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弱者を継続的に支援するのは、大変な覚悟が必要になります。

お世話になっております。

ヘボ士業でございます。

今回は、弱者に継続的に手を差し伸べるのがいかに大変なのかについて50年近く生きて感じたことを、お話させて頂きます。

成年後見制度という仕組みがあります。

介護施設や福祉関係のお仕事に携わっている方はご存じかと思いますが、
・判断能力が全く失われた人         成年後見
・判断能力が残っているが、著しく不十分な人 保佐
・判断能力はあるが、十分ではない人     補助
成年後見制度は、この3類型に分類され民法の条文に明記されています。

この成年後見制度とは別に、任意後見制度というものがあることは、意外と知らない人が多いかもしれません。

成年後見制度は原則、認知症などで判断能力が全く無い、または低下した人が対象なのですが、任意後見制度は、まだ判断能力がハッキリしているが、近いうちに判断能力が失われる不安がある人(本人)が将来に備えて任意後見受任者(後見人に相当)と契約を結び、任意後見受任者が事務手続き等をサポートする制度です。

成年後見制度との、一番大きな違いは後見人等は家庭裁判所の審判により選任されるのですが、任意後見は個人間の契約になります。

本人の判断能力が失われた場合は、裁判所に任意後見の申し立てを行う必要はありますが、当初の段階では裁判所は一切、関与していません。

私は、あるお客様と任意後見契約を結び、約4年程、お手伝いさせて頂きましたが地獄の日々を味わった期間があります。



孤独の90歳・・・Aさん

Aさんとは仮に入居されている施設で初めてお会いしたのですが、90歳を過ぎた方で身寄りがおらず孤独状態でした。

預金の管理や行政手続き等の事務をサポートしてくれる人間が欲しいということで、ある団体から私が紹介されたのです。

Aさんは前歯が数本しかなく、歩行器が無いと移動が難しかったり、耳がかなり遠かったりと、年相応に身体の衰退は見受けられましたが、認知能力は全く問題がなく、穏やかな言葉遣いをされる方でした。

Aさんは新しい施設に移り、正式な入居契約を終えた時点でAさんの預金は80万程でしたが、私と施設の管理者で話し合った結果、Aさんの年金額でも数年は施設利用料の支払いが可能であり、預金が少なくなった段階で生活保護を申請すれば施設の入居を継続できるという判断でした。

しかしこれがとんでもない誤算だったのです・・・。

地獄観光スタート!

Aさんの預金がいよいよ少なくなり、私は自治体の福祉課に、Aさんの生活保護申請を行いました。

「これで金銭面で心配することはないな」

私はそう高を括っていたのでしたが・・・。

10日ほど過ぎた頃、福祉課の担当者から凍り付く様な連絡がありました。

Aさんの生活保護申請が却下されたのです。

却下理由は「Aさんの年金収入が月約14万円と多く、ギリギリ保護の対象にはなりません。」という回答でした。

私は震える手で施設管理者にその旨を伝えたところ施設の管理者は「施設利用料が支払えないのなら、別の施設を探して下さい」と冷たく言い放ったのです。

取り敢えずは施設管理者の好意で、本来ならばAさんは対象外の就労支援施設に移らせてもらうことが決まり、その施設も改装工事を2ヵ月後に控えており、それまでにAさんが入居できる施設を見つけることが私に課せられた業務になります。

そして生活保護が却下されたこと、それにより施設を移らなければならない旨をAさんに伝えました。

「なんでだよ!金が無いから施設を移る!?お前なにやってんだよ!」

お叱りを受けても仕方がありませんでしたが、この頃からAさんの様子がおかしくなり始めたのです。

Aさん モンスターに豹変!?

