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いじめ指導の三段階

1.父性型教師と母性型教師

父性型教師と母性型教師はモードが異なります(拙著『教師力ピラミッド』明治図書)。父性型教師は社会的な規範を意識的・無意識的に大きく捉え、確固とした善悪の判断の在り方があるものと考えていて、それを指導基準とします。その指導基準はほとんど揺れることがありません。一方の母性型教師は社会的な規範よりもいま目の前にいるその子の精神的安定を第一義として、意識的・無意識的にその子に寄り添い続けます。もちろん、ここで言う「父性型」「母性型」は、男性であること、女性であることを意味しません。男性にも「母性型教師」はたくさんいますし、小学校高学年を担当する女性教師や中学校に勤める女性教師には「父性型教師」がたくさんいます。あくまで教師の日常的な在り方のタイプのことであり、本人さえ意識していないことも少なくありません。

当然のことながら、両者はいじめ指導においてもモードが異なります。

2.父性型教師のいじめ指導

本人たちは意識していないのですが、父性型教師はいじめ被害の訴えがあった場合、或いは子どもたちを観察していていじめの匂いを感じた場合、まずは「いじめの事実」を確認しようとします。いじめがあったか否かはその事実確認がすべて済まない限り判断できないと考えます。加害者とされる子どもが被害者とされる子にいつ、どこで、何を、どのように言ったのか。加害者が被害者にいつ、どこで、なにを、どのようにしたのか。まずはそうした事実を時系列で細かく確認しようとします。関係した子ども一人ひとりから事情を細かく確認し、事実関係をすべて明らかにしようとします。それがわからないうちは指導には入れないと考えています。

この加害とされる行為の全体像が明らかになった段階で、父性型教師はそれがいじめであるとかいじめとは言えないと判断しようとします。しかもいじめと判断されれば、適切な指導を施そうとします。加害者側にどんな行為がどのように悪かったのかとか、悪気のない行為でも相手が自分と同じように軽く捉えるとは限らないとか、今回の被害者だけでなく他の人たちにも同じように考えながら日常生活を送るべきであるとか、そうしたことを細かく確認していきます。被害者側には、加害者側の子と今後も付き合いたいのか、それとも付き合いたくないのかを確認し、その意向に沿って加害者側に指導することになります。被害者がこれまでのように親しく付き合いたいと言えば仲直りの儀式の場を設け、そうでない場合には加害者側に「もう関わるな」と念を押します。最後に指導の経緯を保護者に連絡して一応の解決を迎える。これが父性型教師のいじめ指導です。

3.母性型教師のいじめ指導

しかし、母性型教師は出発点が異なります。母性型教師の特徴は、まずはともかく被害者に寄り添うことから始まります。一応、加害者とされる子どもたちから事情は聞くのですが、その事実確認は父性型教師のように徹底してはいません。それより、被害者の子がどんな気持ちでいるのか、この経験がトラウマとならないだろうか、保護者は今回のことにどれほど心を痛めているだろうか、などなど、被害者とその家族の心情に寄り添うような発想を旨とします。

また一方で、今回加害者とされた子どもたちや保護者に対しても、「ほんとうは悪い子ではない」というケアの仕方をしていくのが特徴です。被害者側の心情と加害者側の心情とをともに引き取り、母性型教師自身の心情が引き裂かれてしまうことも珍しくありません。その結果、父性型教師のように一応の「一件落着」を見るというような形にはなかなかならないのです。「よし、今回はここまでやれば解決!」というような線引きがなかなかできないので、ズルズルと被害者・加害者へのケアが続きます。多くの場合、母性型教師の優しさと励ましが少しずつ機能するというように解決していくことになります。或いは時間が解決していくというようなことも起こります。

要するに、父性型教師の指導は「強者の論理」で進み、母性型教師の指導は「弱者の論理」で進むと言って良いでしょう。また父性型教師の指導は政治的であり、規律訓練的であり、性悪説に基づいているとも言えるでしょうし、母性型教師の指導は心情的であり、環境調整的であり、性善説に基づいているとも考えられます。被害者の保護者からクレームをもらう場合にも、父性型教師は「うちの子の気持ちをわかってくれなかった」というものが多くなりますし、母性型教師は「先生は頼りにならない。いじめを解決できていない」というものがその典型になります。

父性型教師と母性型教師は、例えばいじめ指導において、このように教育現場に現出します。

4.いじめ指導の三段階

もちろん、教師を二つにラベリングしてどちらか一方に偏ると断定したいわけではありません。ただ、教師の指導の在り方の傾向として両者がある、ということです。

すべての教師がどちらかの傾向に親和性をもっているのす。教師の皆さんなら自分がどちらのタイプに近いと感じるか、保護者の皆さんなら我が子の担任はどちらのタイプの近いと感じるか、ちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。

どちらのタイプであったとしても、教師がいじめ指導において意識しなければならないのは、両方の態度がともに必要なのだということです。社会規範を旨に毅然とした態度で解決する。指導した後にも要所要所でケアを怠らず、長い時間をかけて見守り続ける。教師にはそのどちらもが求められるのです。

教師がいじめを認知し、指導したにも拘わらず子どもの自殺を招くという場合があります。データがあるわけではないので印象に過ぎないのですが、いじめ自殺を招きやすいのは、父性型教師が社会規範に則って毅然としたいじめ指導をし、一応の解決を見た後のケアを怠ったことに起因するのではないかと私は感じています。いつも自分のことを気にかけてくれる教師がいるとき、子どもは自殺の道をそうそう選択するものではありません。ただし、母性型教師が心情だけで繋がろうとすると、指導が曖昧になり問題が深刻になっていくということも決して珍しくありません。既に読者にはもうおわかりのことと思いますが、すべての教師が双方のタイプを意識しなければならないのだということなのです。

いじめ指導はまず、
①事実関係を細かく確認し、いじめの事実の全体像を明らかにする。
②確認された事実に基づいて適切に指導する。
③これで解決と考えずに時間をかけてフォローし続ける。
という三段階がセットなのだと意識しなければならないわけです。

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