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タイトル変更?ありえない! おカネの教室ができるまで㉒

「できるまで」シリーズ3商業出版編の第7回です。総集編その1その2のリンクはこちらから。面倒な方は文末の超ダイジェストをご覧下さい。

バトルの号砲

バトルの火ぶたを切ったのは、11月下旬にミシマ社の編集アライから届いたメールだった。そこにはサラッと、
「『おカネの教室』だと、いわゆる金融入門みたいなイメージがどうしても湧いてしまうので、タイトルはやはり、要検討かなと…!」
とあった。

私は即座に、
・長年「おカネの教室」でやってきたので変更は想像外
・馴染んでいるだけでなく、シンプルで良いタイトルだ
・Kindleでそこそこ売れてブランディングもできている
・デザインや帯で工夫の余地はある
・サブタイトルをつける手もある
と、過剰反応気味に反論した。

この頑ななオッサンに対して、編集アライはふわりと余裕をもって応じてきた。

「おカネの教室」にご愛着があるのはもちろん、よーーーくわかるのですが、すこしそれは横において、書籍として何が最適か?を考えていきたい次第です。
もちろん、考えた末に『おカネの教室』が一番だ!となるのはOKなのです。
が、「いやこれ以外考えられない」ではなくって、この本が青春経済小説であるようなことがなんとなく伝わり、数多くあるお金本のなかで、抜けだすことができる、そして一番大切なのが、内容にぴったり似合うこと。
タイトルという服を着せてあげて、世に送り出すのが、本に対しても一番のエールだと思います。

返信をみて、私は「コイツ…デキる…!」とうなった。読後には「そこまで言うなら、トコトン考えてみようじゃないの!」という気になっていたからだ。
こうして、ノセるの上手なデキる編集者と、ノセられやすい単純なオッサンの共同作業が始まった。

その後、ゲラが組まれ、表紙や目次のデザインの詰めも進み、本づくりが着々と進むのと並行して「タイトル探し」は延々と続いた。
詳細は省くが、
・完全に改題する
・ビジネス書っぽいサブタイトルをつける
・別タイトルにして、『おカネの教室』をサブタイトルにする
といったあらゆるパターンで、ギリギリまで、具体的には発売1か月ちょっと前の2018年2月まで、タイトルは確定しなかった

私は暇さえあればタイトル案を練り、自分で「そこそこ良いな」と思えるものは編集アライと共有した。
だが、ゼロベースで考え直してみても、「おカネの教室」よりしっくりくるものは出てこなかった。
編集アライの「服」というたとえにならえば、フィット感に乏しい、「ビジネス書コーナーで座りの良いお仕着せの衣装」しか出てこないのだった。

タイトルは「問い」である

暇さえあればタイトルを考えていたとき、よく脳裏をよぎったのが、高校1年の現代国語の授業で山田シュンサク(俊作、だったと思うがうろ覚え)が高らかに述べた、こんな言葉だった。

小説のタイトルは『問い』であり、本文はそれに対する答えだ

シュンサクは、小澤征爾をちょっと縦に引き伸ばしたような藪にらみの独特の風貌と、高校生相手に本気の文学論をぶちかます型破りな授業スタイルで、一部で高い人気を誇る名物教師だった。
高1で受けた授業は、いまも鮮明に思いだせるほど衝撃的だった。シュンサクの授業で、私は初めてテキストを徹底解体するレベルまで掘り下げる「小説の読み方」があるのを知った。
たとえばある短編小説を題材とした授業では、作中のすべての人称代名詞を抜き出し、その変遷から登場人物の人間関係の変化を実に鮮やかに読み解いてみせた。この授業を受ける前と後では、その作品の読み味が一変したのを覚えている。
そんな大学のゼミレベルの内容を高校の授業でやるのは相当な無茶で、一部では「わけわからん」と不評だったようだが、文学評論を敬遠してひたすら小説を乱読するだけだった高井少年には、目からウロコがボロボロ落ちる面白い講義だった。

