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眠れないから眠くなるまで自由について考えてみた

今の日本は、大きな枠組みで国民をコントロールしているが、細部はコントロールしていない。

かつて、細部まで国民をコントロールしていた時代があった。

太平洋戦争時の日本だ。

現代でも、学校は服装や髪型の規律がある。
行事の練習では、返事の大きさ、背筋や指先を伸ばすことまで指導される。

国が細部まで個人をコントロールするか、細部は個人の自由にするか。

どちらがよいだろうか。

私自身は、細部を自由にしてもらった方が幸せである。

しかし、個人に自由が発生する代わりに、自分で自分をコントロールしなければならない。

その場合、国は個人を細かい所までは面倒みませんよと言っている。

自由ということは、自分で自分の面倒をみなければならないということだ。

自由とは何であろうか。

自由とは、「欲望を思いのままに選択でき、満たすこと」と仮に定義したとする。

その自由を手に入れる為には、貨幣が必要である。

貨幣とは、自分の欲望と交換する権利である。

その貨幣は、自分とは異なる他者の欲望を満たすことで交換される。
そこでは、他者の欲望に自分を合わせる必要が生じてくる。
つまり、不自由が生じる

自由は、その裏に不自由があり、欲望がある。


上記は、『大人の自由』である。
なんだか纏まらないが、眠くなってきた。
子供の自由は、また別の話になりそうだ。


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