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余裕のある人は運をつかむ

今日のおすすめの一冊は、マーク・マイヤーズ氏の『「運をつかむ人」16の習慣』(知的生きかた文庫)です。その中から『時間のコントロールが「運」を呼ぶ』という題でブログを書きました。

本書の中に「余裕のある人は運をつかむ 」という心に響く一節がありました。

アメリカでは、一生懸命働いていることを隠して悠々としたふりをしていられる人は、畏敬の目で眺められる。この傾向は、特にプロスポーツ選手や芸能人を見ると顕著である。

例えば、メジャーリーグのピッチャーが完封を成し遂げたり、スーパーボール(フットボールの優勝決定戦)では、休む間もなくパスを投げ続けていたクォーターバックが疲れも見せずに自ら走ってタッチダウンを決め、勝ち越しの決勝点をたたき出すようなシーンを見れば、大観衆が熱狂する。

モハメド・アリは最高のボクサーであったばかりでなく、間違いなく二〇世紀の生んだ最も偉大なスポーツマンの一人だったが、彼が多くの人から愛されたのは、激しいトレーニングを積んだことや、苦しい試合を勝ち抜いてチャンピオンになったことが理由ではなかった。

彼は当時「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたように、いとも軽々と相手を倒し、それで楽々とチャンピオンになったように見えたからなのだ。試合を見ていた人は、彼のように少しも疲れを見せずにリング上を十五ラウンドも舞い続けることが、誰にでもできるかのような錯覚に陥ったものだ。

困難なことを苦もなくやってのける人を崇める傾向は、一般の人たちの生活においても変わらない。職場で毎日何十人もの部下を動かして、疲れをまったく見せない管理職。仕事を変わるたびに、たいして時間をかけているようには見えないのにいつもいい仕事を見つけてくる友人。こういう人たちが苦労を少しも見せないことにみな驚嘆してしまうのだ。

たとえ素晴らしいことを成し遂げても、いかにも「苦しんでやっています」というような姿を見せた者は、感心されることはあっても、崇拝されたり熱い視線を浴びることはない。大衆は、苦しんでもがいたり、汗まみれになってのたうち回ることなど夢見ない。

だから、尊敬する偉い人たちから「富と名声を得るのにそんなことは必要ない」と言ってもらいたいのだ。いかに苦労して一生懸命働いているかを見せつける人は、見ていても楽しくない。

なぜかというと、そういう人は「あんたも成功したければ、私のように不安や苦しみをさんざん味わわなくてはいけない」と言っているように見えるからだ。人はみな、死ぬようなつらい思いをすることなく快適で幸せになれる道はないものかと思っている。

つまり、成功するには有能でなければならないが、〝運をつかむ”には人間的な魅力が必要なのだ。「人生がいかに大変か」というネガティブな面ばかり見せていると、人との間に隔たりが生じてしまい、その溝はなかなか埋めるのが難しくなる。

人生の教訓としては、「苦労すること」や「困難に打ち勝つこと」「人一倍の必死の努力」などが必要なことはいうまでもない。しかし、現実には、努力している姿などなど1ミリも見せずに、すずしい顔をしてすごいことを成し遂げるような人がもてはやされる。

多くの人は、「人生がいかに大変か」というようなネガティブな面を見せつけられると、うんざりしてしまうのだ。

ひょうひょうとして、頑張るそぶりも見せないで人生を楽しんでいる、それでいて実力のある人、そんな、余裕がある人が運をつかむ。

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