(写真がないと寂しいので我が母校など。愛知県立中村高校。卒業して30年近いが、少なくとも玄関は恐ろしいほど変わっていない…)

シュンサク曰く、「ここに『罪と罰』という本がある。これに『とは何か』を付け加える。『罪と罰とは何か』。本文から、この問いに対する答えを読み取る。それが文学を読むということだ」。

これは唯一の答えでもなんでもなく、「そんな視点もある」という見解だろうと思う。
それでも、自分の本のタイトルをつけるという作業のなかで、この30年前の国語教師の言葉が鮮明によみがえっていた。

総集編その1に書いた通り、「おカネの教室」という作品の場合、まず、タイトルが先にあった。最初は「無限論の教室」のパクりでしかなかったわけだが、それでも「タイトルありき」だったのは間違いない。
そして、そのタイトルに沿って、ある意味では、「それ」への答えとして、私は時間をかけて物語を構築していったのだった。
もっと具体的に言えば、このタイトルに、登場人物たちの造形や言動を引っ張る引力のようなものがあって、彼らが動き回れる「教室」という空間を形作っていった。
考えれば考えるほど、「やはりこれは『替え』がきかない」という確信が強まった。

もう1つ、無視できないファクターだったのは三姉妹、特に次女の猛反対だった。
私は本づくりの過程でしばしば「家族会議」を開いた。このコンテンツは、長年親しんでくれた第一読者の娘たちとの共有物だという感覚があったからだ。
慣れ親しんだタイトルを変えるのには反対だろうなとは思ったが、次女の「タイトル変えるぐらいなら、もう、本出さなくていいよ!」という強硬意見には驚いた。次女は、タイトル変更以外にも、リライトの過程で一瞬浮上した「キャラクターのニックネームをやめて本名で通す」という案にも、「あり得ない!絶対反対!」と猛烈に反発した。
この次女の「ご意見」は、編集アライとの交渉(?)で大いに活用させてもらった。

結局、タイトルの大幅な変更はなく、最終的には、編集アライとも「サブタイトルなしの『おカネの教室』」で行きましょう!」と合意した。

元に戻ったのなら、この「タイトル探し」は無駄だったのか。
そんなことはない。
「ゼロベースで徹底的に見直す」という作業を経たことで、「これでいいのだ!」という確信が深まり、同時に、「この本はどんなコンテンツなのか?」という問いを突き詰めるとても良い機会になったからだ。
編集アライが最初に予言(?)していた通り、「考えた末に『おカネの教室』が一番だ!となるのはOK」だったのだ。
恩師シュンサクの教えを転倒させれば、「『答え=作品』に対して適切な『問い=タイトル』になっているのか」をトコトン考え抜いた、という手ごたえを私は感じていた。

結局、「おカネの教室」には「僕らがおかしなクラブで学んだ秘密」というサブタイトルがついて出ることになる。
そこには、この「置く棚に困る変な本」をどう商品に仕上げるか、具体的には「小説寄り」にするか「ビジネス書寄り」にするか、という力学が関係している。

次回はこの、もう1つのバトルについて詳しく書く。

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「おカネの教室」ができるまでシリーズ、ご愛読ありがとうございます。
最終編のシリーズ3の商業出版編、ボチボチと書いていきますので、ごゆるりとお付き合いください。乞うご期待!

「お金の教室」のわらしべ長者チャート
娘に「軽い経済読み物」の家庭内連載を開始
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作中人物が独走をはじめ、「小説」になってしまう
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出版の予定もないし、好き勝手に執筆続行
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連載開始から7年(!)経って、赴任先のロンドンで完成
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配った知人に好評だったので、電子書籍Kindleで個人出版
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1万ダウンロードを超える大ヒット。出版社に売り込み開始
       ↓
ミシマ社×インプレスのレーベル「しごとのわ」から出版決定←いまここ

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