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【小説】カニ食いさんのお悩み相談 第二話


↑前回のお話です。


〈本編4,442文字〉




 チェーンソーのスターターを引っ張ると、耳障りな騒音と心地よい振動が同時に生まれた。ジャージに着替えてゴーグルをかけたわたしは、台に載せられた太い材木に刃を入れ込んでいく。

 雨上がりは絶好の彫刻日和だ。湿度が高いとおが屑が舞わないから、掃除が楽になる。

 今わたしが彫っているのはネコ。おが屑が絵具に混ざらないように隣の多目的教室に移動した他の美術部員が水彩画や油彩画、切り絵なんかで描いているのもネコ。学生美術コンは、時としてお題が課せられることがあるのだ。

 彫刻を製作している間は無心になれる。余計なことを考えなくて済む。遼花ちゃんのことも、美温ちゃんのことも、さっき潰したクマバチのことも。

 わたしはネコを飼ったことなんかないから、たぶん自然なネコを作ることはできない。そもそも木材であのもふもふしたかわいい生き物を表現するのは難しいし。トラとかライオンだったらゴツい感じが出てむしろ適してるんだけど。

 だから、あえてフィクションに振り切ったネコを作ってみようかと考えている。フィクションのネコ、想像上の獣。スフィンクスか猫又か悩んで、結局わたしは猫又にした。

 このアイデアは美術部内では結構ウケて、ツボがイマイチわからない顧問の先生は大爆笑していた。

 わたしは黙々とチェーンソーで材木を削っていって、気づけば一時間が経っていた。換気のために窓を全開にしているとはいえ、六月の雨上がりということもあって美術室はかなり蒸し暑い。

 エンジンを止めてチェーンソーを床に置き、机に置いておいた水筒を手に取る。麦茶を口に含みながら机に軽く腰掛け、少し離れたところから自分の作りかけの彫刻を見ると、かなりいい感じな気がしてきた。

「おっすー、ウチのパクりの進捗どう?」

 美術室の入口から気の抜けた声がして目をやると、同じ美術部員のあんずが覗きに来ていた。あんずとは中学からの付き合いで、何となく楽に話せるやつだ。

「パクりじゃないって。趣味が似てるだけ」

「おーん。まあウチはスフィンクスにしたから、棲み分けできて良かったわ」

 あんずはわたしの横に来てぴょんと跳ね、わたしよりもしっかりと机に座った。

「そういえばさ」

 切り出してから、わたしはためらう。美温ちゃんのことについてちょっとだけ愚痴ろうと思ったんだけど、あんずは群れないし人からどう思われようが全く気にしない子なので、美温ちゃん関連の話題は面白くないだろう。

「……やっぱいいかも」

 するとあんずは、わたしがためらったことを面白がったのかニヤニヤし始めて、

「何なの?言いなって」

「ええ……じゃあ言うけどさ、まず遼花ちゃんはわかるでしょ?去年同じクラスだったし」

「おん。それで?」

「遼花ちゃんっていい子じゃん?だからこれからも仲良くしたいんだけどさ……美温ちゃんに入れ込んじゃって、最近あの子の話しかしないの。わたしは美温ちゃんのこと大嫌いなのに。あ、美温ちゃんはわかる?」

「えっと……巨乳巨尻の?」

「認知の仕方ゴミすぎるでしょ。間違ってはないけど」

 そこまで聞くとあんずは足をぷらぷらさせながら、

「まあ、ウチは全然友だちが少なかろうがNTRネトラレようが構わないんだけどさ、確かにあんたからすれば嫌だよね。気持ちはわからんでもないよ。その美温ちゃんのことを知らないから深くは言えないけど」

「いや……うん。話聞いてくれるだけでいいんだけどさ。でもどうすればいいのかな。美温ちゃんをヨイショする連中とは関わりたくないんだけど、遼花ちゃんとも離れるべきかな?」

