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人口減少に転じると何が起きるか

2010年に企業勤務を辞して大学に籍をおいた。そこで講師として登壇する機会を得た。首都圏の4つの大学と関西にある大学でマーケティングと国際経営を教える。これはこの上もない機会かと思われた。しかし教えるということは思っていたことよりはるかに困難で期待外れなことが起きるものだということがわかった。

クラスには多くの留学生が大学にいた。欧米、アジア、そしてオセアニア。あらゆる国から留学生がいた。そこには日本人の学生もいた。ただ留学生と同じ授業を受けていた。比率としては30%くらいは留学生だった。この現象は日本が少子化にはいり大学入学が全入時代になったことだった。留学生、特にアジアからの留学生を受け入れなければ定員割れが起きることは明らかだった。

あるオンラインイベントで世界的な人口減少に転じるテーマが話される予定がある。そのテーマでは2050年にアフリカを除いてどこの国でも人口が減り始める傾向にはいる。先進国はすでにそれは始まっている。そこで何が起きるかということを説明した記事であった。その記事によるとまずいくつかのことが予想されている。

増税、年金受給年齢の引き上げ、利息収入の減少、そして政府の財政危機ということが示されている。それに対しての対策は以下の通り。

ひとつは移民政策の緩和。子育て支援。中国、インドの貧困層への教育。そして人工知能による生産性改革。どれもうまくいかない。そこで食糧危機が起きる。こういった暗い内容だ。わたしはこれらは当たっていると解釈している。ただ食糧難までは起きないだろう。

そこでわたし自身の10年間講師として登壇した経験から30年後の日本の姿を予想してみたい。その視点は移民政策、子育て、そして人工知能といったところを取りあげてみたい。

まず移民は受け入れるべきではない。大学で授業をしてみてわかった。わたしが観察した限りでは留学生がそのまま日本に残って仕事をするというのはあまりいいことではない。ほとんどのアジアの留学生は東京にやってきてアルバイトに励んでいるだけだった。授業をまともに受けて過ごしている学生は少なかった。アルバイトが目的であり日本円を稼ぐことが留学生としてやってきた理由だった。そのため授業にはほとんど来なかった。

ごくほんのわずかの留学生が日本のためになるくらいだろう。その数はごくわずかであり50人の中に1人か2人であろう。あとは持ち前のずる賢さを活かしてなんとか単位をとろうという留学生ばかりだった。まじめに働くことはなかろう。

次に子育てについて。日本の人口はこの先は伸びない。伸びないどころか減少は加速する。子育て支援は減少の速度をわずかに遅らせるくらいにしかならない。金銭的な支援はことごとく失敗に終わるであろう。なぜならばお金があるから子供を産むということはない。しかもお金の不安がなくなることで子育てが楽になるわけではないからだ。

子育てというのは7歳までは養育者として両親がつきっきりになって家の中で養育する。そこから22歳までは月3万~9万の教育費を支払う。その費用は20年で770~2200万円におよぶ。これがやっと大学卒業までの費用である。そこに6千万円のマイホームと300万円の自家用車を合わせたらどれだけの年収を稼がねばならないかはわかるであろう。

子育て支援があったとしても子供を産んで親になることは得策ではない。よって日本人の人口は減っていく。

それから人工知能への期待。期待はしないほうがいいであろう。まだその時期ではないこと。人工知能(AI)というものがほとんどのひとがわかっていないこと。そういった理由がある。どういうことかというと人工知能というのは期待されているよりもはるかに未成熟であること。

クルマの世界を例にとってみよう。機械のすぐれものとして馬に代わって登場したのが四輪車だ。その燃料はガソリンである。機械として完成度をあげてきたものがクルマである。最近になってようやく電気というものを介してクルマの形態を変えてきたという事情はある。

電気の登場でさまざまなことができるようになった。運転席に座れば計測表示がある。しかしそれはあくまでも運転をするための補助機能にすぎない。そしてナビや音楽によりやや快適な運転ができるようのもなった。ただナビやラジオがなくても運転はできる。それらはあくまでもエンターテインメント機能だ。必ずしも必要ではない。

次にこの先に登場しようというのがデータサイエンスである。これですら自動運転をするための途中駅にすぎない。そのさらに先にあるのが人工知能であって人間はあらゆる運転をしなくても目的地にたどりつくことができる。そこまでの道のりは30年後ではなかろう。つまり2050年になったとしても自動運転というのは起ってはいない。むしろクルマの数は減り人々はそれほど移動しなくなるであろう。首都圏はクルマはいらない。

ということは限られた公共機関で移動できるところにしか人は定住しなくなる。そのことから自分に合った仕事に就けなくなる可能性がある。わざわざ首都圏を移動して自分の仕事をする必要はない。移動が1時間以内のところで同じような仕事につけばそれだけ楽であろう。移動はしない。

わたしは留学生たちの素行を観察すると同時に日本人のひとたちの行動を観察してみた。わたしが察したかぎりでは日本人の大学生は留学生とは交わらない。彼らから学ぶようなことはせず彼らと同じ仕事をしようとは考えてはいない。むしろ日本人の学生は留学生に対して日本の大学のいいかげんな単位の取り方を伝授していたようにもうかがわれる。

そこで留学生が覚えたのは授業中や単位取得にあたりあらゆるずるさを発揮することだった。それにはよくあそこまで知恵を働かせるものだと感心するくらいだった。レポートは自ら仕上げるのではく業者に頼んで完成させてきて提出するものが現れた。それに対して発表を課したり授業中での筆記試験を課してみた。結果はあきらかだった。

ずるを覚えた留学生は日本の大学を卒業して就職をしても職場で悪さをするだけであろう。労働者としては疑問である。自国に帰って仕事をした方がいいであろう。よく励んでいる留学生もいた。ただその数は極めて少ない。講師からもそれが4年間継続してまじめにやっているかを見破ることは容易ではない。

こういった理由から人口の減少対策は八方ふさがりといわざるをえない。