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【小説】カニ食いさんのお悩み相談 第三話

↑前回のお話です。


〈本編5,365文字〉



「あなたがカニ食いさん……ですよね?」

 確信はあったけど、一応ただのやばいやつだという線を消すために訊いておく。川から顔だけ出した女性はあのカニを噛み砕いて飲み下した後で、

「うん。何かカニ食いさんって呼ばれちゃってるけど、別に他のものも恵んでくれていいからね」

 明るい笑顔で答えた。恵んでくれていい、とはお供え物のことを言っているのだろうか。

「あなた、名前は?」

 今度はカニ食いさんが平泳ぎ擬きで岸に近づきながら訊いてきた。

津羽紗つばさです」

 こんな怪しい人に本名を教えてもいいものか迷ったから、下の名前だけ教えた。だけどカニ食いさんは気にする素振りを見せずに、

「よーし、ではカニを恵んでくれた津羽紗ちゃんのお話を聞こうじゃない。もうすぐ山の方の雨水が流れてきて汚い水で溢れちゃうからさ、あたしんに行こっか」

 浅瀬まで着くと立ち上がった。下半身がタコ足だったり節足動物みたいだったり、あるいは人魚みたいになっていたらどうしようかと思ったけど、カニ食いさんはきちんと人間の身体をしていた。

 だけど、わたしはびっくりしなかった訳ではない。今まで首から下が水に浸かっていたからわからなかったけど、カニ食いさんは全裸だったのだ。それもすごくきれいなヌード。

 肌は滑らかで傷もニキビも無く、おっぱいは大きいのに形が良くて、ウエストは引き締まってるし脚は長いし下の毛は整ってるしで、まるでグラビアアイドルみたいだった。いや、グラビアアイドルのことはあんまりよく知らないけど。

 それにしても、カニ食いさんは『あたしん家』と言った。たぶん水玉カーテンで仕切られたあそこのことなんだろうけど、本当にあそこに住んでいるのだろうか。

「ついてきて」

 カニ食いさんはそう言うと、身体に張りついた背中まで伸びるブルーベリー色の髪を手で束ねて絞りながら歩きだす。当然のように裸足だが、慣れているのか石だらけの地面をものともしないファッションモデルのような美しい動きだった。

 それにしても脚が長い。顔立ちや肌の色からして外国にルーツがあるんだろうけど、純日本人のわたしよりも明らかに20センチ以上背が高い。ひょっとしたらもっと高くて、身長180センチを超えてるかもしれない。美温ちゃんを初めて見たときその大きさにびっくりしたが、カニ食いさんはあの子よりもウエストと顔以外のあらゆるものがさらに大きい気がする。いや、裸の美温ちゃんを見たことが無いから何ともわからないけど。

 カニ食いさんについていって到着したのは、やはりあの水玉カーテンのスペースだった。

「ここに住んでるんですか?」

 尋ねてみると、カニ食いさんはこれまでにその質問は何度も受けているのか何の気なしに、

「うん。結構広いんだよ~?」

 チラリと笑顔で振り向いてからカーテンを開けて中に入った。

「お邪魔しまーす……」

 断りを入れてから、わたしもカニ食いさんの家に入れてもらう。

 家の中は彼女の言う通りかなり広かった。一応玄関ということなのだろうか、手前にはブルーシートが敷いてあって、その奧には普通にカーペットが敷かれてあった。ブルーシートの端には美容室で見るような物干し竿が設置されていて、カニ食いさんはそこに引っ掛かっているバスタオルを手に取った。

「奧で座っててね。あ、靴は脱いでくれると嬉しいな」

 わたしはカニ食いさんに言われるがままスニーカーを脱ぎ、カーペットへと進む。普段使いなのだろうか、平べったい紺色の座布団が一枚あって、その横にはオレンジ色をしたふわふわのクッションチェアが置いてあった。それに挟まれるようにキャンプ用のテーブルも備えられている。

「クッション、座ってくれていいからね。それ来客用だから」

「あ、はい。ありがとうございます」

 礼を言いながら目をやると、カニ食いさんはタオルで身体を拭いていた。客人への扱いに慣れているのも含めて、何だか常識人っぽい感じがする。カニ食いさんを訪ねる人が多いからか、あるいは元々は普通の女性だったのだろうか。甲羅ごとカニを生で食べちゃうから、まだ怪異の可能性もあるんだけど。

 お言葉に甘えてクッションに座ると、正面に透明な収納ボックスがあった。家具屋で安く買えるような、横二列縦三段のものだ。中はスカスカだけど、衣服が入っていることは確認できる。でも、右下のケースにはなぜか『鬼滅の刃』の単行本が詰められていた。この量だとたぶん全巻ある。謎だ。

