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歴史は韻を踏む

「歴史は韻を踏む」
米の作家、マーク・トウェインの言葉だそうだ。今ジム・ロジャーズの本を読んでいる。その本の中でこの言葉を引用していた。過去の歴史を全く同じ様に繰り返すことはない。韻を踏む様に形を少しずつ変えながら反復する。このシンガポール在住で米出身の投資家の言葉は示唆に富んでいて面白い。学生時代にアメリカ史、ヨーロッパ史、イギリス史を学んだというロジャーズは自分が若い頃に早く中国史を学ぶべきだったと述懐する。歴史を学ぶことで今現在の世の中の動きを知る。これからの動きを予想する。


言うは易く行うは難し。ロジャーズの素晴らしいところは単に机上の学びをもって終えるのではないことだ。1度目はベンツのバイクで。2度目は同じくベンツの車で。2度世界旅行をしている。その旅行記も読んでいてためになる。というより何より読んでいて面白い。何故ベンツを選んだのかについてもその旅行記に記している。どの国に投資するのか。どの業種に投資するのか。どのタイミングで投資するのか。そのものの見方は視点が明確で大きな現代の流れをしっかり見据えている。高い視座で俯瞰している。

韻を踏む、という言葉に接して何かの映画で何かの洋画でキャプションとして出てきた言葉を思い出した。「歴史は繰り返さない。人がそれを繰り返す。」過去の歴史に学ばない人間への警鐘だろうか。韻を踏む、これと同じことを言っている。

最近、中学高校で明治時代以降の日本史をきちんと教えて来なかったことが日本の外交に悪い影響を及ぼしているという指摘を読んだ。もっともなことだと思う。むべなるかな。高校での社会の科目は選択制で自分は世界史と地理を選び日本史を学ばなかった。しかし、日本史と言えば明治維新まで。それ以降、特に昭和以降は大学受験には出題されない、という不文律の様なものがあったと記憶している。教育というものの影響が計り知れないことを語る一端であろう。

一方、歴史とは普遍的なものではない。何故なら時代によって歴史観は変わる。同じ時代でも国によっても人種によっても変わる。高校時代の英語の先生が言った言葉を思い出す。アメリカ合衆国の(大西洋側から太平洋側への)発展の歴史と言っても立場を変えて原住民だったインディアンからすればそれは衰退の歴史とも言える、と。立場を変えれば全く逆の解釈となる。それはそうだろう。同じ土地で今まで暮らしていた人種が新しい人種に取って代わる。立場が逆になるのだからその各々の立場から見る歴史は全く逆になるのは自然なことだ。歴史とはその視点をはっきり意識して見ないと過ちの元になる。危険性を孕んでいる。

ロジャーズによれば歴史上中国は3度世界で中心的地位についた。今シンガポールに住んでいる理由は自分の娘に中国語を学ばせるためだそうだ。さて、中国史を勉強するにはどんな本を手にしたら良いだろうか。


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