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旗艦店「牡蠣と肉と酒 MURO」OPEN~「ATORA」2年目の一手

瞬間冷凍技術を使い広島の味を国内外に届けようとする「ATORA」。FOOD BATON 2年目を迎えた今年、新たな動きを起こした。これまで開発してきた自社製品を提供する飲食店を広島市中心部にオープンしたのだ。店長に抜擢したのは飲食経験ゼロでセカンドキャリアを模索する、元プロ女子サッカー選手。ATORAの次なる一手を追った。


インバウンド急増を受け
販売先を飲食店とECに転換


広島市内吉島通りを南に下ったところにある「株式会社ATORA」事務所は1年前と比べて活気に満ちていた。昨年はFOOD BATONの事業補助金で購入した撹拌機や真空機といった食材加工機材を見せてもらったが、人はまばらでまだこれからといった雰囲気だった。

それが今は多くの人が忙しそうに働いている。料理を作る人、それを袋に詰める人、袋を真空機にセットする人……1年前に新品だった機材はしっかりと活用され、次々と商品が箱に詰められていく。立ち上げたビジネスが一定の軌道に乗りつつあることが伝わってきた。

「HIROSHIMA HYBRID DESIGN(ひろしまハイブリッドデザイン:以下HHD)」名義で事業を進めるATORA代表の小野敏史(おの・さとし)さんは、去年からの動きについてこう語る。

2年目を迎えたATORAのプロジェクト「HIROSHIMA HYBRID DESIGN」

最初にFOOD BATON 3年間の計画として、1年目は体制を整え、2年目で適正化、3年目で結果を出すという流れをシミュレーションしてたんです。昨年は機材を揃えて、2年目となる今年は新たな設備と環境を追加しました

具体的には、今年から比婆牛に力を入れることにしたので、精肉用の免許をとって精肉専用の部屋を作りました。あと野菜チップスなどを作るには菓子製造業許可が必要なので、そのための免許も取りました

小野さん

ATORAはコロナ禍で困窮した農家を救済するため、2020年に小野さんが設立した会社だ。広島の農家の余った食材を瞬間冷凍技術を使って加工・販売。広島の味を新鮮な状態で国内外に届けることをミッションにしている。

実際ATORAが運営するECサイト「カクイチ横丁」には牡蠣、お好み焼きといった広島の名物から、「陽気」の中華そばなど広島名店の味、広島のフードロスを減らすため規格外野菜を材料にした「Re soup」など、メイドイン広島の商品がずらりと並んでいる。

ECサイト「カクイチ横丁」には広島産の逸品が並ぶ

FOOD BATON 2年目となる今年は商品のラインナップも増え、売り上げも好調。年間目標売上5,075万円のところ、半期ですでに2,920万円を達成した。

だが、この結果は決して順風満帆に得られたわけではない。

当初は小売店での販売をメインに考えてたんですが、途中から飲食店への卸しとECを中心にする方向に転換しました。というのも冷凍食品に対する百貨店の反応が想定より鈍く、その一方で飲食店はコロナ明けで需要が急増。人手不足も鮮明になってます

特に好調なのはインバウンドですね。東京や宮島からは「比婆牛や牡蠣のような特殊な食材がほしい」「広島産のミドルアッパーな品質の料理がほしい」という声がたくさん届いてます

小野さん
ECは好調に推移。人気は「広島生牡蠣と瀬戸内ケールの焼餃子」

時代の変化を察知した迅速なピボットは、スタートアップには欠かせない。世界はウィズコロナからポストコロナへと一変、今はそこに物価上昇と人手不足が折り重なるような状況だ。

そんな中、小野さんは次なる大きな一手を打った。ARORAで開発した商品を直接消費者に提供する飲食店を広島市三川町に出店したのである。

求められているのは
商品ではなく「メニュー」

 
2024年3月23日、広島市中心部の並木通り近くの平和大通り沿いに「牡蠣と肉と酒 MURO」がオープンした。座席数は16。店名通り生牡蠣や瀬戸内海で獲れた魚、比婆牛、広島産の日本酒などが楽しめる店だ。

店名は「牡蠣と肉と酒 MURO」。勧めたい食材をズバリと提示した
「牡蠣と肉と酒 MURO」の店内。3月29日にオープンしたばかり

店を開いた一番の理由は、広島のいい食材を県内外、そして海外の人に体験してもらいたいってことですね。「ここに来れば広島の美味しいものをすべて食べることができる」という価値提供ができればと思ってます

小野さん

ATORAのフラッグショップともいえるこの店の意義はいくつかある。

まずは前述のインバウンド対応。活気づくポストコロナの観光需要、G7によって注目を浴びる広島の食のニーズに応えることは「広島の食価値の最大化と世界と次世代へ」を掲げるATORAにとってまたとないチャンスだ。

もう1つの理由は、飲食店の方に僕たちの商品を実際に体験して、料理のオペレーションも見てもらいたいんです。というのも飲食店に営業に行くと「盛り付けの写真がほしい」と言われることが多くて。僕らの商品である真空パックの料理の盛り付けと、料理に添える野菜、使う皿の3つを教えてほしい、と。つまり商品単体ではなくメニュー自体が求められてるんです

小野さん
今は食材・商品だけでなくメニュー自体が求められている

僕たちはそのメニューをトータルパッケージとして売りたいと考えてて。今後は会員のお客さんに対して、この店で出すメニューや調理オペレーションすべてをウェブで公開しようと思ってます。さらにこの店に来てもらえれば実際の盛り付けも味も体験できるし、どんなふうに調理してるかオペレーションも確認できる。それを目の前で見てもらって「この商品をお店に仕入れませんか?」と営業する――この店は今回のHHDプロジェクトの重要なポイントになると思います

