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〈エッセイ〉ネッラ・ファンタジア

私の住むM町在住の画家、Sさんは独特な絵を描かれる。彼女の作品の殆どが個性的なタッチの人物画で、町が発行する文芸誌の表紙も、ここ数年彼女の描いた少年や少女の顔の絵が採用されている。

去年から私が関わり始めたその文芸誌の編集委員会において、Sさんは副編集長をしておられ、ひし形のメガネフレームがとてもよく似合う素敵な女性だ。

昨年末に行われた編集委員会で「もしよかったら奥さんとご一緒にどうぞ」と、北海道芸術展覧会の巡回展示会のチケットを頂いた。彼女の絵も展示されているのだという。一月の中旬、さっそく妻と連れ立って帯広市民ギャラリーへと足を運んだ。

彼女の絵のタイトルは「ネッラ・ファンタジア」。原題はイタリア語で、日本語では「私の夢の中では」という意味だ。縦が180センチ、横が120センチほどのとても大きな絵で、緑から青、そして紫色が混ざり合った落ち着いた色合いを背景に、一人の女性が金色の大きな鳥かごを持ち、そこから鳥ではなく鮮やかな色の大きな金魚が空中に放たれる。鳥かごからは水の飛沫が舞い上がっており、不思議な躍動感を持って見る者に迫って来る。そしてその女性の目は、幾分驚いたように鳥かごから放たれた金魚の行方を追っている。実に不思議な絵だが、見事に脳裏に刻まれる作品だった。

二月の上旬、再び文芸誌の編集委員会で彼女に会い、チケットのお礼と共に絵の感想をお伝えした。そこで私は彼女に質問した。

「Sさんはあのネッラ・ファンタジアというタイトルをどこで思いついたのですか?」

実はネッラ・ファンタジアという言葉は私も以前から知っていたもので、イギリスのソプラノ歌手、サラ・ブライトマンが歌っている曲のタイトルなのだ。元々は私の大好きな音楽家、エンニオ・モリコーネが作曲した、ガブリエルのオーボエという協奏曲にサラ・ブライトマンが惚れこみ、彼女がモリコーネに何度も頼み込んでようやく許可を得、イタリア語の歌詞をつけて歌い、アルバムに収録したものがネッラ・ファンタジアなのである。その後、その歌は世界的なヒット曲となり、主にオペラで活躍する歌手たちに歌い継がれる名曲となった。

「あのタイトルはサラ・ブライトマンのCDで知ったんです。大好きな曲なんですよ」

Sさんは嬉しそうなお顔で応えられた。

「あの曲、モリコーネのガブリエルのオーボエっていうオーケストラ用の曲が元になっているんですけど、ご存知でしたか?」

「はい、知ってます。あの曲、とても荘厳でメロディーが美しいですよね」

エンニオ・モリコーネをSさんがご存知だったという事にも驚いたが、私の好きな曲に共感を頂けたことに、偶然とはいえ、なんだかとても嬉しくなったのだった。

その後、委員会の席上、他の委員も含めて、しばしの音楽談義となった。

「音楽って本当に生活には必要よね」と、一人の編集委員が言えば、「そうよねえ。その日の気分でいろんな音楽を聴きながら過ごすのって幸せよね」と、もう一人が言う。そんな会話の中で、Sさんが、

「私が絵を描く時って、やっぱり音楽は切り離せないんですよ」と仰った。

詳しくお話を聞くと、彼女は音楽からインスピレーションを得てキャンバスに向かうことがとても多いのだそうだ。例えば背景の色合いを決める時も、その時に聞いている音楽に影響を受けるらしい。だから暗い色調の絵を描く時には暗い曲をかけ、明るい絵の時には長調の明るい曲を選んで聞きながら描くのだという。

そんな話をお聞きしながら、これは実は文学にも当てはまるのではないか、と思い始めた。考えてみると、私が小説やエッセイを書く時には、決まって部屋の中で音楽を流してきた。勿論、大音量で聞くのではない。部屋の片隅で静かに音楽が奏でられている、といった感覚のもので、それはクラシックの協奏曲だったり、チェロや、バイオリン、ピアノなどのソロの演奏だったり、フラメンコやクラシックギターの音色だったりする。

文学も、絵画も、そしておそらく他の芸術も、それを生み出そうとする者にとって、作品を作るという行為は、Sさんの絵のタイトルどおり、ネッラ・ファンタジア、つまり「私の夢の中では」の作業なのではないか。それは空想であり、理想であり、そして精いっぱいの内心の表出なのだが、それにいつも寄り添うものとして、私は音楽というものがこれからもずっと傍に居てくれるような気がしてならない。


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