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「占う」ということ。自己分析と他者理解と。

先日、Facebookで見かけたテキストが気になった。

URLをツイートしっぱなしだったのだけれど、この記事を読んで、自分が占いを学ぼうとしたきっかけを思い出した。

私が占いを身につけた理由。
それは、自分以外の人のことを理解したいという思い。

占いの前には、心理学もかじった。(私の出身校の上智大学は“人間学”っていう神父さんに教わる授業が必修科目で、エニアグラムをやる)
でも、心理学は使いにくかった。もう少しテンプレ化されていたり、相手の情報が少なくても参考になるツールが欲しかった。

最初は個人鑑定のお客さんから始まった。その占い体験を経て、仕組みが知りたくなり勉強をはじめ、鑑定料をいただいて占う立場になった今、私は、いわゆる“占い”は人間を理解するフレームワークとして捉えている。(正確に言うと朴術と言われるカード占いは、ここには含めて考えていません)

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【余談】占いは統計学なのかって話題が先日チラリとありましたが、私も統計学とは考えていません。コミュニケーションプランナーの本業からするとフレームワークって表現がしっくりくる。「そもそも、統計ってさー」とデータも扱う立場として語り始めると話がそれるので以降割愛
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この社会に生まれた誕生日から算出した星や、手のひらの特徴から、人の性格傾向を把握する。
特徴別にいくつかに分類があって、それらの分類同士の掛け合わせの数で、本来はオンリーワンの多様な人間を理解しようと努力する世界。
これが、占いで人間を理解する仕組み。

例えば勝手ながら先の文章の中で筆者が自己分析している、

「自分は強者で、正論で生きてて、しんどいひとの心のありようを理解しづらい人で、ナチュラルに強者の理論を押しつける奴なのかもしれない」

といった人物描写に触れると、
中年天将星を持っているのかな… 牽牛とか龍高、石門なんかもあるかな… とか、
頭脳線はあまり下降していないだろうな、感情線は中指と人差し指の間に向かってるかな… というか、そもそもマスカケかな… 運命線しっかりしてそうだな… とか。
逆引き的に想像することもできる。(勝手にごめんなさい)

自身の経験や周囲の人の意見を反芻して、自己分析ができれば、占いは必要ないと私も思う。ただし、「自分と他人は違うという大前提を理解していれば」という条件が必要かなと。

件の文章の筆者の場合は、

自分の価値観や経験則は、脇に置いておいた。わたしは目の前のその人に関心があったから、自分のことなど脇に置いておいたほうが都合が良かった。ただひたすら彼らの世界観にとっぷり浸かって話を聞いた。そうすると、これまで見えてこなかった世界があり、発見があった。

さらに自分の経験として、他者理解に向き合っている。これは誰もが簡単にできることではない。彼女は、本当に目の前のものに誠実であろうとする人で、かつそれができるだけの強さを持ち合わせている人だなと感心する。

「自分の価値観や経験則を脇に置いておくこと」
これが本当に難しい。

私が離婚し、娘は父親に任せたと知った友人から「良いの? 本当にそれで良いの?」と連絡をもらったことがある。それまでほとんど連絡も取り合っていなかった友人だ。
詳細は割愛するが、離婚理由は不貞の類ではないので、私が親権持つのが世間的には普通なのだけれど、私には自分が母子家庭で育った子でもあるので考えに考え抜いた末の決断だったので、正直困った。
心配してくれた友人の気持ちは素直にうれしいけれど、彼女の価値観押し付けられてもなぁ…と若干不快だった。

まあ、そんなわけで離婚して交友関係は変わった。ゆるーくSNSでは繋がり続けているけれど、以来「会おうよ」ってならなく人がそれなりの人数いる。
そんな経験の寂しさからか、私は占いを身につけたんだと思う。

人が離れていっても、それで自己肯定感を損なう必要はない。
そして、相手を責めてもならない。
どちらも悪くない。

お互いが幸せな距離感を掴むための助けを得られるところが、私は占いの良いところのひとつだと考えている。

この記事の後半にある「ドン引き」の構造の指摘もまた素晴らしい。
私はどちらかというと、周囲を「ドン引き」させるタイプだなと、経験からの自覚があった。

「当事者」と「非当事者」、「理解できるやつ」と「理解できないやつ」で大きな大きな壁ができることだ。やりきれない思いを抱えて、「あんたなんかにわかるわけがない」「やっぱりあんたはなんにもわかってない」、と当事者が周囲に刃を振り回して吐いて捨てるとき、当事者じゃないひとはドン引きする。「君子危うきに近寄らず」というように簡単に離れてしまう。

でも、自分の価値観や行動様式と、相手のそれとのギャップを理解しておくと、やりきれない思いを抱えることはなくなる。
ただ、実際に鑑定をしたり、占い界隈に関わるようになって、占うことは、「自分はこうだから」、「相手がこうだから」と思考停止や言い訳の幇助をすることもできてしまうことも知った。

自分を把握してもクセはそう変わらないので、未だ周囲をドン引きさせることのある私は「仕方ないよなぁ、だって…」と思う時に言い訳の落とし穴に片足突っ込んでいるような気もするけれど、人間を理解したい、もっとより良く生きたいという時に、占いってこういう風に参考になるから使ってみてと、占いをよく知らない人には伝えていきたい。

私は自分が占いを身につけたキッカケを思い出して、これからもスキルを磨いていきたいなと改めて思った。

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