まず施設のスタッフに対する態度が変わりました。

施設を移るまでの一週間の間に若い女性スタッフにセクハラをするようになったのです。

こんな事はAさんのお手伝いを始めて数年になりますが、ただの一度も聞いた事がありませんでした。

その話を聞いた私がたしなめても「ちょっと位いいだろ!」などとおっしゃりますので私はつい、「自分の孫みたいな子のお尻を触って楽しいですか?90年以上生きて、若い人達に示す威厳がこれですか?ガッカリさせないで下さい!」と口にしてしまい、Aさんと罵り合ってしまったのです。

本当にヘトヘトになりながら施設を後にしたのですが、車を走らせながら私は、初めてお会いした頃のTHE・好々爺だったAさんと比べ、我欲のモンスターへと豹変しつつあるAさんと、これから対峙していくことになると思うと、気持ちがジワジワと沈んでいくのを感じました。

後日、就労支援施設へAさんの荷物の移転が終わると(引っ越し屋さんを雇うお金などモチロンありませんので私の軽自動車で半日かけてAさんの荷物を運びました。当然、ノーギャラで・・・ヤッホー!!)先に新しい部屋に入っていたAさんに挨拶をして帰ることにしたのですが、前の施設と比べて狭い、スタッフの人数が少ないなどとボヤき続けるAさんを引っ越し作業でヘロヘロになった体でなだめ続けた後に、ようやく帰路につくことができたのです。

楽しかった地獄の施設探し!

私は今のAさんの条件で入居できる施設をネットで探すため、キーボートをパコパコ叩き検索を続けましたが、Aさんの条件で入れる施設はなかなか見つかりません。

特別養護老人ホーム(特養)は無理だ、Aさんは90歳だが判断能力アリアリで、要介護度3には遠い。

かと言って、他の施設は、Aさんの収入では、すぐに施設の利用料が払えなくなるだろう。

そして生活保護はAさんの年金収入が保護の規定ラインより微妙に高くで申請しても却下される・・・。

選択肢が限定されるのって、こんなに苦しいのか・・・。

ア・レ!?
ひょっとして、これは詰んでいるのでは!?

イヤッ!諦めるな、ナス!

「可哀想なボクちゃん」を演じれば、エンジェルが舞い降りて、介護施設を紹介してくれるか!?

そう自分を𠮟咤激励し数時間、検索作業を続けた結果、Aさんのような状況の人を対象にした施設を紹介してくれる相談所を見つけ、連絡すると女性の担当者が対応して頂き、Aさんと私を含めた三者で明日にでも面談をしたいとのことでしたので、まさに藁にもすがる思いで面談の約束をしました。

次の日、女性の担当者様はAさんの施設に来ていただき、私の前でAさんと軽くお話をした後、Aさんの条件にピッタリな施設が丁度空きがあるとのことで、施設の管理者に連絡を入れて確認してもらいました。

「良かった、空きがあるそうです」

「本当ですか!有難うございます!」

私がホッとしている横で、Aさんの口からとんでも言葉が出ました。

「また引っ越しかよ。もういい、俺はここから動かない」

就労支援施設には、年内までには退去する必要があることは、Aさんには、口ずっぱく話していましたので、いつものグズりが始まったのです。

「いや、ですからここの施設は好意で泊めてもらっているだけで、年内には退去しなきゃいけないことは、お伝えしたじゃないですか!」

「・・・俺はすぐにお迎えが来るからしんどいのは嫌だ。引っ越しなんて面倒臭い」


「Aさん、そうおっしゃいますけど、最近は三途の川には、そんな簡単には行けないみたいですよ。さっさと引っ越しを済ませて、新しい部屋でゆっくり休みましょ」

「・・・分かったよ。」

女性の担当者のシブい説得が功を奏したのか、Aさんは施設の転居を了承してくれました。

Aさんとのお別れ

新しい施設は、Aさんが最初に入居した施設と同じく住宅型有料老人ホームでしたが、介護サービスの一部を削ればAさんの年金収入でも何とか入居費用が支払える金額でした。

Aさんのグズり癖は習慣化してしまった様で私が顔を伺いに訪れる度に
施設の文句、職員の文句、そして自身の健康への不満を愚痴った後に、ベットに寝ころびながら、私に背を向けて「俺はもう死ぬからどうでもいい」
などと、私や周囲の人間がAさんのためにした労苦を全てを否定する言葉を吐いて締めるのです。

