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2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(2)

 ハルビン行き列車は夕方に発車。実際には間宮海峡の街ソヴィエツカヤ・ガヴァニ行きの一番最後に一両編成で併結されている形。車掌に切符を提示。車内はごく標準的な普通の2等寝台、クペー(Купейный)。ただし上段の寝台はすべてたたまれている。車掌は2名いるが、乗客はまだ私一人、と思っていたら結局そのままウラジオストクを出発してしまった。

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 列車は1時間少々走ったらウスリースクに到着。ここでソヴィエツカヤ・ガヴァニ行きの編成から切り離され、引き込み線に留置されたのちに一晩停泊。走るホテル、いや走らないホテルだ。いやいやホテルなんて走るモノじゃないだろ。ただひたすら列車の中で明日を待つ。

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 未明ごろ、列車に軽い振動が走る。おそらくハバロフスクからハルビン行きの編成が併結されたのだろう。といってもこちらも1両編成。ウラジオストクへ向かう列車から切り離されたのに違いない。あちら側は中国人が数人乗車している。朝になり、豪華2両編成の国際列車は国境に向けて出発。ここからが、帝政ロシアが極東侵略、もとい進出のために建設したウラジオストクまでのシベリア鉄道のショートカット線である東清鉄道。この歴史的事実について感慨に約2秒ほどふけったが、列車はそんなことあったけと言わんばかりにごとごととゆっくり走っていく。

 ロシア側の国境駅、グロデコボに到着。ここで車両から降ろされ、駅舎の2階で数時間待機。駅の周りは本当に何もない。ロシアと中国では線路の幅が異なるため、この駅で車両の台車を交換するという作業が行われるが、たった2両の台車を付け替えるには十分すぎる時間だ。走っているより停まっている時間の方が圧倒的に長い。

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 やっとこさ出発。その前にロシア出国審査。係官は私のパスポートが日本のものであるのに軽い衝撃を受けたのか、一瞬表情がこわばる。こんなところで日本のパスポートを見るとは想像もつかなかっただろう。その割にはというべきか、それともそれだからというべきか、別に珍しいわけではないだろうに、穴が開くほどに私のパスポートを念入りに眺めている。そして別の係官を呼びにいった。上官かもしれない呼ばれた係官は呼んだ係官となにやらゴニョゴニョ話したのち、私に対して「Do you speak English?」と訊いてきた。少し、と答えはしたものの結局それ以上は何も訊かれず、パスポートに出国スタンプが押されて返ってきた。たぶん日本のパスポートなど見なかったことにしたのだろう。お勤めご苦労様、同志!

 いよいよ国境越え。野原と山の景色が交互に現れる。この国境に緩衝地帯があるのかわからないが、意外と長い距離を進んでいく。結局どこが国境ラインなのか確認できなかった。
 途中信号場に停まり、反対列車を待避。グロデコボ駅で中国車と思われる、国境間のみを走る車両を併結しているが、あちら側はロシア車側の国境列車らしい。
 1時間程度は走っただろうか、突然山が開けて街らしき景色が見えてきたらそこが中国側の国境駅、綏芬河。

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 綏芬河駅に到着し、荷物を抱えて列車を降り、駅舎内で入国審査を受ける。係官からなにやら簡単な質問を英語で受けるが、一瞬理解できず「アん?」て言ってそれ以上答えなかったら、結局それ以上何も訊かれず入国スタンプを押されてパスポートが返ってきた。だったら初めから訊くなって。
 列車に戻り、荷物をコンパートメントに戻すと、車掌から「街に行くのか、それともここに残るか」と訊いてくる。こんなところで昼寝していると、夜眠れなくなるので、街に出ると答える。
 ここは辺境中の辺境の駅だが、その割には駅が立派だ、と思ったら、そこは国際列車用の駅だった。今はもう閉まっている。その先にあるのが通常の駅だ。こちらの駅舎は辺境の駅っぽいくたびれ具合だ。
 綏芬河の中心地は駅から少々離れているが、歩いていく。ここも坂の多いところだ。
 いわゆる繁華街に着いた。というか、こんな辺境に繁華街が存在することが驚きだった。我が街豊川市に隣接する、東三河の中心地豊橋市よりよほど賑やかである。中国は本当に人もお金も余っているらしい。それに対して国境の反対側の極東ロシアは、その中心地のウラジオストクでさえ、街の活気というものが感じられない。これでは当局がコントロールしないと、中国側の人と資金が国境を乗り越えて極東ロシアを飲み込みかねない。勢いというものが全く違う。それをヨーロッパとアジアのキャラの違いとみることもできないことはないが、この街を見ていると、極東ロシアにとって中国が脅威であることがわかる。もっとも中国にかかると、極東ロシアも歴史的中国であると言い出しかねない。璦琿条約と北京条約で「不当に」ロシア領とされた領土だと本音では思っているのではないか。
 街散歩もあきたので、まだ出発までかなり時間があるが駅に戻る。国際列車の乗客は別の入口があるのかもしれないが、普通の待合室で出発を待つ。ようやく改札が開いた。自分は改札で国際列車の切符を見せる。駅員は「なんだコレ?」という表情をしたが、中国語で喚かれる前に「ウラジオストク!」と言うと、駅員は、理解したのかどうかはわからないが、通してくれた。ちなみに同じコースを10日ほど前に通過した旅行作家の下川裕治さんは、その著書「世界最悪の鉄道旅行(新潮文庫)」で綏芬河駅での顛末というかトラブルをくわしく載せている。プラットホームに降り、ウラジオストクからのロシア車両にたどり着く。車掌が「おかえり~」と言う具合に迎えてくれた。まともに走っている印象がほとんどない国際列車のラストランが始まった。

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