見出し画像

品川神社の双龍鳥居

 鳥居の左側に昇龍を、さらに右に降龍を彫り込んだ鳥居を双龍鳥居という。品川神社にあるものは、大正14年1925年に高橋安五郎という石工が製作したもの。第一京浜道路の改築工事に伴い、ここに鳥居を新設することなり石の階段とともに寄進されたものであろう。
    都内では、田中酉蔵製作の馬橋稲荷神社と宿鳳山高円寺の双龍鳥居と並べて双龍鳥居「三鳥居」と呼び、パワースポットとすることがある。品川神社の龍の形は、昇龍の形が少しわかりづらい(昇龍の柱には、大きな龍の足が見えるが、私の解釈はうち二本は雲海から突き出た足が描かれているというもの。)、いずれにせよ、二次大戦による空襲の災禍を生き延びた遺構である。
 品川神社は源頼朝公が文治三年1187年に安房の洲崎明神を勧請したことに始まる(この勧請の意図は不明だが、文治元年1185年に壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した。頼朝はその後、義経への不信を強めた。この文治三年1187年と言う年は、義経が追ってを逃れ、京を離れて東北藤原氏の元に入った年とされる。頼朝は、義経をかくまった疑いがあり、最大の潜在的敵対勢力でもある奥州藤原氏との緊張を高めていた。源義経wiki   源頼朝wiki)。慶長五年1600年、徳川家康は関ヶ原の戦いへの出陣に際し、当社で戦勝を祈願。その後、徳川将軍家は品川神社に厚い庇護を与え続けた。
 また「双龍鳥居」と並んで、品川神社を有名にしているのは、都内で最大規模とされる「富士塚」である。塚の高さは15mとされるが、麓の第一京浜道路から見ると、見上げるほどの高さがあり、「品川富士」の異名に恥じない。
 アクセス 京急本線「新馬場(しんばんば)」北口下車すぐ。
 東京三鳥居 「神社と古事記」より 

昇龍右下から
昇龍正面
昇竜上部左下から 上方の足は雲海から足だけ見えるということを示すのでは?
昇龍左下から 大きな足が3本描かれているが上下の足は胴との関係が異様である
昇龍左側面 下側の大きな足も雲海から突き出て見えるという想定ではないか
降龍正面 姿が分かりやすい
降龍左下から
富士塚
「山頂」には浅間神社もある
寛政4年1792年奉納の狛犬
寛政4年1792年奉納の狛犬
品川神社御由緒


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp