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させていただく Of The Year

きょう、区営体育館のプールサイドで今年一番の「させていただく」に出会った。注意書きのプレートに、プール内でやってはいけない危険行為を列挙したうえで、こう書いてあった。

危険行為はご遠慮ください。見かけた際にはその都度、注意喚起させていただきます。

いやはや。
まず、ここは、単にこう書くべきだろう。

これらの危険行為は禁止です。

過剰な「させていただく」がなぜ不快なのか、この注意書きに見事に凝縮されている。それは「敬意と責任の欠如」だと私は思う。

まず「危険行為はご遠慮ください」の一文。
プールは一歩間違えたら人が死にかねない施設だ。
危険行為は、設備運営者として「ご遠慮」してもらうのではなく、明確に禁止すべき事案だ。
それなのに、発見したら「その都度、注意喚起させていただく」という。
「禁止だと注意する」のではない。
「ご遠慮くださるよう、注意喚起させていただく」というのだ。
これは、言葉使いを丁寧に、なんて話ではなく、ある種の責任放棄だ。
本腰を入れるべきところで腰が引けている。

真っすぐに「禁止します」と書かないのはリスクヘッジ、おそらく「モンスターカスタマーリスク」のヘッジだろう。
危険行為をやらかすおかしなヤツに、「禁止」とか「厳重注意」とか「出入り禁止」なんて対応をしたら、どんな反応があるか分からない。
だから、あらかじめ土下座レベルで下手に出る。
ちょっと、分からないでもない。不特定多数のいろんな人が出入りする公共施設だから、おかしなのも来るだろう。

しかし「危険行為の防止」は譲れない一線のはずなのだ。
「ダメなモノはダメ」なのだ。
モンスターとか、気にしている場合じゃない。
それでも「させていただく」と書く。
なぜだろう。
そこには「相手がまともに日本語が読めないかもしれないリスクのヘッジ」という側面も潜んでいると思う。

ここから、ちょっと飛躍します。
仕事のメールなどの文章で「させていただく」のオンパレードをくらう機会が増えた。
ほとんどの人は手癖で、あるいはそれがマナーだと思ってやっているのだろうとは思う。
それでも、このいつからか広まった「文化」の底には、「普通の丁寧語では、相手が『無礼だ』ととらえかねない」という心理があるのではないか。
だから、限りなく「下から目線」ですべてを記述する。その方が楽、という面もあろうだろう。
でも、そこには形式があるだけで、本当の敬意はない。
「とにかく、させていただく」系の文章が慇懃無礼に感じるのは、この敬意の欠如、あるいは「相手がまともに日本語を読めないかもしれないリスクのヘッジ」の匂いが漂うからだ。

蛇足を少々。
私は「させていただく」を撲滅せよ、と言っているのではない。
たとえば貴重な機会をいただいて講演する際や、諸先輩方がおられる席での乾杯の音頭や、その他いろいろ、本当に「させていただく」がふさわしい場面はある。
そんな時には、使えばよい。というより、使うべきだ。
だからこそ、「そんな時」に重みが欠けてしまわないよう、濫用しない方が良いのだ。
言葉は、使いすぎると、すり減るのだから。

最後にもう一度、「させていただく」Of The Year の一文を引いておく。

危険行為はご遠慮ください。見かけた際にはその都度、注意喚起させていただきます。

こういう文章を書くのは、今後とも、ご遠慮させていただきます。

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