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プロセスエコノミーと伝統野菜

近江の伝統野菜「豊浦(といら)ねぎ」

現在、僕は「豊浦ねぎ」という農作物を栽培しています。
「豊浦ねぎ」ですが、近江八幡市安土町にて江戸時代から栽培されていたとされる近江の伝統野菜ではありますが、時代の波に飲まれ、生産する人も生産量も少なくなっている作物です。
そんな、豊浦ねぎですが、栽培され続けてきたという歴史、西の湖という湖の水草を肥料にしていた(循環型社会の文脈)に惹かれ栽培しております。

栽培している近江の伝統野菜「豊浦(といら)ねぎ」

プロセスエコノミー


さて、本記事のタイトルにもある「プロセスエコノミー」とは
どの商品もクオリティーが高く、差別化しにくい現状で、
商品それ自体よりも、
商品が生まれるプロセスが価値を生む。
ということです。

このプロセスが価値を生むというのは、
①プロセス自体が商品になる 
 漫画家がLIVE配信して漫画を描き、投げ銭してもらう。
②よいプロセスを経た商品に価値がつく
 環境に優しい栽培方法で作った野菜

の2パターンあるなと思っています。
伝統野菜の場合は。
「②よいプロセスを経た商品に価値がつく」かなと思っています。

「プロセス」ということばを「ストーリー(物語)」、「意味」と置き換えることもできると思います。

伝統野菜が持つストーリー

そもそも伝統野菜とは、全国で統一された基準はなく、認定者や定義も様々です。

【近江の伝統野菜】


認定・推進団体:滋賀県農政水産部食のブランド推進課
定義

・原産地が滋賀県内で概ね明治以前の導入の歴史を有している。
・外観、形状、味等に特徴がある特産的な野菜。
・種子の保存が確実に行われている。

滋賀県農政水産部食のブランド推進課 近江の伝統野菜 

【なにわの伝統野菜】


認定・推進団体:環境農林水産部 農政室推進課
定義

・概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜
・ 苗、種子等の来歴が明らかで、大阪独自の品目、品種であり、
 栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜
・ 府内で生産されている野菜

環境農林水産部 農政室推進課 地産地消推進グループ なにわの伝統野菜

【江戸東京野菜】


認定・推進団体:東京都農業協同組合中央会
定義

江戸東京野菜は、江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するとともに、種苗の大半が自給または、近隣の種苗商により確保されていた昭和中期(昭和40年頃)までのいわゆる在来種、または在来の栽培法等に由来する野菜のこと。

JA東京中央会 江戸東京野菜について

全国には、多くの野菜が様々な団体が認定・定義をしていますが、
おおむね
・一定の期間栽培が続けらている。
・品種がしっかりと受け継がれている

の2点があると思います。

伝統野菜には、一定期間「その地で栽培されてきた歴史がある」というストーリーがあります。
このタイプのストーリーは伝統工芸品などの伝統文化と呼ばれる領域のものになると思います。伝統文化は、どちらかというとその地で継承されてきたという「歴史」や「意味」の価値と言ったほうが良いかもしれません。

伝統野菜は消えつつある地域の固有品種なことが多く、絶滅してしまったものも多いとされます。
ですので、伝統野菜には「絶滅したと思っていたらこんなところで発見!!」というストーリーを持つものもあります。

【滋賀県 北之庄菜】復活

滋賀のおいしいコレクション「北之庄菜」

北之庄菜は、水郷で有名な近江八幡市の北之庄地区で江戸末期から栽培されてきた伝統野菜です。漬物用としての自家栽培が主でしたが、食生活の変化とともに昭和40年頃には自然消滅。それが21世紀に入り、ふとした偶然から種が発見され、その味が見直されて、北之庄地区で再び栽培が始まりました。

滋賀のおいしいコレクション「北之庄菜」

北之庄菜の種を販売していた町内のたばこ店で、マッチ箱の中から種が見つかったという逸話もあります。

【神奈川県 波多野大根】復活 


タウンニュース│神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙
「波多野ダイコンに近づけている栽培種」


江戸時代に秦野名産として江戸幕府に献上されていたとされる。1707(宝永4)年の富士山噴火による降灰のため、栽培が困難になり、次第に秦野の名産は火山灰土壌でも栽培が可能な葉タバコに移行し、やがて、波多野大根は消失した。
しかし、東海大学大学院(2014年当時)の学生が波多野大根の種子が金目川下流域に流され保存されている可能性があるとして、下流域を調査。河口の平塚市内でそれらしき個体を発見し、現在復活、栽培し、形態調査ならびにDNA解析の結果、波多野ダイコンに近い性質のものが発見されている。

神奈川県種苗共同組合 幻の伝説野菜

野生化した波多野大根に近い品種が発見され、復元を目指しているみたいです。品種再生?

