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いつもぼくは ひとりだった。

どんなに友だちになれたと想っていても
ふとしたときに意見がぶつかったりして
だんだんとすれ違ってくる――そんな気に
なったことはないだろうか?

小学生の頃、ぼくは転校ばかりしていた。
5つ変わっただろうか。編入するときは
いつも輪の中に入ろうとして苦心していた。

だがいつも、入ろうとしてこびを打っている
自分がそこにいて、苦労するのだった。

あるときはつまはじきに遭い、
あるときは仲間外れにされる。

ガキ大将のような奴に嫌味を言われ、
苦笑いするのが常だった。

一番印象的だったのが小5から6の頃。
クラス替え直後の小5ではみんなの人
気者になり成績はグングン急上昇して
行った。

一方転校後編入した小6では陰湿な雰
囲気でやることなすこと空回りした。
転校前の学校で通用したユーモアが
ことごとく通用しなかったのだ。

女の子にも人気だったのに
ここでは自分は通用しないのか。
愕然とした。

やっぱりひとりだ。

どんなに仲良くなったとしても
転校で崩され、結局はバラバラになる。

父の仕事に対して腹立たしい気持ちがした。


最近気づいたことがある。

ぼくはずっと友だちを探していた。
心から気を許せる友だちを。

いまのいままで気づかなかった。
これまでの人生を振り返ってみたとき、
「友だちになれた!」ことが
最大の喜びだった。

有名人や女の子、男の子、気難しい人、苦手な人……
ハードルの高い人と仲良くなれたとき
気が優しい人と出逢えたとき
このうえない喜びを感じた。

自分の想いの丈を話せることが
喜びだったのだ。

だが、気づくといつの間にかひとりになっていた。
あの転校で味わった孤独感がトラウマとなり、
さびしさがどこからか襲ってくる。

それに、一緒にいられる喜びはあっても
どこか背伸びしている自分にも疲れていた。

やっぱりひとりだ。
いつもそう想っていた。

けれど意外と人も自分を見せていないかも
しれない。自分を隠し、取り繕う。

きっとそうに違いない。

そう想って自分をさらけ出すようにすると、
何だかわかるような気がしますという人が
増えてきた。

あまりに気さくで人懐っこく接するものだから
一時的に誤解されることもある。

ひょうきんで明るくて屈託ない。
悪く言えば場の空気を乱しかねないと。

けれどぼくは変わってない。昔からずっと。
ずっと友だちを探してきた。何でも話せる友だちを。

そう話すと20代、30代、40代年齢問わず
話が合う。誰しも同じ気持ちを持っている。
そう気づいてきた。

一般の人だけじゃない。
有名人、アーティスト、先生と呼ばれる人たちも
さほど変わらない。自分を取り繕い作っている。
だからキツイ。

いま、これから自分は
どんどん自分を出していこう。

そうして自分の可能性を広げていこう。
こんなぼくだからこそできることがある。

誰にでも可能性がある。そう想うから。
だからその想いを伝えていこう。

ひろ健作

公式サイト http://www.kensakudo.com/
〃 ブログhttp://ameblo.jp/hiro-reiko/
【note】https://note.mu/hiroreiko

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