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【う】嘘と本当

最近嘘をついてないなーと思う。

僕は品行方正で、嘘つきは大嫌いで、そんなやつは人として認めるわけにはいかない!っていうことでは全然なくて、なんというか、嘘と本当との境目がどうでもよくなっているっていう感覚に近い。

嘘っていうのは本当じゃないこと、本当っていうのは嘘ではないことっていうように解釈できるから、このふたつは相反するものなんだろうけど、そもそも本当のことってなんなのかが、よくわからなくなってきている。

僕はいまマレーシアに住んでいて、現地人とのコミュニケーションにおける理解度は、日本にいるときを10割とすると、せいぜい7~8割ぐらいな感じだし、文化や宗教が全然違う人たちと接しているので、そういうことも関係しているのかもしれないけれど、本当のことっていうのは人によって全然違うんじゃないかと思う。

「地球は丸い」っていうのは限りなく本当のことだと思うけど、テレビやラジオがないところに住んでいるような人たちにとっては、地球は平らなものなのかも知れないし、そもそも人を殺しちゃいけない、っていうことだって戦争になれば、むしろ正義になってしまう。

「本当のこと」っていうのは「自分が信じていること」という意味で、人によって全然違うものなんじゃないかと思う。

こう考えると「嘘」も人によって違うもので、自分にとっては嘘ではないことが、他人から見れば嘘と捉えられてしまうこともあるだろう。

社会人になった頃の5年先輩に「すーちゃん」と呼ばれていた営業マンがいた。
背は小さくて小太りで愛嬌がある感じの顔つきをしていて、スーツはタケオキクチなんかのブランドものを着てて、ファッション雑誌に載っているような服をそのまま私服でも着てたりしてたから、おしゃれには気を使っていたんだと思うが、ちっとも似合ってなかった。
「すーちゃん」って会社で呼ばれるぐらいだから愛されキャラだったんだろうけれども、それは男性からだけの話で、女性からは極めて評判が悪かった。

彼はとにかく嘘をついた。彼のしゃべる言葉の半分は意味がなかった。
(参考出典:ナイアガラ・トライアングル 作詞作曲杉真理「Nodody」)

忘年会のような、会社の事務所のメンバーのほとんどが参加するような飲み会で、若い女性社員たちの前で、すーちゃんが自分がかけている丸メガネを鼻メガネにして目を細めながら「僕はねぇ、こうやって君たちを見ると、洋服が透けて見えるんだよー笑」って言って、女性陣全員が席を変えたこともあった。

僕はこの先輩とよく飲みに行っていた。僕にはセクハラ発言はしないし、彼のつく嘘が面白かったからである。

彼は酒を飲むとよく自分の彼女の話をした。その場にいる全員は、すーちゃんに彼女がいないことを知っているので、彼の架空の彼女の話を楽しみにしていたのである。
最初は営業先の受付の女の子だって言い始めた。ホントか?という話になって、同じ事業部の営業マンが確かめに行ったら、当然その女性からは「お付き合いしていませんよ」という返事が来た。
次のすーちゃんとの飲み会で「その女の子、すーちゃんの彼女じゃないって言ってたぞ」っていう話になると「その女の子とはもう別れて次の彼女と付き合っている」っていうまた新しい嘘をつく。
さすがに僕らの誰かが確認できる相手だと嘘がバレるっていうことには気づいたみたいで、次は確か居酒屋の店員だったと記憶している。
そうなると「どこの店?」「何歳ぐらいの女の子?」「デートはどこに行ってるの?」とかいう質問に回答しなければならなくて、そもそも架空の彼女なので、答えるのにも苦労してしまう。「神保町のお店で21歳の女子大生、この間ディズニーランドに行ってきた」とか適当なことを答えるので、こっちも「どうやって知り合ったの?」とか質問を深めていく。「飲みに行った店で向こうから話しかけてきたんで電話番号の交換をして付き合い始めた」とかとてつもなくいい加減な嘘を思いつきで言う。「いつディズニーランドに行ったの?」って聞いてみたら「先週の日曜日」って答えた途端、その場にいる同僚から、「その日はオレと競馬に行ってたじゃねーかよ!」って突っ込まれたりもしていた。

