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「ビジネス書」でいいのか? おカネの教室ができるまで㉓

「できるまで」シリーズ3 商業出版編の第8回です。総集編その1その2のリンクはこちらから。面倒な方は文末の超ダイジェストをご覧下さい。

本は「分類される」運命にある

この連載で何度も書いてきた通り、作者は「おカネの教室」はビジネス書・経済書ではなく、「経済解説がストーリーの軸になっている青春小説」だと思っている。経済と青春は変な取り合わせだけど、しょうがない。登場人物任せで書いていたら、そういうモノになってしまったのだから。

一方、商品としては「おカネの教室」はまぎれもなくビジネス書・経済書に分類される。
たとえば「日本図書分類コード」なるものがある。
アルファベット「C」の後ろに4桁の分類用の数字を添えたもので、Cコードとも呼ばれる。書籍のバーコードの近くに印字されていることが多い。
Cコードの最初の数字は「販売対象」、2番目は「発行形態」、残りの右端の2つの数字が「内容」を表す。手元の本だとこんな感じだ。

アップルを作った怪物 C0034 = 一般・単行本・経営
カラマーゾフの兄弟(光文社文庫) C0197 = 一般・文庫・外国文学小説
理系大学受験 化学の新研究 C7043 = 学習参考書(高校)・単行本・化学
かいけつゾロリシリーズ C8093 =児童・単行本・日本文学、小説・物語

まあ、合ってる。違和感があるのは、ウォズニアックの自伝が経営に入っていることぐらいか。伝記でも良いような気がするが、「アップル本」として売られたとすれば「あり」なのだろう。

おカネの教室は「C0036 = 一般・単行本・社会」に分類されている。
書店は配本された本を基本、このCコードに沿って並べる。そもそも「しごとのわ」というシリーズ自体、ちょっと風変わりではあるが、ミシマ社とインプレスがコラボしたビジネス書のレーベルだ。

(ISBNコードの下にあるのがCコード。1600円なんだよね。消費税高い…)

本を出してから、あちこちの書店をのぞいて自分の本の「扱い」と売れ行きをチェックするのがルーティーンになっているのだが、これまで「日本文学」のコーナーに置いてくれていたのは丸善お茶の水店さんだけ。これは嬉しかった。書店員さんが読んで「これは文学だ!」と判断したのか、帯に「青春小説」と書いてあるから間違えてそこに置いちゃったかは不明だが。

本の分類には「日本十進分類法」というのもある。図書館の本の背表紙に貼ってあるシールの、あの数字だ。
今、地元の江東区立図書館の検索サービスで見ると、「おカネの教室」の分類は「330」だ。「3類」は社会科学で、330は「経済」ということになる。
ネットで発見したある図書館の司書の方の感想に、「9類でも良いほどの出来」という表現があり、「9類って何よ」とググったら、「文学」だった。これもかなり嬉しかった。

ちなみに、今見たら、江東区全体で10か所くらいある図書館のうち6か所が「おカネの教室」を置いてくれていて、全冊貸し出し中で「予約待ちは48人」となっている。ちょっと前に娘が見たら30人ぐらいだったので、人気は上がっているようだ。これも嬉しい。48人の半分くらいが気が短い人たちで、「もう買っちゃうか」となってくれれば、もっと嬉しい。

「置かれる棚」にどこまで合わせる?

前振りが長くなった。
要は、「おカネの教室」は、ビジネス書コーナーで売られる本なのだ。
そこに来るお客さんが手に取ってくれないと、いや、その前に書店に仕入れて並べてもらわないと、売れない。
「ビジネス書の読者に合わせた体裁にする」のは、それこそ出版がビジネスである以上、当たり前のことだ。そこは私も理解していた。

問題は「程度」だ。

ビジネス書というのはおおよそ、
・インパクトのあるタイトルで効用を訴える
・タイトルから想定読者も分かるようになっている
・目次を見れば、何が書いてあるか、何が学べるか、だいたい分かる
という作りになっている。
これは、いわゆる「ラノベ」は別にすると、小説の作りとは真逆だ

