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コンテキストとは

今日のおすすめの一冊は、中野信子氏の『エレガントな毒の吐き方』(日経BP)です。その中から「言いにくいことを賢く伝える技術」という題でブログを書きました。

本書の中に「コンテキストとは」という心に響く言葉より…

京都では、本当に上手なイケズは、棺桶(かんおけ)に入ったときに相手が言われたことを気づくくらいのレベルですよ、と言われたことがあります。この、気づくまでの長さをどれくらいに設定するかは、人によって違うのかもしれませんし、自分は京都の人間だけれどもそんな風には言わない、という人もおいでかもしれません。

また、同じ人であっても、相手との関係性によってその匙加減は変わってきて「どうしても気づいてほしい」と本当に思ったならば、表現はどんどん直接的になるとも聞きます。

こうした柔軟性と申しますか、巧みな“戦略的あいまいさ”とでもいうべき何者かを、縦横無尽に使いこなし、コミュニケーションを高解像度でこなすことのできるすごい人たち…それが、ずっと京都人に抱いているイメージでした。

不快なことを見聞きすれば不愉快ですし、イヤなことをされたら気分が悪いのは当たり前のこと。その当たり前のことを、無視したり、抑圧したりして、なかったことにするのではなく、「エレガントな毒」として昇華しながら、自分の心も相手との関係性も大切にマイルドに扱っていこうという知恵が、京都人たちのイケズの中にはあるように思います。

私自身は少なく見積もっても5世代は江戸に住んでいる家の人間で、遠回しなコミュニケーションというものに慣れる機会もまったくなく、そういったやり方を学べるような先生もおらず、ここまで育ってきてしまいました。

ストレートで四角四面な物言いにしか触れてきていないということは、傷つき傷つけ合いながらの人間関係を生きてくるということでもあり、それはそれでしんどいものです。また、どうしてもごつごつと不格好なやり取りになりますから、どう見てもあまりエレガントではありま せん。 

自分の言い回しがときに単刀直入すぎるということを大人になってようやく知るようになり、反省しなければならないことも少なからずあり、どうにかして含みのあるコミュニケーションを身につけることができまいかと悩みました。 

そんな折、初めて京都の人の言い回しはこうだよということを微に入り細にわたり解説して教えてもらい、それはたしかに、いわゆるイケズというものではあったのですが、むしろ、ああ自分に足りなかったものはこれだと、感動するような思いにもなったのです。

イケズとは、意地悪のことを指すが、わざと人を困らせたり、つらくあたったりすることをいう。現役の若い人は、このような回りくどいことを言わないというが、京都人が長い歴史の中で「よそもん」を排除してきたからだという。

都市伝説のような話だが、有名な話に、「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われたら、「早く帰れ」ということが真意だという。それを真に受けて「じゃあ、お言葉に甘えて、一杯だけ」などと言ったら田舎者だと笑われる、という話だ。

「コンテキスト(コンテクスト)」という言葉がある。「文脈」を意味する単語だが、場面、背景、前後関係という意味もある。日本には相手の気持を察する文化があるので「コンテキスト度」は世界でも最も高いと言われている。

アメリカや欧米は個人主義で、多民族国家なので、「YESかNOをはっきり言う」というように、自己主張しなければ相手に伝わらないからだ。

日本のいい意味での「空気を読む力」「察する力」をうまく生かしていくことは、今後世界でも大切となってくる。

コンテキスト度を高めたい。

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