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一歩を踏み出す勇気

今日のおすすめの一冊は、中川諒氏の『いくつになっても恥をかける人になる』(ディスカヴァー)です。その中から「本当に自分を応援してくれる人」という題でブログを書きました。

本書の中に「一歩を踏み出す勇気」という心に響く一節がありました。

ここでは恥という感情がわたしたちにとっていかに手強い相手かということについて言及したい。語解を恐れずに言えば、この社会は平等ではない。誰にでもチャンスが平等に与えられるわけではない。「頑張っていれば誰かがいつか見つけてくれる」と思っていると、その「いつか」はいつまでもやってこない。
なぜならチャンスを待っている間に、他の誰かが自らそのチャンスを探しまわって、先に自分のモノにしているのだ。 僕は自分のやりたい仕事が手元に来ないことを、ずっと環境のせいだと思っていた。この組織や部署にいるから、自分には自分のやりたい仕事がまわってこないのだろう と。
しかしいざ自分の希望が叶って環境が変わっても、仕事はそんなに思いどおりにはいかなかった。結局どこにいても、チャンスを自分のモノにできるかどうかはその人次第だった。 チャンスは最初から「チャンスの顔つき」をして転がっているわけではない。些細なきっかけが「今思えばあれがチャンスだった」という出来事になるのだ。
日々の生活の中で、この些細なきっかけという糸の端を見つけて手繰り寄せるのには、ちょっとしたコツがいる。この糸の端は大体、「頭ではやったほうがいいと分かっているが、行動に移していないこと」としてわたしたちの目の前に現れる。
それは、覚えてもらえるように自己紹介を工夫することかもしれないし、セミナーの一番前の席に座ったことで講演者との間で生まれた会話かもしれない。 このような少し恥を感じる行動がなぜチャンスに変わるかというと、他の人もあなたと同じように恥ずかしくて行動に移せていないからである。
その恥を乗り越えてあなたが行動に移すことができれば、この小さな行動はチャンスに変わる。わたしたちは目の前をふと通り過ぎたこの些細なきっかけの糸をつかむかどうかを、「行動した結果、起こるかもしれない不幸な結末」と「得られるメリット」を心 の天秤にかけて判断している。そして不幸な結末を想像して恥に耐えきれずに、手を伸ばせば届いたはずの些細なきっかけの糸に気づかなかったフリをしてしまう。
しかし万が一この不幸な結末が起こったとしても、わたしたちが失うものは少ない。 あなたは過去に参加したセミナーで誰が前に座っていて、どんな質問をしていたか覚 えているだろうか。 一方で、行動することであなたの状況は確実に変わる。それまで登壇者と聴講者という一方的だった関係性は、質問するだけで双方向のものに変わる。それでも一歩を 踏み出せないのは、恥がわたしたちの冷静な判断力を奪っているのだ。
《恥はチャンスを見つける目印となる》

一歩を踏み出す勇気が必要な場面は、日常いくつもあります。昨今では、zoomの講演会などが終わったあと、チャットで質問する、というちょっとした勇気です。その質問をすることで登壇者と繋がるということはよくあることです。

また、たとえばいいアイデアが浮かんだとして、それを実行に移すという勇気です。その第一歩はまわりの人に話をすること。「こういうことをやりたい」と話すことで、それが実現に向かって一歩進みます。人に話せば、「それならこういう人がいるよ」「こんな参考になる店があるけど」となんらかの情報をもらえる可能性が高まります。

いずれにせよ、頭の中で考えているだけで、それを行動に移さない限り、物事は一歩も進みません。ちょっとした恥をかくことをおそれないこと。それが一歩を踏み出す勇気です。

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