この配慮ない言葉が耳に入る度、それこそ任意後見契約を解約したい衝動にに駆られます。

慣れとは恐ろしい物で、Aさんにとって、人が自分に救いの手を差し伸べるのが当然と考えているのかもしれません。

他人を助けるという行為が、どれだけエネルギーを消費するのかを知らずに・・・。

Aさんの心情はともかく、施設に関してはひと段落して私も久しぶりに安らかな気分で酒を呑めるようになりました。

この後も月に1回、言葉責めプレイを受けにAさんを訪問する以外は、私も穏やかな日々を過ごせたのです。

5月に入り、ある日曜日、たまたま早起きをしていた私のスマートフォンに施設の管理者から連絡が入りました。

「Aさんですが、どうやらお亡くなりになった様です。Aさんに食事を届けに行ったスタッフが発見しました。私も外なので詳細は分かりませんが警察も来ているみたいです。ヘボ士業さんも向かって頂けないでしょうか?」

驚きました。

確かにAさんは90歳を超えており、日本人の平均寿命を大きく過ぎていましたが、認知症もなく、耳が遠い以外は既往症もお持ちではなかっので、私はオーバー100歳は、十分にありえると確信していたからです。

とにかく車を走らせて、施設の側にあるコインパーキングに車を停めて、Aさんの施設へ歩を進めると、施設前の道路から救急車が無音で私の前を走り去っていきました。

建物の入り口には、パトカーとサイレンの付いた警察車両らしき大きな車が停車しています。

部屋がある階まで進むと、部屋の前に数人の警官が待機していました。

「私はAさんの後見人でヘボ士業と申します。Aさんがお亡くなりになったと連絡を受けて、お伺いしました。」

「Aさんですが、通報を受けた救急隊員が駆け付けた時には既に死後硬直が始まっていたそうです。お悔みを申し上げます。」

30代位の若い警官は淡々と私にそう告げました。

「最後に、ご遺体を確認しますか?」

そううながされ、私がAさんの部屋に入ると入れ替わるように鑑識と思われる数人の警官が部屋を後にします。

Aさんは歩行器にもたれかかるような姿勢で、少し苦しそうな表情のまま、彫刻の様に固まっていました。

誰が見てもAさんが生きているとは思わないでしょう。

そうか、明らかに亡くなっていることが分かると、救急隊員も処置を行わないのだな・・・。

その後、警官に形通りの質問をされた後、検視の日時や費用などを告げられ、ご遺体の搬送について葬儀屋さんと調整した方がいいと、勝手が分からない私にアドバイスをくれた警官は、Aさんを搬送するグループと合流し、5人がかりで小柄なAさんを持ち上げて階段を降りて行くのを確認しましたが、人は死体になると重くなるのか、かなり大変そうです。

後日届いた検案書によると、Aさんの死因は心不全でした。

身寄りも予算もないAさんの葬儀は火葬のみを行い、骨を拾ったのは私だけです。

お骨は海洋散骨を頼み、お骨を引き渡して私とAさんの任意後見契約は終了しました。

最後にAさんの口座に残ったお金は3000円ほどです・・・。

私がAさんについて思うことは90年以上、長生きしても周囲に心許せる親族や友人がいない状況は、苦痛の日々だったのかもしれないということです。

えんどコイチ先生の漫画「死神くん」の中で死神くんが「ボケ(当時は認知症をそう表現していました)は、神様が人間に与えた最後の幸せかもしれない」と呟いていましたが、そうかもしれません。

今回は、弱者に継続的に救いの手を差し伸べるのがいかに大変なことかについて、お話をさせて頂きました。

社会的弱者と呼ばれる人達は経済的に貧窮していることが多いです。

お金が無いということは選択肢が制限されるということですので、問題の解決は困難を極めます。

ちなみにAさんの生活保護申請が却下された以降の約1年間ですが、私は1円も報酬を受け取ることができませんでした。

無報酬で苦しい業務をこなさなければならなかったことも、キツかったです。

よろしくお願い致します。

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