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ネットには知りたいことの1割も載ってない/歴史学における史料批判

佐藤大朗(ひろお)です。会社を休んで、三国志の勉強をしてます。
大学院の研究者と接点を持つようになり、思ったことがあります。

ネットには、知りたいことの1割も載ってない!!

だれが言ったか知らないけれど、だれもがみんな言っていますし、わざわざ自分で言わないまでも、何となくそう思っていますが…、
「ネットには大半のことが載っている」、「知りたいことはネットで知ることができるようになった」、「大学のレポートを、Google検索とウィキペディアだけで完成させることができる」とか、聞くじゃないですか。

しかし、ちょっとでも、何かを真剣に知りたい!できるようになりたい!
と思ったひとならば、頷いて頂けると思うんですけど、ネットには、知りたいことの1割も載ってない!!

とてもシンプルなことですけど、だれかがネットにアップロードしないと、ネットにその情報は掲載されないんですよ。当然、検索でヒットすることもありません。
アップロードするには、理由や動機、目的が必要です。だれかが、何らかの理由や動機、目的をもっているから、アップロードされます。ぎゃくにいうと、理由や動機、目的がなければ、永遠にネットに載らないんです。

ウィキペディアなどは、善意とボランティア精神で運営されている「集合知」として、ネットの成功例、好例とされます。「ややそう思う」んですけど(アンケートの選択肢にありそうな、謎のあいづち)、だとしても、知りたいことの1割も載ってないと思うんですよ。

おおくの場合、やっぱり、金銭的な裏づけ(要するにお金もうけ)が、ネットに情報を載せるための、理由や動機、目的です。
しかし、それだけでは、知りたいこと、知ってできるようになりたいことの1割もカバーされない。ということに、いよいよ気づき始めました。

ぼくは、歴史学をやるんですけど、
なぜその記録が作られたか、なぜその記録が(抹殺されず)存続したか、なぜその記録が今日まで残っているか、を考えることは大事です。
「史料批判」といいます。

ネットも同じだなと。過剰に期待するでもなく、かといって、ネット無用論を振りかざして落胆するのでもなく、知りたいことの1割ほどを埋めるためのツールとして、活用していきたいなと思います。

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