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「小説とは決して自由に書いて良いものではない」

 小説とはなぜ、小さく説くと書くのか?

 説くとは、物事や事情の成り行きを説明するという意味。これはそのまま小説のストーリーと置き換えることができる。しかし、問題はなぜ「小さく」なのか?

 小さいを辞書で引くと
「体積、面積などがわずかな場所を占める」という意味がある。これを小説で当てはめれば、作者の意図する「限られた世界」と言えるだろう。限られた世界とはすなわち、「定められた主題があって、それに応じて小説世界を構築すること」に他ならない。

 つまり小説とは、「作者の意図のもと、定められた主題に基づいて創られた小説世界で起こる物事の成り行きを説明すること」
と定義することができる。しかし、
小説世界を創るということと、説明するということはイコールではない。

 小説において、説明するというのは、描写を駆使して、世界を創り上げ、そこにキャラクターを置き、そのキャラクターが「限られた世界の中」で物語を牽引していく。それが小説的説明である。一般的にいう説明を小説にあてはめたら、それは単なるあらすじになってしまうだろう。

 では、以上を踏まえて小説を書く上で気をつけなくてはいけないことはなんなのか?
それはズバリ、限られた世界から逸脱してはならないということである。

 小説は自由なものだと思われがちだが、その自由はあくまでも規定された世界の中での自由である。

 定められた主題を土台にして、小説世界を構築したなら、あくまでもその規定に則って舞台をつくり、キャラを設定しなくてはならない。

 規定された世界から逸脱してしまえば、それは荒唐無稽な物語になり、小説的リアリティからどんどん外れていく。小説的リアリティとは何も現実か非現実かという物差しではない。非現実を否定するなら、SFやホラー小説は小説ではないということになってしまう。

 そうではなく、確固たる世界を創り出すことが小説的リアリティである。そこに現実非現実の境はない。村上春樹さん曰く「私が現実を書こうとすると、どんどんリアリティから外れていく」という。現実というのはあまりにも混沌としていて、一部を切り取って小説世界を作ろうとすると逆に荒唐無稽な世界になってしまう、ということなのだろう。

 小説においてリアリティがあるというのは、あくまでも作者によって創造された世界が読者の共感を呼ぶことに他ならない。そのためにはまず、小説は自由に書けば良いという概念を捨てることだ。

 

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