「ごめんね。今から着替えちゃうから、自分で飲みたいもの注いどいて。紙コップ使っていいから」

 身体を拭き終わったカニ食いさんは、首にかけた別のタオルで今度は髪の毛を拭いている。彼女の口から『着替え』という言葉が聞けて少しホッとした。裸族じゃなくて、単にお風呂代わりに水浴びしてたというだけなのかもしれない。

 テーブルの上には紙コップの大袋があり、わたしは紙コップを二つ取り出す。少し探すと座布団の向こうにクーラーボックスがあって、蓋を開けると常温ではあるがなっちゃんオレンジとカルピスウォーター、それから天然ミネラルむぎ茶があった。麦茶は水筒に入っているし、何となく常温のカルピスには抵抗感があるから、消去法でなっちゃんを選ぶ。これらが『カニ以外のお供え物』だろうか。

 ジュースを紙コップに注いでいると、カニ食いさんは収納ボックスのスカスカのケースを引き出して中の物を手に取った。それは布地面積が小さい黒色のビキニショーツと、逆にしっかりとバストを包むピンク色のブラジャーだった。上下ちぐはぐでも気にしないタイプなのか、こんな所に住んでいるぐらいなので揃いの下着が無いのかはわからない。

 カニ食いさんは全く気にしていないようだが、彼女の生着替えをガン見するのはちょっと気まずい。わたしはジュースを口にしながら目を泳がせ、やがて圧迫されている鬼滅の表紙を見ることにした。わたしは美術部だけど彫刻が好きだから、漫画の絵に関してはあんずの方が造詣が深い。でも、隣接して置かれている一巻と最終巻の表紙を見比べると、凄まじい画力の向上とそのための努力がわかって感動した。

「お、津羽紗ちゃんは『鬼滅の刃』知ってる?」

 尋ねながらカニ食いさんは座布団に座った。どうやら着替えは終わったみたいで、見てみると彼女は水色のタンクトップに所々穴が空いたオレンジ色のホットパンツを履いている。タンクトップは長身のカニ食いさんに全然サイズが合ってなくて、おへそが出てしまっていた。わりと奇抜なファッションだと思うけど、もしかしたら下着も含めて、カニ食いさん自身が選んだ物ではないのかもしれない。

「はい、知ってますけど……」

「あたしさ、それに出てくる甘露寺さんが好き。いっぱい食べるから」

「そ、そうなんですね」

 これはどう返せばいいというのだろう。鬼滅トークを続ければいいのだろうか。

 話しあぐねていることに気づいたのか、カニ食いさんは笑い声を上げて、

「やだ、ごめんね、あたしのことばっかり!津羽紗ちゃんの話を聞くってことだったのに」

「いえ、突然押しかけたのはわたしですし……」

「そんな遠慮しないで!カニくれた分ちゃんとやらせてもらうから。話聞かせて」

「はい、じゃあ……」

 少々唐突だけど、これが目的で来たんだから問題は無い。まだまだ正体不明なカニ食いさんにおっかなびっくりになりつつ、わたしは今悩んでることを洗いざらい話してみた。

 美温ちゃんが嫌いだってことも、思考の内側に入れたくないのに意識しちゃうことも、遼花ちゃんのことも、今日のクマバチのことも、あんずには話しても面倒かけるだけだってことも。

 他にもいろいろある。

 美温ちゃんにとって一番大事なのは隣のクラスの意澄いずみちゃんで、その次に大事なのは理系クラスの小春こはるちゃんと早苗さなえちゃんなのに、みんなが美温ちゃんに入れ込むのがバカらしい、とか。

 こういう話を誰かにしたいけどわたしは学年全体で見てもクラス内でも三軍女子だから、学校ですると一軍女子な美温ちゃんへの僻みだと思われそうで嫌だ、とか。

 遼花ちゃんはわたしと同じ立ち位置だったはずなのに、美温ちゃんと関わるようになって急に一軍ぶりだしたのが痛々しい、とか。

 起業とかやるのは全然構わないんだけど、さっき挙げた三人とそれ以外の有象無象とでは明らかに態度が違うのにデキるアピールをして信者みたいなものを形成するのは腹が立つ、とか。

 何というか、カニ食いさんは聞き上手だ。話を遮らないでいてくれたし、それでいて真剣に相槌を打って、ときには何気無い質問で深掘りしてくれて、わたしは気づけば結構過激なことまで喋りまくっていた。

