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海の中道とGHQ

世界的ウイルス流行で海外では戦時下状態を宣言する国家元首も出て来た。太平洋戦争後少なくとも日本国内は戦争のない平和な時期を過ごして来た。一方、国外海外ではこれまで戦争があった。(おそらくこれからも)戦争はあるだろう。
しかし、今回は事情が違う。国と国との戦争は起きているわけではない。しかし、明らかに戦時体制と言える戦いが起きている。相手は国ではなくウイルスではあるが。

そういった認識を持ったときふと昔の、遠い昔の記憶が急に蘇って来た。

甲子園に住んでいた幼稚園までの幼少の頃、夏は毎年母の実家がある福岡に帰った。自分の実家ではないが母の実家は自分の実家みたいなものであった。だから帰るという感覚になる。福岡に帰ると決まって近くの志賀島まで伯父にドライブに連れて行ってもらった。「漢委奴国王」の金印が見つかったことで有名な志賀島である。しかし、子供のためそんな歴史の知識があるわけではない。子供の頃の志賀島はとにかく潮風と海の風景が広がるのびのびとしたイメージだった。

外海と内海に挟まれた細い半島を貫く1本道(今は1本道ではないが)を西にひたすら進むと島に着く直前で道路の両側に海が迫る印象的な風景が広がる。今ではすっかり観光地やレジャー施設がひしめくリゾート地の様なイメージになっているが当時は人も少なく潮風を絶えず感じられる海洋性の気候だった。(逆に、台風が来ると恐ろしかったが。)

志賀島への道は海の中道と呼ばれる。その名の通り北は玄界灘、南は博多湾に挟まれ海の中を通る道路である。その途中、西戸崎辺りであろうか。米軍が駐留していた。もちろん今のことではない。自分が子供時代の昭和40年代である。いつもの様に伯父が志賀島へ連れて行ってくれた。一度、白いヘルメット、確か白地に「GHQ」と黒く書かれたヘルメットを被った外人さんが交通整理(?)をしていて伯父の車は止められたことがある。フロントガラスの向こうにはその米軍兵士が何やら車を一斉に止めて軍の車両か何かを誘導している。しばらくして前の道はクリアになり米軍兵士が改めて車列に向かって「行って良し」の合図を送った。戦闘服だったか迷彩服だったか、とにかく軍の制服を着てヘルメット姿の大柄な外人さんが日本国内で日本人を相手に指示を出している。そんな風景が異様で強烈な印象が残った。

そんな遠い記憶、謂わば戦争の名残の様な風景が急に蘇って来た。昭和40年代、戦後20年以上経っても日本のどこかに戦争の名残は確実に残っていた。

これまで報道で見聞きする戦争はあくまで海の向こうの海外で起こった出来事だった。

振り返って今、今回は違う。海を隔てた訳ではない。日本国内で今まさに戦時体制になっているのだ。その実感がかつての遠い記憶を呼び覚ましたのだ。そう分かったとき何の脈絡もない海の中道での遠い記憶が今進行中の世の中の動きと急にリンクしてまざまざと蘇った。

相手は目に見えない敵である。どの様に戦うのか、闘うのか。見えないが知ることは出来る。知ることで見えないものが見えてくることもあるだろう。まずは、惑わされず冷静になって自分は何をどう判断し選択し行動するのかしっかり見定めようと思う。

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