「わからん」

「だよねぇ」

 わたしはもう一口麦茶を飲んで、机から腰を離す。あんずはまだ自分の製作に戻る気が無いのか、わたしが再びチェーンソーを手に取ると、

「お、やっぱカッコいいね。マキマ戦のデンジくんみたいだ」

 ともう何十回したかわからない茶化し方で面白がった。

「早く戻りなよ。あんずのスフィンクスが完成しないとわたしの猫又が浮いちゃうから」

「いやいや、アートってフィクションの一環なんだからさ、写実的なネコだろうが人食いのバケモンだろうが何作っても平気だって。浮かないよ」

 わたしはスターターに指を引っ掛けて思いきり引くが、一度でエンジンがかかることは滅多に無い。案の定今回も不機嫌そうに唸るだけで動いてはくれなかった。

「バケモンといえばさ」

 今度は珍しくあんずの方から話を振ってきた。

「カニ食いさんって知ってる?たぶん怪異の類なんだけど」

「何それ?カニクイザルみたいな?」

「いや、ウチも噂しか聞いたことないから見た目とかは知らないんだけどさ。高速道路の真下の河川敷にいるらしい」

「……それ、怪異じゃなくて不審者なんじゃないの?」

「そうとも言うかもね。ただ、お供え物を持っていくと相談に乗ってくれて、悩みが尽く好転するんだって。5ちゃんの不審者スレで見た」

「やっぱ不審者じゃん」

 わたしは喋りながらもスターターを引き続けて、ようやくエンジンをかけることに成功した。美術室には収まりきらないエンジン音の中では会話もままならないので、あんずも諦めて美術室から出ていく。

 何だか変なことを聞かされてしまったけど、やはり製作の間は無心になれた。でも逆に言うと、製作をやめた途端にその不審者だか怪異だかわかんないやつのことが気になるということでもあった。

 カニ食いさんに相談すれば悩みが好転する。それはきっと、占いを聞いた後にそれまでの努力が正当な評価を受けても占いの通りだとしか思えないような感じなのだろう。

 でも、遼花ちゃんとか美温ちゃんとかについて誰かに話してすっきりしたいのは事実だ。あんずは良くも悪くも無関心だし。

 部活が18時過ぎに終わって、まだ明るいし帰り道からちょっと逸れるだけで良かったので、わたしは件の河川敷に行ってみた。

 地面が濡れているにも関わらずリトルリーグの選手達が野球の練習をしていたり、ランニングやイヌの散歩をする人達がいたりして、とても怪異ないし不審者が潜んでいるようには思えなかった。

 でも、高速道路の橋に近づくといきなり雰囲気が変わった。西陽は完全に遮られて薄暗く、ここだけは空気が冷えている。石ころだらけの地面は横殴りの雨のせいか橋の真下でも濡れていて、スニーカーを履いてきて良かったと心底思った。

 コンクリート製の基礎部分と橋脚の間にはスペースがある、というのは何となく察せられた。これは察せられただけで、直接見えた訳ではない。空いているであろう場所は青と白の水玉カーテンが紐で渡されて、まるで誰かのプライベートスペースかのように外部からの視線が遮断されていたのだ。

 きっと、この奧にカニ食いさんがいる。

 いざ来てみると意外にも緊張してくるもので、他に誰もいないこともあって引き返してしまおうかとも考えた。

 だけど、ここまで来て引き返したら、いろいろなアクションを起こしている美温ちゃんに何もかも負けてしまうことになる。

 本当はあの子への勝ち負けとかそういうのはわたしの中から一切排除したいんだけど、そういったことも含めて話してしまえたらすっきりすると思ってここに来たんだ。そのことを確かめて、わたしは深く息を吸う。

