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しょっぱい風

「なんでしょう?こう、報われないというか、いや、一生懸命に生きてるだけなんですけどね、別に人様に迷惑をかけようだとか、そんな気もさらさら無いし、こう、なんというか、自分がこうしたいな、ああしたいなって思って、それに向けて頑張ろうとしたら、まあ、それはそれは細かい邪魔ばっかり入って、様々瑣末な難事が、降って湧いたかのごとく、徒党を組んで私の行く手に立ち塞がるんですね。まあ、他の人からすれば、そんな事当たり前で、平然とそれらを突破して、別に難事だとか思わないのかも知れません。ですがね、私はその『他の人』ではないんです。『私』は私、それ以上でもそれ以下でもありません。なのでそのひとつひとつに一喜一憂してしまうんです。だから赤信号でさえ、腸の煮えくりかえるかのように、憎たらしく感じる毎日なんです」

隣に居た男は、急に喋りだした。
「え? あ、はあ」
藪から棒な展開に僕は、生返事で応えるのみ。
「今日だってね、私、ラーメン食べたかったんですよ。それ自体、悪いことでもなんでもないでしょ? 仕事も定時18時までだから、別に行けない訳でもないじゃないですか?なんで、今日頑張った自分のご褒美にって、頭も口の中もラーメンだった訳ですよ。んで、出勤して、仕事してたら、昼から出勤予定の後輩が出勤して来ない訳ですよ。電話してもすぐに留守電に繋がるし、まあ、同僚達と彼が残してた仕事片付けてたら、彼のクライアントから電話掛かってきて、今日納品予定の資材が届いてない!って、お怒りな訳ですよ!丁重にお詫びして、発注状況見たら、発注書のFAXが届いて無かったようで、その旨お伝えしたら、まあ!烈火のごとく怒られましてねぇ!『あんたんとこのFAXの受信状況なんざ、こっちは分かんねえんだから、ちゃんと受信出来る環境整えとくのが筋だろうよ!』って、バキバキに怒られちゃいまして、もう埒が明かないって思って、『今から届けます!』って言って、なんとかその場は納めたんです。んで、運搬用のトラックを確認したらこんな日に限って全部出払ってて、1台も残ってない訳ですよ。今日届ける!って大見得切った手前、抜いた刀は戻せなくて色々考えた挙句、誰かが言ったんです。『西川さん、こないだ四駆買いましたよね?申し訳ないけど、それで運んでくれないかな?』って」
目を丸くしながら、怒涛のように今日の出来事を並べ立てる西川という男。見るからに真面目そうで、嫌とは言えないタイプな男のようだ。だけど、この男がなんの仕事してるかも分からないので、言ってる事がよく分からない。
小さな街のバス停に佇む二人の中年男性。西川という男の喋りっぷりからしたら、周りからは知り合いに見えてしまうだろう。僕はこの場から逃げ出したかったが、次のバスを逃すと、家に帰れなくなる。
あと10分。あと10分すればバスが来る。それまでの辛抱だ。
「まあ、仕事ですから、嫌とは言えなくてね、1メートルの鉄柱100本載せて、納車ホヤホヤの四駆で、遠路遥々運びましたよ。でね、話はそれだけじゃなくて、」
西川の口から、白く玉になった唾が四散する。それを避けようとしたけれど、運悪く買ったばかりのスーツの袖口やら、肩に散々降り注がれた。
「クライアントは16時迄に持って来い!って言うんです。で、時間は14時ちょい過ぎ。車で1時間あれば着く現場なので、大丈夫だろうってタカをくくって出発したのが、甘かった。ちょうど今日は大通りでは歩行者天国があってて、交通規制な訳ですよ。そしたらまあ、大渋滞!大通り出てから30分、びくともしないんで、もうイライラして、致し方ないから信号のない裏道通って行こうと迂回した訳です。そしたら、みんな考えることは一緒で、狭い道も大渋滞!もう頭に来ましてね、車ん中でふざけんな!とか、バカヤローだとか、大声で叫びましたよ。んで、現場着いたのが17時30分。そこの現場監督にしこたましぼられましたよ!工期が遅れたら御社の責任だ!って。私個人が悪い訳ではないんですが、取り敢えず平謝りして、何とかその場を切り抜けましてね、それからもまだあるんですよ!」
「あ、あの、すみません、お仕事の愚痴は職場の方に零して貰ってもいいですか?僕も疲れてるんで、静かにしておいて貰えますか?」
勇気を振り絞って、僕は声をあげた。すると西川という男はニヤリと笑って、
「そんな事だろうと思いましたよ。あなたも私と同じ部類の人間だ。まあ、最後までお聞きなさいな!」
ダメだ……全く他人の話が聞けないタイプの人だ。
「でね、また帰りが渋滞に巻き込まれましてね、職場に戻れたのが19時30分。戻ってみたら同僚は定時の18時で帰ってて、だーれも居なくてね、また頭に来ちゃいまして、職場の壁を思いっきりなくっちゃいまして、このザマですよ」
 そう言って西川はぱんぱんに腫れた右手拳を僕に見せ付ける。
「んで、最初、ラーメン屋行きたいって言ってたでしょ? まだ仕事残ってたんですが、誰も労ってくれないので、せめて自分へのご褒美として、切り上げてラーメン屋に向かった訳ですよ!そしたら、スープ切れやら、店休日やらで、何処にも入れない始末。そうこうしている間にパンッ!て激しい破裂音が車後方からしましてね、急ブレーキかけて停まって、見に行った訳ですよ。そしたらもう!後輪がパンクしてる訳ですよ!なんかでっかい釘かなんか踏み付けたらしく、物の見事にバーストしてる訳!頭に来つつもスペアタイヤに交換しようと、後部座席開けたら、入ってないんですよ!タイヤが!もう、ブチ切れましてね!ディーラーの携帯に電話かけたけど営業時間過ぎてるんで、出やしない!んで致し方なくJAF呼んでレッカーで運んで貰って、私は徒歩でこのバス停まで来た訳ですよ!もう足はぱんぱん!」
そう言いながら自分の足を憎たらしそうに叩き付ける西川。
「んで、誰かにこの気持ち聞いてほしくて、そしたらあなたがいたもんだから、つい、ごめんなさいね……急に変な話して。でも、私が言いたかった事、あなたなら分かるでしょうよ。なんかね、一個面倒が起きると、それに付随して、右へならえでみんなそちら側に振り切ろうとするんですよね。1個一個は大したことではないんですけど、」
 急にしおらしくなる西川。そして口をつぐみ、周りは静寂に包まれた。