ビジネス書の作法に近づければ、経済青春小説というユニークさは薄まる。
でも、小説に寄り過ぎれば、そもそも売り場に並べてもらえない。
このバランスをどうとるか。
私は基本、編集アライからの「まず並べられるのはビジネス書コーナーなのですから、その読者に寄せていきましょう」という提案に沿って本づくりを進めていった。

一例は各授業についている小見出しだ。

(目次で授業の内容がある程度分かるようになっているが、よくわからない見出しもある。2枚目の写真のさりげなく置かれたチョークが素敵)

家庭内連載版では初め、カイシュウ先生が必ずお金に関する金言や諺を口にして、それをタイトルにしていた。「金の切れ目が縁の切れ目」とかそんなやつだ。
Kindle版では、それを「三題噺」風に変えた。たとえば1時間目は「そろばんクラブ、でかいおじさん、あなたのお値段」といった具合だ。

書籍版の各講義の見出しはもっと具体的な授業内容の説明になっている。「リーマンショックはなぜおきた」とか「貧富の格差が広がる理由」なんかが典型だ。一方で、「似たもの親子、似てない親子」など、パッと見ても中身が分からない見出しもある。
これは、編集アライと私のバトルというか、綱引きの結果だ。
書籍版で単に「4月」「5月」となっている章にも見出し、具体的にはその月の講義で述べられる「市場経済」とか「金利のメカニズム」といったテーマを入れようという案もあったが、これは私が「やめましょう」と却下した。ビジネス書寄りになりすぎると判断したからだ。

普通の小説では入らない「あとがき」も加えた。「あとがきから読んで買う人もいる。娘のために長年かけて書いた家庭内連載から生まれたユニークな本だという成り立ちを知ってもらいたい」という編集アライの提案だった。これは私も賛成した。

(いわば、販促の一環として入れた「あとがき」。でも、なかなか、ええこと書いてありまっせ)

こうして「おカネの教室」は、ビジネス書コーナーに並んでも、さほど違和感がない作りに寄せられていった。それは「置かれる棚」を考えた、ある種の妥協という面もあったのは確かだ。
だが、仕上がった本を今、手元でじっくり見ていると、商品としてはなかなか「絶妙のバランスに着地したな」と感じている。

ビジネス書は「狭すぎる」

だが、実は、このバランスが一気にビジネス書サイドに傾きそうになった危うい瞬間もあったのだ。それも発売まで2か月を切った1月半ばというタイミングで、だ。

火種はやはりタイトルだった。
サブタイルの最終版は「僕らがおかしなクラブで学んだ秘密」となったわけだが、これをもっと実用書寄り、たとえば「なぜ?どうして?金融と経済」とする案が浮上した。
この提案に対して、私が編集アライに送ったメールを抜粋する。ちょっと長いのでポイントだけ太字にしておく。

結論から言うと、モロに実用書らしいサブタイトルを付けるのはやめるべきだと考えます。
すでにこの本の体裁はガッチリとビジネス書寄りになってます。
「ビジネス書の棚に並ぶのだから」という発想で、さらにノウハウ本臭を出せば、ビジネス書の山に埋没するだけではないでしょうか。
昨今の即物的な装丁やタイトルの書籍に比べると、本書は地味です。
そこを逆手に取って、ビジネス書としては違和感のある作りにした方が、逆に目立つと思います。

もっとぶっちゃけて言うと、この本はもともと、「並べる棚がない本」なんです。だからKindleで出したんです。
そりゃ、最初はビジネス書コーナーに並ぶんでしょう。でも、そこにとどまるなら、知る人ぞ知る良書にとどまって、尻すぼみだろうと思います。
この本がヒットするとしたら、それは、普通の棚に並ぶんじゃなくて、話題の本として平積みになったときです。棚に関係なく。あるいは、影響力の強い有名人なり、書評なり、SNSなりの評判で火がついたときだと思うのです。
それには、「類書のないユニークな本」という立ち位置を狙うべきと考えます。ビジネス書コーナー内で最適化するのではなく。
分かりやすすぎて野暮ったいサブタイトルを付けるのは、即効性を求めるビジネス書ファンは手っ取り早くつかめるかもしれませんが、間口を狭めるし、マーケティング上も得策ではないと思います。普通のビジネス書はダサいくらいの方が売れてるようですが、この本の場合、ダサさは致命的な欠点になると思います。

