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2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(列車編)

 2010年7月@ウラジオストク 中国ハルビン行き列車。ソヴィエツカヤガヴァニ行き列車の最後尾に連結された1両だけの国際列車。36人乗り車両に乗客は自分だけ。
 ウラジオストク駅は極東アジアの中のヨーロッパ、モスクワへの窓口。日本から飛行機で2時間のところに突如現れるヨーロッパには驚かされる。

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 夕方前に列車が入ってきた。長い編成の中、切符に記載されている車両を探す。ハルビン行きは、間宮海峡の町ソヴィエツカヤガヴァニ行きの車両20両ぐらいの後ろに1両だけひっついている。女性の車掌に切符を見せてコンパートメントに案内してもらう。

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 コンパートメントは1部屋4人で2段式のベッドが2つある。ソヴィエツカヤガヴァニ行きの車両はそれなりににぎわっているが、ハルビン行きは隅っこだからなのか、誰もいなくてしんとしている。結局乗客は自分ひとりだけ。こういうのもぜいたくというのか。

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 ウラジオストク郊外をのろのろと1時間ほど走り、夕方にウスリースクに到着した。
 ここは分岐点。帝政ロシアが極東侵略のために中国で敷設した元東清鉄道が分岐する。車両はここで切り離されて1両のままウスリースクで1晩止まる。ホテル代わりか。列車内なのに景色が変わらないのは、昔日本にあったSLホテルのような状況か。夜行列車や夜行バスにのっていて長時間停車すると目が覚めることがある。そんな感じ。それが一晩つづく。韓国製カップラーメンをたべて、読書にあきたら、寝るしかない。
 朝になったら、ハバロフスクからハルビンに行く車両1両がひっついていた。

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 ようやく出発した。国境にむけてやはりのろのろ走る。
 国境の町グロデゴボに到着。ここから線路の幅が変わるので、台車を付け替える。なぜかここでも数時間待機。のどかな田舎駅の2階でひたすらぼーっとしている。

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 出国審査の時、何か問題があったのか、なにやら数人の係員が話をした後に、自分のパスポートを持って「Do you speak English?」ときかれたが、それ以降はなにも言ってこなかった。聞くだけ無駄と思ったのか。
 やがて列車は1時間程度かけて国境を越える。森と平原の繰り返し。携帯電話の電波の受信状況を見ていた。ロシア側になったり中国に変わったりの繰り返し。

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 中国側の国境、綏芬河に到着。ここでもまた数時間とまったまま。もう走っているより止まっている時間の方が長い。

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 綏芬河は国境の田舎町のはずだが、中心地は少なくとも豊橋よりよほどにぎやか。中国は人もお金も余っているらしい。極東ロシアにとって中国が驚異であることがよくわかる町。田舎でもこんなんなのに、ウラジオストクは「もうなんだか疲れちゃった モスクワに帰りたい」という雰囲気。

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 夜に綏芬河を出発し、あくる朝にハルビンに到着。何のために走らせているのか、よくわからない列車の旅がここで終った。

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