ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」 何かしら心休まるもの

1960年かそこらのハイスクールに入ったときには、僕はいつもひとりでいる人間になっていた。まるでもう貝殻のように固くなってしまった皮膚。僕はパーティやペップ・ラリーや、愛校的行事の一切を避けた。僕は自分の居心地の良い繭の中に、個人的な世界の中に閉じこもった。そこがぼくの世界だった。隠者のように。ウィリアム・カウリング、孤高のローンレンジャー。外から見るとそれは不健全に見えたかもしれない。でも正直なところ、それがぼくの求めていたものだった。僕は我関せずという態度をとっていた。いくぶん傲慢で、いくぶん喧嘩腰だった。僕はハイスクールのくだらないシステムにうんざりしていた。体操の教師やら、頭の足りない運動選手やら、果てしのない悪戯やらゴシップやら、からかいやら、がっちりと固まった排他的な仲良しグループやら、そういう何もかもに、頭から尻尾まで、とにかく大嫌いだった。

そんなものどうして必要なのだ?

ホーム・カミングがどうして必要なのだ?

チア・リーダーやフットボールやダンス・パーティやちゃらちゃらしたバトン・ガールがどうして必要なのだ?

友達なんてものがどうして必要なのだ?

僕は僕なりの偏屈なやり方でそんな閉じ籠もり生活に適応した。僕は夏になると町の背後に聳えたつ山にひとりで登り、緊張も体のこわばりも捨てて、その紫色をした断崖や渓谷の中でえも言われぬ孤独に浸った。あちこち歩き回り、探索し、水晶や長石や花崗岩の塊を集めた。僕は石たちに親近感を覚えた。石は安全だった。彼らは気に障ることも言わなかった。日が暮れると部屋に鍵をかけて閉じ籠もり、何時間も賭けて雲母のかけらひとつを磨き上げ、不純物を削りとり、つるつるとした油のようなその表面に指先を滑らせた。そこには何かしら心休まるものがあった。僕と自然元素だけ。


ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」

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