私は、本を出すのは初めてですが、これまで数千時間を書店や図書館の本棚の前で過ごし、数十万冊の中から、数千冊の本を買ってきました。
何度も愛読するような本は、見た瞬間に、これは自分に向けて書かれた本だ、と直感するものです。一発でジャケ買いした本、パラパラめくっただけでワクワクする本が、外れだったことはありません。
そこまでではなくとも、どこか自分との縁を感じる本、こちらを向いていると思える本なら、迷わずレジに持っていきます。
それは、ビジネス書やノンフィクションであってもそうで、具体的な効用への期待よりも、もっと感覚的な判断、直感がモノを言うのです。
こんなことが書いてあるらしい、こんなことが分かるから読んでみよう、と点数をつけるようにして選ぶのは、ダイエットやストレッチ、マネーのノウハウ本くらいじゃないでしょうか。本書は明らかにそんな即効性のある、安っぽい本ではありません。
そういうブックハンターとしての私の感覚からすると、本書の作りは、現時点で、読者を限定する「狭すぎ」に陥るギリギリのところに来ていると思います。

もちろん、何が書かれているか分からなくてよい、という訳ではありません。
でも、その部分は、帯と広告で補えるのではないでしょうか。
ですので、サブタイトルを付けるとしたら、私は、ソフィーの世界(サブタイトルは、哲学者からの不思議な手紙)や、アルケミスト(夢を旅した少年)のような方向であるべきと考えます。
小説家気取りをしたいわけじゃありません。普段はビジネス書や経済書を読まない人たちが手に取ってみようと思うよう、間口を広げるべきだからです。
そもそも、これは、「そういう人」の一人である、我が娘のために書いた本なのですから。

長文ご容赦。以上、言いたいことは全て書きました。
あー、スッキリした!

いま読み返しても、よくもまあ、こんな自信満々で傲慢なモノを送り付けたもんだな、とあきれる。「あー、スッキリした!」なんてのは、いい大人が仕事のメールで使って良い表現ではない。
だが、もうこの頃には、編集アライとのやり取りは「あけすけに、ガチで行きましょうか」というモードになっていた。
ロンドンと京都という物理的距離のせいで直接の打ち合わせができないこともあり、お互い、メールのやり取りで遠慮している場合ではなかった。

編集アライからは「率直な意見、ありがとうございます!」という返信とともに、「これはもう、スカイプで打ち合わせしましょう!」という提案が来た。
会議に先立って、私は自説を補強するデータを集め、事前に編集アライと共有した。ファイルが残っているのでこちらも抜粋を載せておこう。

私が主張したかったのは、主に2点だった。
・ビジネス書の読者層は狭い。「小説」であることを売りにすべき
・タイトルは大事だが、帯やデザイン、「口コミ」等で補える

2018年1月20日、私と編集アライは半年ほどの共同作業で初めて「顔を突き合わせた打ち合わせ」をやった。それまでは電話で済ませていたが、ようやく「ご対面」となった。
この日の打ち合わせでは、タイトルとサブタイトル、それにあわせた営業・販促の展開、カバーのデザインの詰めなどがテーマになった。
この頃には4月に私が日本に帰任すること、2月に東京での家探しのため一時帰国することが決まっていたので、その際のスケジュールなども話し合った。
懸案のタイトルについては、私の提案の線で行きましょう、という結論になった。

揺れる乙女心

そう、そんな結論になったはずだった、のだ。
ところが、その2日後、編集アライから「サブタイトルがメインのほうがいいんじゃないか?という声があります」というメールが届いた。「『僕らがおかしなクラブで学んだ経済のカラクリ 〜物語・おカネの教室』という感じです」と具体例も挙げてあった。
そのメールには「それもいいのかなという気持ちもなきにしもあらず」とあるかと思いきや、「いや、『おカネの教室』は『飛ぶ教室』みたいな感じでええのでは、などとぐるぐる頭がまわりよくわからなくなっております」と揺れる乙女心が綴られていた。

