見出し画像

気づくと半年も書けなかった。

つづきは何を書いたらいいんだろう……そう考えていくうち
書けなくなった。いや、実際には毎日のように書いてはいた。
必要にかられて書いていた備忘録みたいなものは。

ただ、日記というかつぶやきというか小説というか、思いつく
ままに書いていたnoteの本来の趣旨である文章は書けなかった。
まるで小説家がライターズブロック(書けない病)にかかった
ように。

僕は脚本の本や作家、画家、音楽家などの芸術家たちが創作活動
に入れなくなったときの本なども読んでいた。そうしたらふとし
たことでどうしても書けなくなり、薬を使ったり、アルコールを
飲んだり、引きこもりになるように絶不調になることもあると知
った。しかしそういう状態になるとわかったからこそ、自分が書
けなくても割と平気でいられた。

が、アメーバの何かしらテーマがあって書いている。けれど前み
たいに人とからむことがなくなったからオオカミの遠吠えのよう
に書いていると、ふともの悲しくなってくる。特にここのところ
友だち(人とのつながり)を増やしたい、みんなの中心にいたい
と想うようになってからは――。

かつて僕はひとりだった。輪の中に入れず、もがいていた。転校
ばかりして孤立していた。やっとこさでクラス替えのタイミング
でリーダー役を示すことができたときは有頂天だった。みんなの
人気者になれたからだ。

けれどけっして自分が自分が――という姿勢ではなかった。誰で
もいいところがある。という目で見てなるべく嫌いにはならなか
った。だから誰とでも遊び、仲良くしていた。分け隔てせず、み
んなを応援していた。だからみんなから学級委員になってくれと
言われた。あのときの、小学校5年の時の思い出をいまも繰り返
している。

だが時は移り変わり、何十年も過ぎた。するとよかれと想ってや
っていても想うようには理解してくれない。そんなときにとても
さびしい気持ちになる。

でもこうして自分の想いを率直に書いていると、とても落ち着い
てきた。小説家や画家、音楽家が想いの丈を作品にぶつけるよう
に、これから遠慮せず、どんどんぶつけて行こう。誰がどう想お
うと関係ない。自分が喜んでいればいいのだから。

あぁなんかうれしくなってきた。これこそが真のクリアリングだ。

アメブロとは違って、ひろの、ひろ健作の想いをそのままぶつけ
ていこう。読むだけでも何かしら感じられると想う。そうしたら
いいねとかコメントを入れてくれたらうれしい。

追伸)小説「エリック優雅なる生活」の続き、また書いていきます。

この記事が参加している募集

note感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?