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若い記者の皆さんへ オジサン記者からの私信

先日、「退職のお知らせ」を社内にメールした。
すると、ある中堅記者が「スクショして大事にしてました」と私のメールの写真を返信してくれた。ビックリした。本人は、書いたことも、送ったことも、忘れていたからだ。

当時、私は証券部のデスクだった。証券部は新人として配属された、ホームともいえる部署だ。
デスクの仕事は「紙面を作ること」だ。取材のテーマや方向性を考えたり、連載企画を考えたり、記者の相談に乗ったりする。
「その日の紙面」を作るのもデスクの大切な仕事だ。記者が書いた記事を整え、ネット(電子版)や紙面に掲載するコンテンツに整える。

この「その日の紙面の作成」は基本、ローテ仕事だ。
朝刊なら、昼過ぎあたりから紙面を上司や同僚と相談して設計し、夕方にかけて出てくる原稿を編集する。
私の担当分野では、紙面が固まり、手が空くのは21~23時ごろだった。
仕事が一段落すると、私は「反省会」と称して担当紙面の記事を書いた記者数人に電話をかけていた。
記事のどこが良かったか。
初稿と比べながら、デスク(私)がなぜ、どこをどう直したのか。
記事をもっと良くするには、どんな取材や材料が必要か。
書き方にどんな工夫の余地があるか。
そんな話を、長くてひとり15分、短いと数分で終わる短い「反省会」で伝えた。どうしてもお説教じみたことになりがちなので、最後は「おつかれさま!」とか「健闘を祈る!」と笑いながら締めくくっていた。

「反省会」は、恩返しというか、バトンリレーのつもりだった。
私自身が、新人から入社3年目くらいの間に、何人かのデスクや先輩記者に同じようなことをしてもらった。当時は、記者クラブにいると「本社まで来い」と電話がきて、デスクの横に立ってご指導を賜ったものだった。
そのおかげで、私は記事が書けるようになった。
オジサンになって、今度は私がバトンを繋ぐ番が来たのだな、と思った。
新聞社に限らず、そうしたバトンリレーが日本全国津々浦々の「現場」を支えているのだろう。

某中堅記者が思い出させてくれたメールは、2020年3月末、編集委員になる直前に書いた。
自分も「書き手」に戻り、デスクとして働くことはもうないだろうな、という思いで書いた、最後のバトンだった。はずなのに、すっかり忘れていたのだから、我ながらいい加減な人間だな、と笑ってしまう。

もとは私信ではありますが、また忘れてしまいそうなので、記録をかねてシェアします。

(以下、引用。一部、表現を修正・補足しています)

各位

これは現場の記者の方にだけお送りしています。
中身は、「原稿が書けない人」に向けたものです。
「私は書ける」という方は、さっさと削除してください。

私は特ダネをとる才能はありませんが、原稿はそこそこ書ける方だと思います。
折りに触れて、個々には「どうすれば書けるようになるか」を伝えてきたつもりですが、まとまった機会はもてませんでした。
以下は、高井デスクの最後の「反省会」です。参考になれば幸いです。

私は「書いた原稿が(ほぼ)そのまま載る」のが、プロの記者の最低ラインだと考えています。

記者を長くやっていると、「原稿がそのまま載せられる」という能力が不可欠な場面が必ず来ます。
私自身、数年に一度は1時間、30分、最悪15分で1面アタマを仕立てなければいけない時がありました。

新人時代にそんな場面を先輩たちが乗り切るのを見て、ビビり体質の私は目標を立てました。
それは、

「5年以内にすべての原稿が『そのまま載る』レベルになる」

というものでした。
現実には、本紙1面は7年目くらい、中面は4年目で「そのまま」を達成できました。

別に私に特別な才能があったわけではありません。
社内には、そんな人はゴロゴロいます。
一部の方はもう「耳タコ」でしょうが、私がやったのは昔からある訓練法、「写経」です。

「写経」で何が身につくのか。
それは「日経くん」が頭と手に染みつくことです。

新聞記事は、おかしな日本語、独特の文体で書かれます。
雑報に個性は要りません。文章力も要りません。
日経新聞に特化した文体を身につける、つまり「日経くん」になって書けば良いだけです。
電子版やコラムの原稿は少し事情が違いますが、雑報も書けないのに、長尺モノが書けるはずがありません。
なお、「日経ちゃん」じゃないのは、日本の新聞はうっすらとおっさん属性を帯びているからです。

「写経」のやり方に特別なものはありません。

・毎日、日経新聞をよく読む
・「これはよく書けている」というベタ記事を1~3本見つける
・それを声を出しながら写経する(PCで)
・数字やファクトを入れ替えて使えそうな定型記事はノートにスクラップしておく

これだけです。
並行して、時間に余裕があるときは、自分の原稿を書くときに以下のような手順を守ります。

・「型どおり」に書く。定型記事をまねて書く
・書いたら、初稿をプリントアウトする
・固有名詞と数字をチェックしつつ、音読して、赤を入れる
・推敲した第2稿をプリントアウトする
・音読して、また推敲して、第3稿にしてから出稿する

これで1カ月でベタが書けるようになります。
その後1カ月で2段、3段見出しの原稿、そのまた半年後で中面の2番手、その1年後には中面アタマが書けるようになるはずです。
中面だけなら、2年もあれば「日経くん」として原稿が書けるようになります。
そこから1年も経てば、30分で書いて30分推敲すれば、1時間でどんな原稿も書けるようになります。
私もそうだったし、「写経」を愚直に守った私の後輩たちも、そうでした。

ここから先、コラムや1面の執筆となると、違ったアプローチと経験が必要でしょう。
確かなのは、「ここ」までできていなければ、「ここから先」はできっこないということです。

現場の記者が多忙なのは知っています。
仕事が集中しているとき、疲れているときにまで、無理して「写経」や推敲をやれとは言いません。

しかし、1年間、皆さんが出稿する原稿を見てきて、「このままでは、この人は伸びないな」と感じるケースが度々ありました。
仕込み系の原稿は執筆・推敲の時間が多くとれるはずです。
そのはずなのに、届いたファイルを開いてみると、「てにをは」の間違いが残っていたり、明らかに練っていないままの文章が並んでいたりする。

30行、40行、50行程度の原稿がきっちり書けない。
あるいは、「その程度の原稿」だから手を抜く。
勝負どころの原稿でベストを尽くさない。
「そういう記者だと認識されたら、大きな仕事を任せてもらえない」という想像力が働かない。
新人ならいざ知らず、2年目以上で上記のどれかに当てはまるなら、それは良い兆候ではない。
自分が何か勘違いしていないか、仕事のやり方が根本的に間違っていないか、自問してみてはどうでしょうか。

繰り返しますが、時間がないときに無理をしろ、という話ではありません。
ただ、もし、惰性で悪い癖がついているなら、いつか「書けないこと」がネックになって、記者としての活躍の場が限定される日が来ます。

長々と臭い説教を書き連ねてしまいました。
4月からは私も書き手に戻ります。
一緒に、プロとして、良いコンテンツを読者に届けていきましょう。

皆様の益々のご活躍をお祈りしております。

(引用終わり)

写経について、長めの原稿の書き方については、こちらのnoteも。

若い記者の皆さん(と、そうでもない記者の皆さまも)、がんばってください。

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