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阿呆飛行

内田百閒という人の名著「阿呆列車」では用事がないのにわざわざ列車に乗って出かけ、用事のない目的地についてお酒を飲んで帰って来る随筆があります。目的地に着いたら行きっぱなしというわけにもいかないので、今度は帰って来る用事ができます。だから随筆の内容には帰って来る間のことは書かれていません。

この百閒先生は何でもない日常の話を面白おかしく書くのに長けたひとですが、本人は「そんなことは当たり前で、そもそも人生にはあれやこれや事件が起こることは災難で、何もないことに越したことはない」みたいなことを書いてひょうひょうとしています。絵本を書いても「ここに何か教訓を読み取ろうなんて考えは起こさないで、書いてある通りに読めばいい」という人です。

「何もないことに越したことはない」というのはホントにその通りで、日々の生活が何お悩みもなく平平凡凡に過ごせるのがいかに幸せなことかは、何かが起こって初めて気づくものなのですよね。これは古今東西、今昔を問わず誰にでも当てはまる話のようです。

そうはいっても人は何かしら悩みや問題を抱え込んだりするもので、抱え込んだ問題の大きさに絶望する人もそれなりにいるようです。そうやって何かを抱え込んだ人、特に若い人におススメしたいことは旅に出ること。出来れば飛行機に乗ってどこかへ行ってしまうこと。

そんなおカネはないというかもしれないけれど、ならばまず上記の阿呆列車を読んでみるといいです。用事がない旅に出るために百閒先生がどうやって借金をしてやりくりするか書かれています。実際、旅に出ることさえ決めれば何とかなるもののようです。

最近読んだ本に諸隈元さんの「人生ミスっても自殺しないで、旅」なる変わった本があり、どう変わっているかと言えばどの本にも似ていない読書体験ができるということ。ヴィトゲンシュタインの言葉に尋常でない執着を持つ筆者の、自殺をする可能性があった時期の海外体験が書かれているのですが、本が書かれているくらいだから自殺はしないで生き延びていることが確認できます。

ある種の旅は人生の起点になることがあるようで、個人的な体験でいえばアメリカでお酒が飲めるようになる22歳の時のNYCへの旅がそうでした。この話は別のところに書いています。ただここでちょっと書こうと思った旅はそういう大きな意味を持たせるための旅でなく、ちょっと空を飛んでみよう的な目的のない阿呆飛行。

実際は出張でもなんでもいいんだけれど、一旦地上での人間的なしがらみを一切忘れて、空の上から地上の景色とか地平線まで一面に広がる雲の景色を眺めてみる時間を持ちましょうという話です。

ミラノからパリやケルンの出張に出かける便に乗るとアルプスを超えます。夏に飛んでも山の上の方は白いんですよね。それで、すごい険しい山々の先っぽが連なる景色を見下ろして景色を楽しんでいると、谷間のようなところに人が住んでいる集落のようなところが見えることがあります。なんであんなところに苦労して住む必要があるんだろうと思うし、そうまでして生きる場所を作る人間がいじましく思えてきます。これは大きな街でも同じことで、おいらにとって初めての海外体験だったNYCを離れるときに高度を上げるため旋回する飛行機の窓から見えた夜のマンハッタンも、パリの出張からの帰途に乗った夜間飛行で垣間見たパリの中心に見えるライトアップされたエッフェル塔や凱旋門など、街の灯りは生命の証のようでもあり美しいのはその通りですが、飛行機の高度から見下ろす街並みでは、地上であんなに高く見えた高層ビルも平屋のバラックのような建物でも大差なく、全て大きな地球に苔のように広まってる人類の集落地帯であることには変わりないんですよね。

そういうマクロな視点で相対的な街の風景を見ると、地上を歩いているときに巨大に感じた存在感も実際はその辺の建物と大差ないことが実感できます。そんなことを考えると、そうやって苔のように地球上でいじましく生きている人間が、日ごろ世界の終りかのように感じている悩みや問題もホントにホントに些細な小さなことだと分かります。こういう体験をすると人生で出くわす「世界の終り」のごとき問題も、雲の上から見るようなマクロな視点で見れば小さなことだと思えるようになり、少しは肩の荷が下りるようです。問題があることには変わりなくても、まあなるようになると思えてくるはず。飛行機の上から眺めれば感知さえしない問題ですからね。そうやって問題を抱え込んで煮詰まってしまうことから解放され、生き延びて行くためのテキトー力が養われるのも旅の、阿呆飛行の効用です。

旅に出るための目的をあれこれ探していると、それが用事になり、こういう旅の「日頃のしがらみから解放される」瞬間を味わうことが出来にくくなるので、用事のない阿呆飛行が一番だけれど、そんなことを言って旅立つ機会を逃しては本末転倒だから、出張でもなんでもいいから機会があれば機上の人になってしまいましょう。

高所恐怖症のおいらが飛行機が大好きなのは、この一旦地上での出来事を離れ何もかもが保留になる時間が好きなのだと思います。そしてヨーロッパ内など2時間程度のフライトなら必ず窓際の席を選びます。ただ、日本行きなどの長距離飛行ではできる限りトイレに行かないで済むようにはするけれど、どうしても行きたくなる時があるので、横並びの席の人が寝てしまって自分の席から通路に出るのが困らないように通路側の席をとることが多くなりました。