「カニ食いさーん!」

 大きなコンクリートの塊に、わたしの声はこだまする。だけど一切返事が無くて、ちょっと恥ずかしいから周りに人がいないかを確認してから、もう一度呼んでみた。

 でも、やっぱり返事が無い。一分ぐらい経ってもう帰ろうかと思ったけど、お供え物が必要だという話を思い出して足を止めた。

 お供え物とは一体何がいいのか、わたしには見当がつかない。カニ食いさんと呼ばれるくらいだから、やっぱりカニがいいのだろうか。

 わたしは水際まで足元を見ながら少しずつ歩いて、あと一歩で川に入るという所まで行ってから屈んで石をひっくり返した。川のカニは大抵石の裏にいる。

 予想通り、カニはすぐに見つかった。何匹捕ればいいのかわかんないけど、まずは一匹だ。

 クラスの男子達がやっているのにちょっと憧れがあったから、わたしもいきなり手掴みしようとした。ゴキブリとかムカデとかと違い、カニならかわいいので抵抗が無かった。

 ところが、カニは小さな体に凄まじいケンカ根性を備えているらしく、わたしの指を不揃いのハサミで思いきり攻撃してきた。

「痛っ!」

 思わず声が出て手を引っ込めてしまったが、カニは絶対に離さない。おそらくこいつが出せるフルパワーでわたしの指の薄い肉を挟み込み、そのまま千切ってしまうのではないかと怖くなった。

 手を振ってもカニは吹っ飛ばされず、わたしは慌てて川の中に指を入れた。水中で手をぐちゃぐちゃに動かすとカニはハサミを緩め、そのまま少しだけ流された後で石の裏に潜り込んでしまった。指を川から出して見ると、少し赤くなっていた。

 何だかすごく腹が立ってきた。悩みを話してすっきりするために来たのに、このままあの小さなカニにやられっ放しでこっちが一方的にダメージを負ったままなのは納得できなかった。

 わたしはさっきカニが逃げた辺りの石を裏返しまくったが見つからず、川の中の石にも手をつけたらあっけなく発見できた。掴もうとするとカニは再びハサミで攻撃してきて、ものすごくやり返したい衝動に駆られた。

 敵を挟んで決して離さないカニは、言い換えればわたしの指に固定されたも同然だ。わたしはカニのがら空きのボディを掴み、勢いよく引っ張った。危険を察知したのかカニはハサミを指から離した。

 そんなことは許さない。

 ハサミを上から逆に挟むようにつまみ、もう一度ボディを引っ張る。ブチッ!と断裂音がして、カニは細い足でもがき始めた。千切れた足からはよく見るカニの身の小さいバージョンが飛び出ていた。

 その姿を見ていると急に悪いことをした気がしてきて、わたしはコソコソと周囲を警戒してからカニをリリースしようとした。こんなところを見られたら、怪異扱いされるのはこっちだ。

「そのカニ、どうするの?」

 声がして、心臓が縮み上がるのを体感した。若い女性のもので、少し低めの声だった。

 今さら逃げるのは無理だろうから、とりあえず声の出所を見つけようとした。だけど周りには誰もいなくて、本当に怪異が現れたのではないかと怖くなった。

「逃がすんならあたしにちょうだい」

 また声が聞こえて、さらには水が動く音も聞こえて、まさかと思いながらも川の方に目を向けた。

 そのまさかだった。

 川の中から、浅黒い肌とブルーベリー色の髪をした若い女性が顔を出していた。彼女は平泳ぎ擬きをしながらこっちに近づいてきて、なぜか嬉しそうな笑顔を向けていた。

「ふわ、ひゃあっ」

 自分でも情けないと感じるほど弱気に呻いて、わたしはカニを放り投げる。彼女はスラリとした腕を伸ばしてそれをキャッチし、

「ありがと!」

 礼を言うや否や口に入れてボリボリと噛み始めた。

 彼女が怪異なのか不審者なのか、わたしには判断がつかない。

 でもこれだけは間違いない。今わたしの目の前にいるのが、カニ食いさんだ。



〈つづく〉





 誰だよ前後編とか言ったやつ。全然終わらねえぢゃん。しれっと話数表記にしてるし。

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