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結果は見えていたとしても

今日のおすすめの一冊は、名取芳彦氏の『和尚さんの 一分で心を整えることば』(永岡書店)です。その中から『「お先にどうぞ」っていつ言いました?』という題でブログを書きました。

本書の中に「結果は見えていたとしても」という心に響く一節がありました。

《浜までは海女も 蓑着る時雨かな》
海に入れば濡れてしまうが、海女は浜までは蓑を着て時雨をふせいで濡れないようにしている――この句は江戸時代中期の俳人、滝瓢水(たきひょうすい)が詠んだものといわれています。
海に入る前に雨をしのぐ海女の姿から、結果が明らかな場合でも、それまではやるべきことをやる大切さを説いています。
「子どものころから私は、自分の思いどおりにならないとすぐにふてくされていました。「どうせ、私のことなんか誰もわかろうとしない」「所詮、人間は立って半畳、寝て一畳さ」「結局、人は死ぬ運命だから」「とどのつまり、疲れるだけだよ」。 思春期を過ぎるまで、こう言って会話を終わらせていました。その回数は、今日の夕飯にカレーライスが出てくる家の数に匹敵するほどでしょう。
問題なのは「結果は目に見えているのだから、何をしても無駄」と考えて自暴自棄になってしまうことです。たとえ結果が変わらなくとも、そこまでのプロセスを存分に楽しむことはできるはず。結果に振りまわされずに“今”を生きるのです。誰しも「死」というこの世の人生の“ゴール”に向かって歩みを進めていますが、ゴールまでをどのように歩いていくかが大切なのです。

2018年7月のワールドカップでの話です。ベルギーとの試合後に日本代表のロッカールームがきれいに清掃された様子がネット上で拡散され、世界的な賛辞を受けました。

ガゼッタ・デロ・スポルトは「KOの日本、ロッカールームを綺麗にして去る。礼儀の教示」と見出しをつけて報じた。同紙は「普通これだけショッキングな敗北を喫すれば、ベンチは壊され、ボトルは床に散乱しているようなもの。しかし彼らは全くヒステリーを起こすことなく去った」と驚きをもって報じた。

人は、スポーツなどで負けた時や、会社が倒産したり、店舗が閉店したりしたような場合に、どんな態度を取るかで人間性がわかります。自暴自棄になり、自分の怒りをまわりにぶちまけ、店などを汚いままにして去っていくのか、反対に今までのことに感謝し、店や会社をピカピカにして去るのか、です。

人の本質は、出処進退、とりわけ「退」のときに出ると言われます。つまり会社や組織を辞めるときです。感謝の気持ちでニコニコして鮮やかに去るのか、あるいはそこにしがみついていて、不機嫌をまきちらして、最後にまわりから辞めさせられるのか、です。

結果が見えている時こそ、最後まで努力を続け、感謝の気持で去りたいものです。

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