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チェスとレート戦 その3

去年の暮にチェスの対人戦をはじめてみた。チェスドットコムというサイトで、じわじわと上がり調子だった。
 それがなぜか調子が悪い日というものがあり、連敗を重ねてたった一日でレーティングを一気に下げてしまった。これまで苦労して積み上げてきたものの一部を、その日だけで失ってしまったような気がした。休日なのに、そのことで心がかき乱されて頭がいっぱいになり、他のことがまったく手につかなかった。
 「もうチェスなんてやめてしまおうか」と何度も考えたし、年会費を払ってるのに退会方法について真剣に調べたりもした。

チェスコムというサイトでは、とにかくレートレートで競争心を煽り立てられるようなところがある。とにかくチェスという種目の競技性を高めようとしてるかのように。そのせいもあって、負けというものがプレイヤーの心にはずっしりくる
 それも、善戦した末に最後に負けたのならまだ納得がいく。問題は、こっぴどい負け方をした時だ。大悪手を連発して、目も当てられない対局を繰り返すような日がある
「こんなはずじゃない、自分はもっと上手く指せるはずだ」そう思って再び対局するのだが、そんなときは“負けは負けを呼ぶ”かのようにまったく勝てない。こちらが優勢なときでも、決定的なミスをなぜかしてしまう。たとえば、相手に一手メイトを決められたり、一方的に駒損したりするのだ。
 チェスの対人戦で負けを取り返そうとするときの心理は、さながらギャンブラーが負けを取り返そうとするときと極めてよく似ていると思う。どはまりして、そこからなかなか抜け出せない。

そういう時のために、株式の世界でいうところの“ストップロスオーダー”があればいい。たとえば、「一日で3回負けたら、その日はもうやめる」というルールをおれは決めていた。にもかかわらず、先日はずるずると6連敗もしてしまった。
 そしてこんどは、「アプリタイマー」を導入することにした。チェスアプリを3時間やったら、そのアプリは翌日になるまで自動停止する、みたいなやつだ。これは強制力があるので、一定の抑止効果が期待できると思う。

あとは、チェスにおいてどうやってミスを防ぐのか? なぜ、調子がとりわけ悪い日があるのか? という課題がのこる。
 先日読み終えた本に、認知心理学者のダニエル・カーネマンらによる「NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか? 上下」という本があった。その中で、人の直感ほど当てにならないものはないが、人はしばしば自分の直感を過大に評価するのだという。そして、人間はノイズとバイアスに左右されやすいことを力説していた。それを防ぐために、判断ハイジーンなる一連のツールを紹介していた。
 チェスにおいて、判断ミスを防ぐためのツールや考え方があるならいいと思っている。調子がいい日も悪い日も、一定の実力を発揮できるようになりたいからだ。おれが考えているのは、以下の着眼である。
①敵味方ともに、一手メイトを決められないか?
②自分のどの駒が攻撃されているか?
③敵の駒でただ取りできるものはないか?

以上の着眼点を、一手一手の局面ごとにごく短時間に意識するようにしたいと思う。
 これらはチェスのプレーヤーにごく当たり前のものだ。しかし、対局の最中には視野が狭くなりがちになり、注意力が散漫になる瞬間がかならずあるものだ。

チェスの対人戦をはじめたことで、無味乾燥な自分の人生にハリが生まれたようにもおれは感じている。しかしその一方で、勝ち負けに左右されるものに自分の人生が振り回されていいのか? という懸念もある。
 チェスをあくまで真剣な趣味としてではなく、暇つぶしくらいに気軽に考えておいたほうがいいのかもしれない。

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