マガジンのカバー画像

ロシア旅行

41
これがロシアだ! Это Россия!
運営しているクリエイター

記事一覧

2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(船の中編)

 以前、富山からウラジオストクへ行く海賊船まがいのフェリーを紹介したが、どうもロシア人の…

飯田浩志
1年前
1

2016年中露国境+東シベリア旅行(000)

 昨日(当時)、ロシア国内の列車の予約を終えました。ネットでいろいろなサイトを調べまして…

飯田浩志
1年前

2016年中露国境+東シベリア旅行(00)

 本日(当時)、ロシアビザのシールが貼られたパスポートが返ってきた。現パスポートは発行か…

飯田浩志
1年前
1

2019年中央アジア+エカテリンブルク旅行(0)

 (当時は)何もするにもグズで決断できない優柔不断な私ですが、ついに恒例の夏季のアジア遠…

飯田浩志
2年前
4

2016年中露国境+東シベリア旅行(0)

 本日(当時)、恒例の「夏のアジア遠征」に関する航空券の手配を行い、予約が完了しましたの…

飯田浩志
2年前
2

2018年中露国境旅行(0)

 ついに私は決心しました(当時)。この夏のプチ家出(といっても一人暮らしなのですが)の行…

飯田浩志
2年前
3

1991年ソ連旅行(ソ連概略版)

 大学5年生に留年旅行をした。中国東北、東清鉄道、イルクーツク、中央アジア、ハバロフスク、新潟というルート。この年の夏にソ連が崩壊。崩壊寸前のソ連経済を体感した。  ソ連旅行は全てホテル、飛行機などを事前手配しないと原則ビザが下りない。当時のレートは、1ルーブル250円。ぼったくり。ところが現地レートでは1ルーブル4円。闇レートにあわせたのかもしれない。これが実勢レートだろうが、あまりの差に、そのニュース自体が信じられなかった。このころ、ソ連ではタクシー代をマルボロひと箱で

ツポレフ154

 ウラジオストク航空のツポレフ154でウラジオストクから釜山へ行くときのこと。  乗客は…

飯田浩志
2年前
3

2015年エカテリンブルク+カザン+イスタンブール旅行(番外編)

 この日は、深夜の2時発の飛行機でカザンからイスタンブールへ移動するが、それまではフリー…

飯田浩志
2年前
3

2004年ウラジオストク旅行(船の中編)

 海外に行く手段として、大抵は飛行機を利用する。ところが、船に乗っていくと、いろんなタイ…

飯田浩志
2年前
7

2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(列車編)

 2010年7月@ウラジオストク 中国ハルビン行き列車。ソヴィエツカヤガヴァニ行き列車の…

飯田浩志
2年前

2011年モスクワ+イスタンブール旅行(1)

 ソ連やロシア、旧ソ連エリアに何回か忍び込んだが、肝心の「悪の帝国」の本丸ことモスクワに…

飯田浩志
2年前

2004年ウラジオストク旅行

 船旅は、船が揺れると船酔いしてしまい、しかしながら逃げ場所がないので、ひたすら耐えるし…

飯田浩志
2年前
1

2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(2)

 ハルビン行き列車は夕方に発車。実際には間宮海峡の街ソヴィエツカヤ・ガヴァニ行きの一番最後に一両編成で併結されている形。車掌に切符を提示。車内はごく標準的な普通の2等寝台、クペー(Купейный)。ただし上段の寝台はすべてたたまれている。車掌は2名いるが、乗客はまだ私一人、と思っていたら結局そのままウラジオストクを出発してしまった。  列車は1時間少々走ったらウスリースクに到着。ここでソヴィエツカヤ・ガヴァニ行きの編成から切り離され、引き込み線に留置されたのちに一晩停泊。