小野さん
カウンターからは料理を出すまでのオペレーションも確認できる

一般消費者とのタッチポイントであり、飲食店運営者に対する営業ツールとしての店舗運営。しかしこの店の目的はそれだけでない。もう1つ、まったく違う角度からの付加価値がこの店には仕組まれているのだ。

スポーツ選手のセカンド
キャリアをサポートする 

 
ここで小野さんは横にいた1人の女性を紹介した。名前は櫻田有幾子(さくらだ・あいこ)。彼女はMUROの店長になる人物だが、そのキャリアが少し変わっている。かつて「なでしこリーグ」の所属チームにいたこともある元プロ女子サッカー選手なのだ。

櫻田さんとは去年の8月に知り合ったんですけど、「スポーツ選手はセカンドキャリアが大変」という話を聞いて。仮に飲食店をやりたいと思っても、修行をはじめるのが現役を終えてからなので夢を叶えるまで時間がかかってしまうんです

だけど僕たちのオペレーションを使えば、たとえ料理が作れなくてもお店を開くことができます。スポーツ選手のセカンドキャリアのサポートというのは社会的意義もありますし、今回は櫻田さんにモデルケースになってもらいたいと思ったんです

小野さん
元プロサッカー選手の櫻田さん(左)。セカンドキャリアで飲食業に挑戦する

櫻田さんも知り合いのアスリートに食事を作ることはしてきたが、仕事としての飲食業経験はゼロ。しかし店のオープンを間近に控えた今、店長として働くことに不安はないという。

普通に飲食店をやるとなるとリスクが大きいし、仕込みの時間などで私生活が犠牲になることも多いと思うんです。でもMUROの料理は冷凍だから安心安全だし、準備もさほど必要ない。さらにいいのは冷凍なのでお客さんが来なくても食材を捨てなくていい、つまりフードロスが発生しないんです

ATORAさんとの話し合いの中で店で出すメニューもだいたい決まってます。いろんなプロの方が支えてくれるという安心感があるので、落ち着いた気分で臨めると思います

櫻田さん

サッカー経験者ということもあるが、浮かんできたのは「チーム」という言葉だった。食材を作る生産者、食材をサーブの直前まで加工するATORA、それを使って店舗を運営する飲食店店員……それぞれが自分の仕事に徹することで、さまざまな効率化が可能になる。

ATORAは店舗で調理する工程を裏方として担当する

僕たちは調理する人によってできあがりが変わりやすい料理を、味が変わらないよう半調理の状態まで持っていって冷凍することを心掛けてます。お店の人目線で逆算して、「どこまで調理した状態だとお店の人は使いやすいのか?」を考えながら進めてるんです

小野さん

サッカー的に言えば、お店に「やさしいパス」を出すような食品加工に徹するということ。MUROはそうした「チームプレー」を鍛える場としても有効活用されそうだ。

トライアンドエラーを
許してもらい助かってる


FOOD BATON 2年目を終了して、小野さんはこれまでの活動を振り返る。

FOOD BATONに関して、3年間というスパンをいただけたのはウチのようなトライアンドエラー型の会社にとって改めてよかったと思います。普通は実証実験の期間が短期で、支援金を渡されたら一気に使わなければいけない感じだけど、ここでは方向転換を許してもらえる余裕がある

僕たちも最初は百貨店に営業しようと思ってたけど、感触が違ったので飲食店やECにシフトして。最初に計画書を出した時点から、世の中の状況も大きく変わってますからね。「最初のプランから変わったらダメ」っていうんじゃベンチャーの意味もなくなってしまうし、試行錯誤を続けることで事業の精度も上がってきてると感じます

小野さん

やってみてから考える、行動しながら修正していく柔軟性は、未来の読めない今の時代、欠かすことのできない資質だろう。

時代の変化への柔軟な対応があったから店舗の出店が可能となった

 最終年となる来期の動きもMUROの反響次第で変わると思いますけど、3つの分野への選択と集中を進めていく予定です。3つとは「飲食店やホテルへの卸しを含めたサポート事業」「ベジタリアンやハラルへの対応」「比婆牛のブランディング」。それを実践することで、FOOD BATON採択時に宣言した「目指せ売上1億円」を達成したいと思います

小野さん
実は歴史ある比婆牛。広島県としても推している食材だ

広島産の食材をベースにした冷凍加工食品を広めることで、生産者も嬉しいし、店舗運営者も嬉しい、もちろん消費者も嬉しい、さらにセカンドキャリアを模索する元スポーツ選手も嬉しい……

「三方よし」ならぬ四方よし、五方よしのハイブリッド精神を胸に、ATORAは波の高い飲食の大海原を果敢に泳ぎ続けている。


●EDITOR’S VOICE 取材を終えて

いやぁ、驚きました。取材中、小野さんの隣にいた櫻田さん。何の紹介もされないので最初は「マネージャーさんかな? ATORAの人かな?」と思っていたのですが、新しく出店する店の店長で元プロ女子サッカー選手って。今どきの言葉で言えば元「WEリーガー」ですよ!

櫻田さんは大阪出身で、現在はサンフレッチェ広島レジーナでキャプテンを務める近賀ゆかり選手のサポートも行っているとか。広島食材の味はもちろん、MF櫻田さんの司令塔ぶりを拝見するためにも「牡蠣と肉と酒 MURO」にはぜひ行ってみたいところです。(文・清水浩司)