私は「メーン・サブ入れ替えは絶対反対」と再度長めのメールを送り返すとともに、「むしろ経済入門書感を下げよう」と4つの代案を出した。

おカネの教室~~僕らの奇妙な課外クラブ活動日記
おカネの教室~~奇妙なクラブで僕らが学んだ世界のカラクリ
おカネの教室~~おかしなクラブで僕らが学んだ秘密
おカネの教室~~ようこそ、おかしな課外クラブへ

ご覧のように3つ目は最終案に限りなく近い。
そしてついに、編集アライがこのメールへの返信で最終案にたどり着いた。

現状の私の意見としては、
『おカネの教室  僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』
をタイトル・サブとして、たとえば帯に(中略)
という感じでしょうか。あ、これけっこういいのかもしれない・・・・
ひとまず、追ってメールいたします!

私も、「きた!これだ!」と思い、すぐさまメールを返した。

そう!そういう感じですよ!
やっぱり自然ですよね、そのタイトル・サブのバランスが。

この直後に編集アライから来た返信が、タイトルバトルの最終決着となった。そのメールを開いたとき、私はまた「こいつ…デキる…!」とうなった。それはこんな書き出しだった。

高井さま
こんにちは。
今日、丸善京都本店、ふたば書房御池ゼスト店さんに行ってきました。

編集アライは「いいかもしれない…」というメールの後、速攻でタイトル案に対する書店員さんの率直な反応を現地調査してきたのだった。
「足で稼ぐ」「迷ったら最前線のプロに聞く」。これは、私の本業の記者稼業でも基本中の基本だ。
編集アライの調査で、書店員さんからはこんな意見をもらった。

「内容を説明するようなタイトルの方が分かりやすいけど、『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』のほうがいろんな棚に置きやすい」
「『経済のカラクリ』などと入ってしまうと、『あ、自分のことじゃないな』とむしろ手にとらなくなりそう」
「要は『装丁次第!』」

この「現場の声」に背中を押されるように、編集アライと私は「もう、この線で、デザインも詰めていきましょう!」と合意に至った。
「装丁次第!」という書店員さんの声には、デザイナーの佐藤亜沙美さんとイラストレーターのウルバノヴィチかなさんが、素晴らしい仕事で満額以上の答えをだしてくれたことは、前々回ですでに記したとおりだ。

実はこの後、編集アライと私は「もう、サブタイトル無しで、『何だろう、この本』と思わせましょう!」というところまでラディカル路線へと突き進んだ。これは最後にオトナの人たちから、「いや、それはいくら何でもワケワカランだろう」というブレーキがかかった。
出来上がってみると、オトナの皆さんのご意見は、大変ごもっともだったと思う

タイトルが固まり、デザインが詰めの段階に入り、ゲラチェックを重ねるなど、本作りはいよいよ佳境を迎えつつあった。

(ゲラチェックでよく利用したオフィス近くのパブ、Inn of Court。それほど激コミでもなく、居心地良し。もちろん、エールとチップスがおとも)

そんな中で、2018年2月の半ば、私は帰任後の家探しのため、日本に一時帰国した。いよいよ編集アライ、そして版元インプレスの皆さんとリアルにご対面する時が近づいていた。

次回は、編集アライとの念願のご対面、一時帰国時の販促作戦会議や書店のあいさつ回りなどの体験談を取りあげます。

乞うご期待!

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娘に「軽い経済読み物」の家庭内連載を開始
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作中人物が独走をはじめ、「小説」になってしまう
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出版の予定もないし、好き勝手に執筆続行
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連載開始から7年(!)経って、赴任先のロンドンで完成
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配った知人に好評だったので、電子書籍Kindleで個人出版
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1万ダウンロードを超える大ヒット。出版社に売り込み開始
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