近視、虫歯、若禿げ、HSP…弱者のための戦術はあるのか?

おれは運がわるく、いろんな意味で恵まれていなかったと思っている。
 そのことを、自分の身体面と精神面から説明してみたい。その上で、この世の中で弱者が強者と渡り合っていく方策はあるのだろうかとふと思う。

身体面では、子供のころからの強度近視、歯質がわるく虫歯になりやすいこと、そして若禿(20代前半から)が挙げられる。それぞれをくわしく見ていきたい。
 強度近視は、少なくても小学生のころからそうだった。高学年になると初めてメガネを作り、それ以後はずっとかけるようになった。しかし、どんどん近視が進行するのと、矯正した視力で近くを見ると眼に負担になることに気が付き、メガネを2つ持つようになった。遠くを見る用と、近くを見る用のメガネである。
 21歳のときにレーシックという近視矯正手術を受けて視力が劇的にアップしたが、十年以上の時をへて近視が発生してきた。遺伝的に近視になりやすい人間は、いくら努力してもなるということか。いまでも普段の生活にはメガネが必要になり、近くを見るときにはそれを外すようにしている。
 歯質がわるく虫歯になりやすいことに関して。小学生〜中学生のころにかけて、永久歯に生え変わるわけだが、どんどん虫歯になっていき、銀歯の被せ物を詰めるようになった。とくに他の子どもと比べて食べ物が悪かったわけでもない、なのに虫歯で歯を削る羽目になった。
 今では多くの歯は銀歯に覆われ、歯頚部にもなんらかの詰め物が入っている。ほぼ毎食歯を磨いているが、それでも歯の定期検診にいくとどこかしら虫歯が見つかったりする。歯医者も、歯質がわるい、とは口にしていた。ならどうすればいいのか?
 最後に、若ハゲについてである。たいていの男性は40代とか50代になって薄くなり始めるかもしれないが、おれはなんと、20代のはじめからである。おかげでずいぶん苦労したり、つらい思いをしてきた。
 そうなったきっかけは、自衛隊に入隊して集団生活のストレスや、ヘルメットや帽子で頭が蒸れることからだろう。それでも、ほとんどの隊員は薄毛とは無縁の中で、おれだけだそうなったのはやはり遺伝的なものだろうか。
 たとえばテレビの芸人とかで、薄毛や坊主頭の人をみかける。よく見かけるのは、“あばれる君”とか“小峠英二”さんだろうか。この人たちは、テレビの前でこそ明るく陽気に振る舞ってるけど、その頭髪のせいでこれまでにどれだけ苦労してきたのか、想像にかたくない。毛フサの男性や女性たちには、この苦労はわからないだろう。

次に、精神面についてである。
 子どものころから泣き虫で傷つきやすく、学校の先生の面談では、このさき人生苦労する、というようなことも言われたらしい。いまでいうHSP(超敏感者)に該当すると思う。
 いろいろなことに気を配り、細かいことに気がつく反面、そのぶん気疲れしやすく、注意力散漫にもなりやすかった。通学時の満員電車とかも、乗ってるだけでくたくたに疲れてしまう。学校を出た後は自衛隊に入ったが、しょっちゅう「元気がない」とか「覇気がない」といわれて怒られてもいた。

彼は私の禿頭を、私の弱視を、細い脛を、低い背丈をからかった。自明のことを耳にすることが、どんな侮辱になるのか。
 セネカ「賢者の恒心について」

このように、身体面と精神面から、おれは恵まれていなかったと思っている。しかし自分の手相をみると、運がいい人にでるとされる神秘十字線や仏眼相もあるのだ。
 生まれつき障害や難病を患ってるわけではないけれども、自分は恵まれていない、そのためにこれまで苦労もしてきた。それでも人生生きていかなきゃならない。それではどのように向き合っていけばいいのか。
 たとえば、なまじ自分の弱さを自覚してる分、人並み以上に生活面に気をつけているというのはある。食事とか運動とか生活リズムとかである。
 また、弱者のための哲学や思想を取り入れるようにもなったといえる。たとえば、沖仲仕の哲学者、エリック・ホッファー自伝には影響をうけた。ホッファーは、聖書が弱き者こそ讃えているのは偶然ではないとして、弱者がもっている強烈なエネルギーや弱者が果たす独自性に注目していた。
 ホッファーによれば、ニーチェやD.H.ロレンスは強者ばかりを称えていて、弱者が果たす役割を見落としているのだという。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?