Devilman Crybaby 観ました。

ようやくNetflixでアニメ「Devilman Crybaby」を見終わった。

※以下ネタバレあり。注意。


大まかなストーリーは原作通りでした。

違った点

不動明と美樹ちゃんがマジ天使。
原作ではかなりガラが悪いヒロインの美樹ちゃんが、容姿、性格、身体能力パーフェクトの聖人になっています。

不動明も天使ハンパないって!
特に子供時代は美樹ちゃん以上に天使っぷりが炸裂しています。

ちび明くんは、サタンに愛を教えるレベルの天使でした。


そして作品内では天使のように優しく気高い心を持ったデビルマンとヒロイン美樹ちゃんと、

もともとは天使だったのに「愛」というものがわからないサタン飛鳥了の対比が描かれています。

これは原作になかったアプローチだったと思います。

主人公とヒロインが陸上部員。
2人が陸上部員でなければならない理由は、ラスト2話でわかったような気がしました。

最終2話では、ミーコ→美樹→明→了によるリレーの描写を何度も行います。

最初のリレーでは、ミーコ、美樹まで命のバトンは繋がりますが、美樹から明へはバトンは繋がりませんでした。

明は目の前にいる美樹を守る事よりも、了にあいに行くことを優先しました。

その結果、美樹はご近所さん達に惨殺されてしまいます。

牧村家の焼き討ちと美樹ちゃん串刺しシーンの後に流れる七尾旅人と石野卓球の曲が心に沁みます。
やっぱ、七尾旅人の声はいい!

最終話のリレーでは、明までバトンは繋がるのですが、アンカーの了は明のバトンを受け取りを拒否します。

何度リレーしても了の前で落ちてゆくバトン。

了は明のバトンを一度も受け取ることはありませんでした。

バトンは人を思いやる心、すなわち「愛」のメタファーです。

この2話では、人を思いやる心(愛)が、
その対象者に伝わっていく、または伝わらない様をリレーで表現しているのだと思います。

ひとりぼっちだった了に手を差し伸ばし優しくしてくれた明の事を、了は大事な人であると認識してはしています。

明を愛していたのでしょう。

でも不死である了は、命の尊さがわかりません。

愛した人を亡くした経験がない彼は、命というものをわかっていないのです。

死にかけた動物の世話をし、その死に涙する明の事を了は理解する事ができなかった

何度リレーをしてもバトンをうけ取らない了は、人間の心が理解できないという比喩だと思いました。

アーマゲドン後の名シーン

ここも原作とちょっと違います。

原作の了はサタンの視点で自分の過ちに気づき、静かに涙を流すのですが、

今作での了は、身近な人の死を初めて知った子供のようです。

Crybaby 

タイトルの回収ですね。

今回も湯浅監督にハズレなしでした。

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