〈エッセイ〉恋愛について


還暦をとうに過ぎ、来年から高齢者というカテゴリーに入る時期を迎えて、やっと「愛」とは何なのか、ということが朧げながら理解出来るようになってきた。

中学、高校、大学と思春期から青年時代を過ごし、そして社会人となり色々な紆余曲折がありながら現在の妻と出会い結婚し、子供ができ、そんな子供らが成長して旅立った後、静かに振り返ってみると、私は複数の恋愛を経験してきたと思う。

強火でフライパンまでが焦げるような恋愛から、弱火でことことと何かを大切に煮こむような恋愛までその形は様々だった。

抱きしめて「愛しているよ」「私も愛してる」
と言葉を交わした時には、自分は心から相手を愛していると思い、相手も自分を愛してくれているのだと感じたものだが、今になって思えばあれは「愛」ではなく、ただの「恋」にしか過ぎなかったのだと思う。そう、相手を「特別に好き」なだけだったのだ。

その好きな気持ちの裏付けは、相手の美しさだったり、可愛さや優しさだったり、価値観が同じだったり、一緒にいる時の楽しさだったり、あるいはSEXの相性だったりと様々だが、愛だと思っていたのは実は恋であり、本当の愛ではなかったのだ、と今ははっきりと感じる。

男女に共通するパターンとして…
好きになる→告白する/される→付き合い始める→男女の関係になる→相手を独占したくなる→今相手が何を考え何をしているのか気になり始める→ふとした相手の言動で嫉妬したりイライラしたりするようになる→相手に不信感を持つようになる→喧嘩をする→言い争いを繰り返すようになる→相手と疎遠になったり、相手に他に好きな人ができたりする→別れる

私の場合もほとんどの恋愛が上のようなルーティンを辿ってきたような気がする。短くて3ヶ月。長くて3年。5年も10年も続いた恋愛は経験したことがない。

翻って私の娘世代(20代前半)の恋愛を考えてみる。あけっぴろげな性格の娘は色々なことを話してくれるのだが、最近その中で特に印象に残ったことがひとつある。とても身近で些細な話で恐縮だが、これもひとつのヒントになる。

娘の親友のKちゃんに彼氏ができた。この小さな町から札幌の短大へ行き、卒業後は市内のレストランチェーンに就職した。5歳年上の彼は職場の上司でもある。Kちゃんには以前から推しが1人いて、それは中学生の頃にファンになったEXILE系グループのメンバーのひとりだ。それまでの彼女のLINEのアイコンは娘と共に写した変顔のアイコンだったが、それを最近その推しの顔写真に変えたのだそうだ。

すると彼氏の機嫌がすこぶる悪くなり、理由を聞くと、「あのアイコンを変えて欲しい」と迫ったのだそうだ。単純な嫉妬である。気持ちは分からないではないがたかだかLINEのアイコンである。その「たかだかアイコン」という概念が、渦中にいる彼にはまったく通じない。これがその彼氏がKちゃんを思う底の浅さなのだ。

私も相手を独占したくなるのは恋愛におけるひとつの当然な症状なのだと思っていたが、今考えるとそれは恋愛というものに対して本当にお門違いの姿勢であり、一個人として相手を独占などできないし、してはいけないということに思いが向かないことが「浅すぎる」のだと思う。

相手を束縛などしてはいけない。彼氏はKちゃんが推しの写真をLINEのアイコンに変えたことで「嬉しくなる」「幸せを感じる」のであれば、それを歓迎し喜ばなければいけない。

本当の愛とは見返りを求めず絶えず相手の幸せを願い続けることなのだろう。

ところで、もしあなたが恋愛相手にLINEをし、ずっと未読の状態が続いたとしたら、あなたはどれくらい気にせずにいれるだろう。この「未読/既読」の問題も現代の恋愛ではかなり重要な位置を占める。しかし私たちはそろそろ気がついたほうが良い。LINEはあくまでもバーチャルであり、現実ではない。

本当に会いたければバスに乗って、電車に乗って会いに行けばよい。そして面と向かって相手をもっと幸せにする、喜んでもらえるにはどうしたら良いか尋ねるべきなのだ。自室に籠り、相手の未読既読にイライラしているのは恋愛とは言わない。それは「恋愛ごっこ」をしているにしか過ぎない。今こそはっきりと思えるのは、それらはまったくのママごとなのだ。

本物の愛とは自分のことではなく、相手を愛し抜き、どうやったら幸せにしてあげられるのかを考え抜くことなのだ。ちょうど母親が息子や娘を愛するかの様に、恋愛の相手を無条件で受け入れ【どんなことがあろうとも】自分の情熱と相手を守ろうとするエネルギーを死ぬまで注ぎ続けることなのだと思う。そして恋愛をするならば、それほどの覚悟をもってしなければならいということを今の若い人々に伝えたい。

こんなことを言えば「どこかの爺さんが重たいこと言ってる」としか取られないことはわかっている。しかしこれだけははっきりとわかる。相手の長所も短所も全て含めて細胞レベルで愛し、慈しみ抜くこと。それが愛というものなのだ。そこにギヴアンドテイクなどという概念は入り込む余地はない。Give and Giveなのだ。

今私は過去の恋愛の相手に心から謝罪したい。
あなたたちを愛せ抜けなかったことを許してほしい。あなたたちを守り抜けなかったことを、そして、そんな浅はかでちっぽけなものを愛と勘違いしていた自分自身を反省し、あなたたちに心から謝罪したいと思うのだ。

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