こういう感じで、何人かの架空彼女の話を肴に酒を飲んでいたんだけれど、すーちゃんの嘘にもネタが尽きた感が出てきて、同時に僕たちも飽き始めていた。普通のプロフィールの女の子ではつまらなくなってきていたのである。

その空気を察したのかどうかわからないんだけど、また新しい彼女が出来たんだという話をすーちゃんからしてきた。もうみんなあまり興味がなくなってきているので、「そうなんだー」という反応だったんだけれど、「今度の彼女の名前はキャサリンって言うんだ」という話をぶっこんできた。これは面白そうだったんで「どこの国の人?なんの仕事してるの?」って聞いたら「新宿のストリッパーでブラジル人」っていう答えだった。

もうここまでくると興ざめである。もうちょっと気の利いた嘘じゃないと面白くもなんともない。突っ込む気も失せてしまって、このあたりがすーちゃんとよく飲みに行ったりする最後だったと思う。その後も「子犬を飼い始めたんだけど、これは公園で犬を散歩させている人妻を狙っているからなんだよ」とかいう話をしてきたが、もうネタ切れで、更に彼の嘘にエロが加わってしまったので、誰も相手にすることはなくなってしまった。

嘘にも「ついていい嘘」と「ついちゃいけない嘘」があるように思う。
「ついていい嘘」は他の人を楽しませているもの、「ついちゃいけない嘘」は他の近しい誰かを不快にしたり傷つけてしまうものなんだと思う。
もちろん子供に「嘘をついてはいけません」というのはとても重要な教育だと思うけれど、僕ぐらいの年齢になったら、人を楽しませるような気の利いた嘘だったり、相手も嘘だとわかっているのにそれでも嬉しい気持ちになってしまうような嘘をつける大人になりたい。
その方がモテるような気もするし。

ちなみにすーちゃんはずいぶん前に静岡の工場に異動になって、それ以来ほとんど話したり飲んだりしたことはないんだけれど、10年ぐらい前に結婚して、子供が生まれたという話を聞いた。
これはさすがに嘘だろうと思って総務部に確認したら、出生手当だったりそういう福利厚生の対象になってるので、本当だろうという話だった。

でも僕はいまでもこの話を信じていない。彼が幸せに暮らしているのであればなによりだと思うが、僕にとってのすーちゃんの彼女は、ずっと架空の人物であり続けているし、架空の人物と結婚なんて出来るわけがない。
僕が信じていないので、僕にとってはこの話は本当ではないのだ。

嘘と本当なんてこんなもんで、あんまり真剣に考えていると人生に疲れてしまう。その時は本当でもあとから変わっちゃうことなんていくらでもあるし、本当のことを言っているのに他人を不快にしてしまう場合だってある。

あたしのこと愛してるって言ったじゃない!!あれは嘘だったの?!!
今晩家でご飯食べるって言ったじゃない!せっかく作ったのにどうしてそういう嘘をつくの?!!
あたしのいまの彼氏、年収が1500万で車はベンツ、家にワインが2000本あって、いつもご飯は奢りなのよー。

こんなことを言ってる暇があったら、すぐに次の男を探すべきだし、自分が食べる分以外をタッパーに詰めて冷凍するほうがよっぽど建設的だし、自分の彼氏と比べて他人を羨むよりも、その彼氏は30歳年上でその上マザコンでデブでハゲてるって決めつけて、自分の彼氏と自宅で手料理や新鮮な刺身で美味しい日本酒を飲んだりするほうがよっぽど健康的だと思うんですけど、どうでしょうか?

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