 一方的に喋り倒して口が渇き、紙コップの中のジュースを一気に飲み干したら、何だかわたしはすごくすっきりして、満足してしまった。

「……すみません、一気に喋っちゃって」

「いいのいいの、面白い話だったし」

 カニ食いさんはちびちびと飲んでいたジュースを飲み切って微笑んだ。その顔は優しいものだったけど、余計にカニ食いさんの謎が深まったように感じた。

「津羽紗ちゃんはさ」

 撫でるような視線でわたしの顔を見つめ、カニ食いさんは言った。

「何が一番困る?」

「何って……これまで話したものの中でですか?」

 カニ食いさんは頷き、わたしは少し迷ってから答える。

「一番は、やっぱり遼花ちゃんが美温ちゃんに入れ込むのが困ります。それが無ければわたしだって美温ちゃんのことを意識して嫌な思いになりませんし、遼花ちゃんが一軍ぶることもないですから」

「そっか」

 呟くとカニ食いさんは立ち上がり、玄関まで歩いていってカーテンを開けた。

「もう暗くなっちゃってるけど、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 わたしも立ち上がってスニーカーを履き、カニ食いさんの家から外に出る。

「津羽紗ちゃんは、自分が一番困ってることが何かってのをわかってる。でも、それが自分じゃどうしようもないことだってのも」

 街灯も無い高速道路の下は相手の顔も見えないぐらい真っ暗で、流水の音とカニ食いさんの声だけが聞こえた。

「でも大丈夫だよ。遼花ちゃんは美温ちゃんから離れて、津羽紗ちゃんのところに戻ってくるから」

「……ホントですか?」

「もちろん。言ったでしょ、もらったカニの分はちゃんとするからって」

 暗い中でも、息遣いだけでカニ食いさんが笑ったのがわかった。彼女が不審者なのか怪異なのかすらも不明だけど、こうやって純粋に話を聞いて励ましてくれるんだから、悪人でも悪霊でもない。

「じゃあ、気をつけて帰ってね」

 カニ食いさんに見送られて、わたしは河川敷から立ち去る。自転車に乗る前に振り向いたら、暗闇の中で背の高い人影がスラリとした手を振っているのがぼんやりと見えた。

 よく晴れた翌朝、登校中に橋の上を通ると、川は濁って増水していた。

 学校に着いて駐輪場に自転車を止めると、遼花ちゃんと行き会った。

「昨日ランニング中に美術室からチェーンソーの音がしたけど、あれって津羽紗ちゃんだよね?」

 昇降口に向かう途中で遼花ちゃんに訊かれた。遼花ちゃんが真っ先にわたしの話をするのは、随分久しぶりな気がする。ここ最近は美温ちゃんの話から入っていたから。

「そうだよ。木彫やってるの」

「どういうやつ?」

「ネコ。というより猫又」

 校門から生徒がどんどん登校してきて、わたし達は端を歩く。いつ轢かれるかわからないぐらいみんなが飛ばしてくるので、校門の方向を注視していると、見知った人が自転車に乗って現れた。

 整った小顔にダークブラウンのサラサラな長髪、他の女子より一回り大きい自転車に乗っても違和感ないほどの長身、そして半袖の夏服のせいで余計に注目を集めてしまう盛り上がった胸元。

 美温ちゃんだ。

「遼花ちゃんおはよ」

「うん、おはよう」

 美温ちゃんは挨拶しながらすれ違い、遼花ちゃんもそれに応える。ああいう風に朝から笑顔で挨拶できるところがあの子の良さだと思ってる人もいそうだけど、同じクラスのわたしを完全に無視してきた。すごく社交的で顔が広いフリをしているが、自分のグループに属していない人には例え同じクラスであろうと関わろうとしない。そういうのが本当にムカつく。

「何か今の感じ悪いよね」

 そうだね、と返そうとして、おかしさに気づいた。

 遼花ちゃんが、美温ちゃんを「感じ悪い」って言った?

 思わず顔を見ると遼花ちゃんは不機嫌そうに、

「今津羽紗ちゃんも一緒にいたの、絶対わかってたよね!?あからさまに無視すんの、ホントに最悪なんだけど!」

 怒鳴りこそしないけど、ものすごい剣幕だった。四月からずっと美温ちゃんに夢中だった遼花ちゃんが、その美温ちゃんに対して怒っていた。

 何かが起きている。挨拶はしてたから、美温ちゃんグループの内紛ではない。だけど、何かが起きたんだ。ランニングとか言ってたから、遼花ちゃんはいつも通り部活に行って、昨日は特に変わったことはしていないのだろう。

 いや、変わったことはあった。遼花ちゃんじゃなくて、わたしに。昨日はとびきりの変わったものに遭遇したではないか。

 カニ食いさん。

 根拠は無いけど、わたしは彼女が関わっていると確信した。



〈つづく〉

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