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相手を不愉快な気分へ突き落とす人

今日のおすすめの一冊は、小池龍之介氏の『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』(幻冬舎新書)です。その中から「イライラするとき」という題でブログを書きました。

本書の中に「相手を不愉快な気分へ突き落とす人」という心に響く文章がありました。

一見楽しそうに目の前でしゃべり続けている人を、一気に不愉快な気分へと突き落とすのに、特に嫌な言葉をかける必要はありません。 

ただたんに、私たちがそわそわと時計を見るそぶりをしてみたり、気がなさそうにあくびをしながらよそ見をしてみたり、あるいは携帯電話をお持ちの方であればメールをチェックし始めたり...。 たったそれだけのことで、相手の中にはなんともえたいの知れぬ落ち着かなさが生じ、スムーズに話せなくなるものです。 

相手から「聞いてない」というシグナルを受け取ると、私たちは突如として「うう...」とギクシャクして話しにくくなる。 「自分の存在が相手に聞き取られ、承認されている」という安心感がないと、まともに話もできないほど、案外私たちはみんな臆病者なのです。

 思うにそれゆえにこそ、「人と話すときは、相手の目を見て話す」「相づちを打つ」「うなずく」などが、礼儀として暗黙のルールになっているのでしょう。いやはや、私たち臆病者同士の相互安全保障として。 

もののわかったインタビュアーが著名人の話を聞き出そうとする際、やや大げさなほど「なるほど!」「うんうん」と相づちを打つのも相手の承認欲=自己愛を満たさないと不快にさせてしまい、話を聞き出せないことを知っているからです。 

この承認を求める自己愛ゆえに、私たちは他人に相談に乗ってもらうときすら、本心ではたいてい「何も意見は言わず、うんうんとうなずいてほしい」と思っているもの。 せっかく意見をもらっても「受け止めてもらえなかった」と不快になりがちなのはそのためです。 

《認めてほしい気持ちが強すぎるからスムーズに話せない》

話している最中、相手が、携帯や時計に目をやったり、全然別のところをチラチラ見たりして、上の空だっりすると、途端に話す意欲がなくなる。人は自分のことを認めてもらいたくて仕方のない生き物だからだ。

「自分の話が価値がないと思われた」「つまらない話だと思っている」等々、考えてしまう。

そんな時は、攻守を入れ替えて、即座に自分が聞き役に徹すること。「自分の話が長すぎたかもしれない」「うけなかったかも」と自分で見切りをつけること。

相手を不愉快な気分にさせる人より、聞き役に徹し、相手を喜ばせる方が、人として数段上の人間だから…。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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