そういう場合、個人的に楽しみにしているのは機内での映画鑑賞。長距離フライトなら5、6本映画が観れます。JALやANAでなくても今どきアジア向けの便ならどこの航空会社も日本語の映画もリストに入れてるし、中国行きの便でも日本語の映画が観れます。おいらはイタリア語でも苦にならず観れるので、イタリア発の便なら必ず時間いっぱい観れる映画が見付かるし、気に入った映画があればすぐにもう一度観れます。普段映画館に足を運ぶのはよっぽど観たい映画だけですが、飛行機の上で限られた選択肢から選んで観るのは、普段なら映画館まで足を運びそうにない映画がほとんど。だからそういう中から面白い作品に出合えるのもいいですよね。

「テイクン(96時間)」や「ジョンウィック」も飛行機で観て面白かったので続編は映画館まで足を運んだし、「ハングオーバー」も面白かったのでDVDでシーリーズを全部見ました。飛行機で観る映画は何があるか分からないのに時間いっぱい観ることを決めているところは阿呆映画かもしれない。どうして長距離フライトの時はずっと映画を観続けるかというと、家を出てから飛行場で過ごす時間、飛行機に乗って飛ぶ時間、到着してから目的地で初日の夜までの時間を寝ないで過ごすと、時差関係なく寝るべき時間に大体眠れるので、その後の予定で時差ボケになることが緩和されるという個人的な対策でもあるのです。日本行きなら大体30時間くらいは起きっぱなしになる計算だからね。

さて、今は上記のように長距離便に乗るとどこの航空会社でもネットフリックス的なメニューから選べる映画のリストがあってそれぞれの席のモニターで自分が観たい映画を観たり聞きたい音楽を聴いたりできるし、自分のタブレットで飛行機に乗る前に選んでいた映画などを観る人だっていますが、20年くらい前までは各席にモニターなんてなかったので、いくつかのスクリーンで乗客がみんな一斉に同じ映画を観ていました。映画の前にはJALならNHKのニュースを流したりね。

そんな時代の1995年の夏休みにミラノから日本行きの直行便に乗ったときの思い出があって、広島に原爆が落とされた日のフライトだったのだけれど、上記のように乗客みんなで見るプロジェクターのスクリーンでNHKニュースを流していると、元ビートルズのポールマッカトニーと小野洋子さんが2人で広島の犠牲者追悼のための新曲をレッコ―ディングしたとアナウンサーが言っているのでドキッとしたのです。「HIROSHIMA SKY IS ALWAYS BLUE」という曲で、ニュース内ではちらっと一部流れただけでしたが、まずポールとヨーコが2人で何かするというのも割と驚きだったし、ヨーコさんが相変わらず「あああああおおおおおあおあおあいおうああああ」をしているのも何だか微笑ましく。何より青空の上でSKY IS ALWAYS BLUEという曲を始めて聴くことも面白いと思ったのです。

この好きな映画を好きな時間に観られなかった時代は、映画を上映するにしても1本だけだったはずで、他の時間はみんな手元のコード付きリモコンで音楽を聴いていました。あの時代はスマホのフライトモードなどもなく、とにかく機内は電子機器全面使用禁止でもあったしね。だから寝ていない人はヘッドフォンでメニューから好きなジャンルの音楽を選んで聴いていたのです。その頃、おいらは音楽でなく落語のチャンネルで落語を聞くことが多かったと記憶しています。でも、そんなわけで今のように映画を観続けるということはできなかった時代だから、機内でうとうとすることもあったはず。

911後は飛行機に乗るのもセキュリティーチェックが厳しくなったり、今はコロナで中々飛行機にも乗れないけれど、徐々に国際的な航空便の出入りも増えてきているから、コロナのワクチン証明書による許可制度や、コロナ感染状況の改善した国家間での取り決めで、また気軽に国際便に乗れる機会も戻って来るかもしれないし、何なら国内旅行でもいいので、何か抱え込んだ時には煮詰まる前に飛んでみては?というお話でした。

そういうおいらは2021年9月に久しぶりにドイツ出張に行って飛行機に乗ろうかと思っていたけれど、結局見本市会場で会える人が限られ過ぎていたので、今回はパスしました。大好きな飛行機にもう2年も乗っていないことになりますね。イタリアのコロナ感染状況は10月現在ヨーロッパでも一番よくコントロールできている部類で、カルチョ観戦もスタジアム50%から75%まで観客を入れていいことにしようとか、年末には100%にしても大丈夫だろうとか、話題も徐々にコロナ後に向けて動いていますが、またどこかで強力な異変株が出てくるかもしれないし、まだしばらくはイタリアに限らずどこの国も慎重に対処しながらの生活が続きそうです。

どこにも行けない時に旅の話や飛行機の話をするのもあれですが、でも、こうやっていつ当たり前に行きたいところに出かけるという自由が制限されてしまうかもわからないことがコロナでよく分かったので、今後各国の規制がゆるくなり、感染の危険が少ない国際便が沢山復活するようになれば、あまり後先考えないで行きたいところには旅行に行きたいなあと思っているところです。

初めてNYへ行くために飛行機に乗った頃には思いもよらないくらいあちこち訪問することが出来たのは幸運だったと思いますが、でもその内行きたいと思っていたトルコなどはまだ未経験なので、チャンスを作って飛んでイスタンブールしたいと思っています。

はいつくばって
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空に飛ぶのはよくある話で
雲の中へ
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