹介してもらったからだ。条件が同じなら、自分のほうが成績はよかったのに」という気持ちが出てきます。 同じ時期に昇進した同僚に対して、「あいつは上司に取り入ったからだ、本当はおれのほうが上だ」と思う心です。
その次の「慢過慢」とは、自分より優れている相手に対して、素直に認められず、相手の欠点を探して、「私のほうが上だ」と思う心のことです。
相手の優れた点を認めて、学ぼう、目標にしようと思えれば、自分の向上につながるのでとてもよいことですが、なかなかそういう気持ちになれないもの。相手のアラを探して、引き下げたいという心が出てきます。
たとえば、自分よりもスポーツができて、活躍しているクラスメートに対して、 「あの子は運動はできるかもしれないけど、性格が悪いのよね。私は友達が多くて、みんなに好かれているから」 「頭のよさなら、私のほうがずっと上よ」 と相手の欠点を見つけたり、自分の得意なところを持ってきたりして、相手の上に立とうとする心です。
人は、相手の優れているところを認めたくないものです。 何かと理由をつけて、自分のほうが優れていると思いたいものです。 人との関わりの中で、相手と自分を比べては、優劣を気にして、気疲れしてはいないでしょうか。 お釈迦さまの言われた三つの「うぬぼれ」にとらわれない努力をしてみましょう。いつもより柔和に、朗(ほが)らかに周りの人と接することができるようになるはずです。


スタンフォード大学の研究の結果わかったことがあるといいます。それは…「幸福度が高ければ高いほど、まわりの人との比較に関心がない」ということです。満ち足りている人、幸せな人は、他人との比較に興味がないのです。

つまり逆にいうなら、満ち足りていない人、不幸だと思っている人、ネガティブな人、が比較するということです。自分の価値に気づき、他人と比較しない人でありたいものです。

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