「おい!あんた!」

え?

「あんた、もう最終のバスは終わってるで、そんなとこに居ても朝まで誰も迎えに来んで」
「はあ」
目の前には、犬の散歩をしていた肌シャツと短パン姿の初老の男性が、恨めしげな表情で立っていた。
何気に身体中が痛い。僕は眠っていたようだ。絶妙な角度で項垂れていた首が、筋を違えたように無性に痛い。
「あいててて……」
男の声に応えるように立ち上がり、左隣に目を向けた。
「あれ?」
そこには誰も居なかった。あの西川という男が、つい先程までベラベラと喋っていたはずなのに……
「あの、ここに誰か他にいませんでした?中年くらいの男性が……」
「いやぁ、誰もおらんで。俺ぁ、あんたがずっとずっとひとりでいるとこしか見とらんで」
「どのくらい前からですか?」
「かれこれ2時間くらいでねぇか?ほら、俺んちはあそこの赤い屋根の家だて、ここは家から見えるんだわ。んで、あんたがずっと動かんので不安になって、シロの散歩がてら見に来たで」
シロと呼ばれた犬は飼い主の発言に合わせるように、『ワン』と吠えた。フサフサの白い毛に柴犬のような朴訥で、気丈な顔出。あからさまに雑種だが、飼い主に似て愚直な性格の犬のようだ。
その鳴き声と共に僕の今日1日が、頭と胸の中でフラッシュバックした。

西川という男は、他の誰でもない、僕だ。今日出くわした小刻みな不運の連続は、僕が味わったもの。その腸の煮えくりかえる思いを誰にも零せずに、夢の中で自分に吐き出していたのだ。
「あんた、どうするで?」
「いや、どこかでタクシー拾います」

そう言って僕は足早にそのバス停を後にした。こんな真夜中、こんなド田舎でタクシーなんか捕まえる事なんて出来ないのに。
「あ!そうだ!」
こんなこともあろうかと、タクシー呼び出しのアプリをダウンロードしていたのを、僕は思い出し、バッグから携帯を取り出し、画面をタップする。

「あれっ?」

最後の最後まで、不運が僕を取り囲む。
携帯は電池切れで、画面がつかなくなっていた。

僕は一生懸命に生きている。考えが甘いとか、詰めが甘いとか、よく言われるけど、それも含めて注意しながら、人に迷惑をかけないように、細心の注意を払って言葉を選び、顔色を伺い、皆の賛同を得る為の作り笑いも心掛けている。
だけど、だけど、その頑張った分、跳ねっ返りを受けている、ていうのは間違いだろうか?
一迅の風が僕を吹き付ける。不意に来たその風に、僕は間に合わず口の中にそれを吸い込んだ。
そして、その風はやけにしょっぱく、僕をなんだろう?笑ってるような気がした。

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