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一人で思索にふけられる場所がある?

一人になりたいことがある。どうしても一人になって考えたいときがある。どうしても一人でなければ考えられないことがある。そんなとき、一人になれる場所が必要である。

物理的的に一人である必要はない。要するに、周りに人がいても構わない。だれにも話しかけられることがなく、だれにも邪魔されることもなく、周りに不愉快なノイズがない。それが条件だ。要するにだれにも煩わされることなく、一人で思索にふけられる場所である。何ものにも邪魔されずに一人で心ゆくまで考えられるのならどこでもいい。

近くの公園でもいいし、海の見える丘でもいい。ただし、学校の一室や自宅の書斎ではいけない。そういうあまりにも慣れ親しんだ日常空間では、人はあまり斬新なことを思いつけない。何か思索にふけようとするとき、何か良いアイディアを思いつきたいと願うとき、人はそれほど慣れ親しんでいるわけではない、それでいて心地よい場所を求める。

僕の場合は、家からね学校からも、ちょうど車で10分ほどのところにある珈琲店がそういう場所だ。札幌市の東区にある「宮田屋」という珈琲店だ。僕は自分が人事上の判断をしなければならないとき、原稿執筆に行き詰まったとき、人に煩わされることなく落ち着いて本を読みたいとき、この珈琲店に行ってマンデリンを飲む。ときにはトーストも食べる。マンデリンは平均三杯、トーストはバターだけをつけてジャムには手をつけない。ここに行くと、必ず良いアイディアが浮かび、それまでの行き詰まりが解消される。たぶん「宮田屋」の心地よさが僕にそういう境地をもちらしてくれるのだと僕は信じている。

例えば、ある年のことである。僕は四月から学年主任になることが決まった三月中旬、自分の学年に所属する教師たちにどんな仕事を割り振るか、要するに学年分掌を考えるために、「宮田屋」で四時間もマンデリンを飲み続けた。仕事内容一覧と学年所属教師の名簿とをテーブルに並べて考え込んだ。しかも両方の文書とも十枚ずつコピーして、何度メモをし直しても良いように準備して。学年で起こるであろうこと、考え得るあらゆることを想定して、四時間、ただただ一年間に起こるであろうことを想像し続けた。どこまで想像できるか、自分の経験と想像力の限界を見つけようとでもいうような営みだった。途中でお腹が空いてモンブランを食べた記憶がある。

例えば、ある年のことである。僕は一斉授業に関する本を書くために原理・原則をまとめるために、「宮田屋」で八時間もマンデリンを飲み続けた。それまでさまざまな本を読んでまとめたメモノートと、自分の実践記録から抽出したメモノートと、本を書くためにとメモ用に買った新しいノートと、三冊だけをもって「宮田屋」の角の席に居座った。午前中から夕方というにはもう遅い時間まで、ただひたすらに原理・原則をまとめ続けた。「宮田屋」を出る頃には空はもう暗くなっていたし、新しいノートは既に半分以上が埋まっていた。途中でお腹が空いてトーストを食べた。ノートにパン屑がいっぱい落ちたが、ちっとも気にならなかった。

例えば、ある年の夏休みのことである。僕は長年僕を悩ませてきた村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」と格闘する決心をして、六日連続で「宮田屋」に通い続けた。六日間でマンデリンを何杯飲んだのかもわからない。途中でグァテマラをはさんだイメージがほんのりと浮かぶ。六日間で二万円を超える金額を使ったことだけは覚えている。六日目にこの六日間でいくら使ったんだろうと小市民的な計算をしたからだ。「宮田屋」の珈琲は決して安くはない。六日間、しかも一日十時間近くもいたのだから、珈琲を三十杯近くのんだのだろうと思う。トーストも六回は食べたはずだ。六日間の成果として、僕は「ねじまき鳥クロニクル」に関する新たな段階の「迷い」というか「疑問」というか「課題」というかを得て、満足して「宮田屋」通いを一段落させた記憶がある。夏の暑さにうんざりしながら「ねじまき鳥…」なんか読めるものではない。少し寒いのではないかとさえ思われる「宮田屋」の冷房のきいた角の席で読むには村上春樹の謎解きはうってつけと言える。うんざりする暑さのなかでも夏目漱石なら畳に寝転がってでも読めるが、村上春樹だとそうはいかない。

どうしても一人になりたいことがある。どうしても一人になって考えたいときがある。どうしても一人でなければ考えられないことがある。そんなとき、どうしても一人になれる場所が必要である。周りに人がいても構わない。だれにも話しかけられることがなく、だれにも邪魔されることもなく、周りに不愉快なノイズがない。それが条件だ。要するに一人で思考の自由に遊べる場所が必要なのだ。この時間が仕事にも生きているという確信が僕にはある。

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