【静岡県 遠州半立ち(杉山ナッツさん)】復活

静岡県浜松市の農家 杉山孝尚さんがアメリカで働いていた時に、地元のピーナッツが1904年のセントルイス万博で金賞を受賞していたことを知り、
失われたとされるピーナッツの品種を、荒廃農地で野生化して残っていた「遠州半立」を発見。復活させピーナッツバターとして販売されています。

伝統野菜というカテゴリーにはなって居ないみたいですが、
ピーナッツバターのおいしさと、ストーリーが組み合わさったプロセスエコノミーっぽい事例だと思います。

農が持っていた地域循環型社会というストーリー

化学肥料もない時代には身の回りにある草・葉、家畜や人の排泄物などを肥料とすることも多かったといわれます。
使えるものが限られている分、地域周辺の資源をフル活用して生産活動が行われていたのだと思います。
いわゆる地域で資源が循環を繰り返す地域循環型社会だったと思われます。

ほとんどの伝統野菜は、古くから栽培されてきた作物であるため、
地域循環型栽培をしていた歴史を持っていると思います。

私が現在栽培している「豊浦ねぎ」では、
西の湖(にしのこ)*等にはえている水草や藻類を肥料にして栽培されていたとききます。 *西の湖:琵琶湖と接続している内湖と呼ばれる湖 

この水草を肥料にして豊浦ねぎを栽培していた時期は、下のようなサイクルがあったと思われます。

・西の湖流域に栄養(自然から、あるいは人間の生活から)が流入
・その栄養で水草が育つ
・水草で豊浦ネギが育つ →上に戻る
という一連の流れがサイクルしていた。

このことを里山ならぬ里湖(里山)循環型社会*として捉えれば、
豊浦ねぎは湖と人とをつなぐ象徴的な作物だったと言えるのではないか。
この里湖循環型社会の象徴的存在になりえる作物の一つが豊浦ねぎである。
それが、私が勝手に見いだした現在の豊浦ねぎの可能性(ストーリー)です。

*里湖という言葉については、以前水草の肥料の歴史を調べていた際に見つけた書籍のタイトルにあります。
「里湖(さとうみ)モク採り物語 -50年前の水面下のセカイ」

豊浦ねぎが持つ、歴史・里湖というストーリー

僕が、「豊浦ねぎ」に初めて出会った時に魅力を感じた点として、
①代々、種が受け継がれて栽培されてきたこと。
②西の湖などの水草資源(地域資源)を活用して栽培されていたこと。

の2点です。

その地で長年栽培されてきた歴史があるというストーリー
これは、豊浦ねぎの存在自体に物語性があり、価値があると思います。
また、失われかけている伝統野菜が復活するというストーリー。

②里湖循環型社会の象徴というストーリー
かつての、里湖循環型社会にはもう戻ることはできません。
ですが、自然と人との関係を「豊浦ねぎ」から考えていくきっかけづくりはできると思います。
昨今の、「持続可能な社会」とかつての循環型社会の調和性がとても高く、ただ昔に戻るというよりも、これからの社会にとって有効な方向性であると思います。


豊浦ねぎを始めとする伝統野菜は、
それが持つ歴史・過去の栽培方法が持続可能な社会を目指すプロセスの象徴になると思っています。

プロセスエコノミーについては、色々と不完全な理解ではありますが、
僕が伝統野菜に感じていた魅力「歴史・循環型社会」と関連性があるなと思い覚え書きとして書いてみました。

ちなみに、この豊浦ねぎは子どもたちの地域教材としてとてもいいと思っています。このことも、またどこかで書ければと思います。

参考文献

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