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#13 警官の血

市長に就任して1年。
朝は、市長室にいたのに、夜には牢屋の中。
何が起こるか分からないものです。

なぜこんなところにいるのか。
なぜ警察と戦わなければならないのか。
何のために、私はここにいるのか。
いくつもの「なぜ」に向き合う時間の中で、ふと、父親の制服姿を思い出しました。

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布団に倒れ込んでも、すぐには眠れませんでした。

弁護士から、外は大騒ぎだと伝えられ、美濃加茂市の状況、市役所の状況が気になって仕方ありませんでした。

大勢いた報道陣はどうなったのだろうか
市役所業務は通常通り行われているだろうか
市民の皆さんに迷惑はかかっていないだろうか
今日のアポイントメントの人は、理解してくれたのだろうか
明日のスケジュールは変更できたのだろうか

そんなことが頭の中をグルグル回り続けていました。

正直、私の行く末よりも
美濃加茂市のことが気になり、無力な自分が耐えられませんでした。

昼間、刑事から何度も言われた
「まずはさっさと辞職しろ。お前が辞めないと、市民に迷惑がかかる」
そんな言葉が蘇ってきました。

なぜ、こんな状況になっているのか。

そんな時に、ふと、警察官だった父親のことを思い出しました。

この事件の半年ほど前、60歳を迎えた父親は、岐阜県警を早期退職していました。私は父親が警察官だったことを、子どもの頃からずっと誇りに思っていました。

拳銃がある。
パトカーに乗れる。
制服がかっこいい。
そんなことではなく、愚直でまじめで、不器用なくらいに正義感に溢れている父が好きでした。
曲がったことの嫌いな厳しい父親に、理不尽に殴られたこともありました。

子どもの頃、家族で出かけるときは、運転する父の隣、助手席は私の譲れない特等席でした。
父親は、車から見えるものについての話や、すれ違う車のナンバーで足し算のクイズをするなど、色々な話を私にしてくれました。

しかし、記憶に残っているのは、そんな楽しい光景だけではありません。

生真面目な父親は、仕事が休みの日でも、危険な運転をする車、ルール違反をした車を見つけるとわざわざ車を止めに行き、注意をしないと気が済まない人でした。

私が助手席に乗っている時でさえ、お構いなしで危険な車を止めてしまうのです。時には逆上して脅迫めいた言葉をぶつけてくる人や、最悪な時には車で執拗に追いかけてくる人もいました。

まだ小さかった当時の私には、ただただ恐怖で、
「こんなことをしても、家族にとっていいことはない」
と思った私は、父のこの行動だけはやめてほしいと伝えたこともありました。

それでも父親は、曲がったことを許さない人であり続けました。
そんな父親の背中を見て育った私は、警察官は「絶対正義」であると信じ込んでいました。

それが、単なる幻想であったことを、思い知らされる1日でした...。
真面目一筋で勤め上げた組織が、事実無根の罪で息子を逮捕する。こんな事件を父はどう思うのだろうか。察するに余りある思いでした。

同時に、そんな父親の血を引く長男として、
『自分の正義を貫こう』
『理不尽なことに決して負けてはいけない』
そんな覚悟が湧いてきました。

(市役所や市民の人に迷惑がかかるかもしれないけれど、必ず理解してもらえるはずだ)

そんなことを、どれくらい考えていたのでしょうか。
ふと布団から顔を上げると、私の部屋の前で、パイプ椅子に座っていた男性は既に眠っているようでした。

聞いた話によると、動揺した被疑者が自殺などを図らないよう、監視役の警察官が一晩中、部屋の前に付きっきりになるそうです。

(この人は眠っていて大丈夫なのか?)
そんなことを思いましたが、父親のことを思い出したことで、
「この人にも大切な人生があり、色々と大変なんだろう」
と思いました。

というのも、私の父親も留置場に勤務していた時期がありました。
その頃は何かと忙しそうで、精神的にも大変そうでした。

そして、私を恫喝し、罵った刑事たちにも人生があるのだと。
彼らも仕事、彼らにも立場があるのだと考えることができました...


...私は、いつの間にか眠っていました。

私に手錠がかけられたのと同時刻、2014年6月24日の夕方、美濃加茂市役所が家宅捜索されていました。多くの報道陣を前に警察官、検察官が大量の段ボールを持って、市役所の中へと入り込んでいったようでした。

この日は深夜まで、市役所の職員さんたちは帰れなかったことでしょう。
こんなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ない思いと、皆さんの苦労が報われるよう、私は戦う気持ちを、より強く持ちました。

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