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心の余白が、大事なものを際立たせる

 日々生きていると、色んなことに忙殺されませんか?
 たとえば、仕事。無数のタスクがあって、終わる気配がまったくない。というか、タスクというのは日々積み重なっていくから、きっと終わるという瞬間がない。
 日常の雑事だってそうです。掃除、洗濯、調理。様々なことで、僕らは時間を使っています。そうしたとき、頭の中はごちゃごちゃになっています。まるで余白のない引き出しのようです。頭の中の箪笥には、もう入るすき間がない。キャパシティオーバーとは、こういうことを言うのでしょう。

 けど、1日の時間は誰しも24時間です。それだけは変わらない。体感的なものは、幼少期と大人になってからでは違うという話があるものの、物理的には24時間だし、一年は365日です。
 となれば、僕らに出来るのは何でしょうか? それは、なるだけ心に余白を作るということです。物理的な24時間が変わらないなら、せめて心だけは、整理整頓し、整えて、気持ちよく豊かに暮らしていきたい。そう考えるのは、おかしなことじゃないはずです。

 整える生活、と聞いてまず思い浮かんだのは、ミニマリストでした。つまり物をなるべく持たないことで、心の豊かな生活を送るというものです。これは理に適っていると思います。
 たとえば頭の中で、全ての持ち物を覚えているとしましょう。衣服から調理器具、文房具まで、全て。あとはタスクという持ち物も持っていると考えましょう。それら全てが引き出しに入っていると仮定したら、これはキャパオーバーになるのも当然だと言えます。
 そこで、物理的に物を少なくすることで、心にすき間を与え、その空いた分だけ心の余裕が生まれる、と考えると、「物を少なくする=心が豊かになる」というのはあながち間違いではないでしょう。
 有名な建築家であるミース・ファン・デル・ローエは、こんな言葉を残しています。

Less is more.(より少ないことは、より豊かなこと)

ミース・ファン・デル・ローエ

 これは恐らく建築に関する言葉でしょうが、文章の世界でも、芸術の世界でも、よく言われるのは「無駄なものは省け」です。
 たとえばスティーヴン・キングも、かつて師のような存在だった新聞記者からの助言を回顧して、このように語ったそうです。

手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ

スティーヴン・キング『書くことについて』

 言い得て妙でしょう。
 そういえばファッションの世界でも、大事なのは引き算だと言われます。どの世界においても、削ったり、省いたり、少なくするというのは、恐らく何かしら心に余白を生み出す行為なのです
 ただ、だからといって何でもかんでも捨てて、物を少なくしろ、と言いたいわけじゃありません。たとえ物が少なくても、結局のところ「少なくしなくては」という強迫観念にさらされるようだったら、それは心が豊かな状態とは言えないでしょう。
 あくまで大事なものを際立たせるために、心にゆとりをもたせるために、物を少なくするのが良い、と言っているだけに過ぎないのです。世の中の物の少なさによる豊かさ、削ること、省くことの大切さを謳った言葉は、すべて本質はそこにあると思います。
 そう考えると、物の数、というのはそれぞれによって受け入れられる数が違うでしょうし、個々人によって「物の少なさ」の定義そのものが違うのでしょう。服が大好きな人だったら、もしかしたら50着、100着でも少なく感じるかもしれません。
 大事なのは、文章でも、建築でも、芸術でもそうですけど、「大事なものを際立たせる」ということ。それは世間的に大事なものではなくて、あなたにとって大事なものです。服が大事な人もいれば、本が大事な人もいる。そうした「何が大事か」を知る上だったら、一度大量に物を手放してみるというのは、有りだと思います。

 僕はムーミンマグカップが好きで、なかでもキャラクターとしてはスナフキンが好きなのですが、ふと彼の言葉を思い出しました。

長い旅行に必要なのは、大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ

『さびしがりやのクニット』トーベ・ヤンソン

 スナフキンは、かつてスナフキン族と呼ばれる人たちを生み出したほど、ブームになりました。そのときは、どことなくヒッピーに似ているというか、土地に根付かない、根無し草のような、自由な生き方に憧れる人たちを指していました。
 けど、いまこうしてあらめて見ると、この言葉は解釈が変わってきます。きっとスナフキンにとっては「旅」が「大事なもの」だったんでしょう。だから彼は、他の仲間たち、故郷の人たちをバカにしたりはしません。彼にとって大事なものがあるように、他の人たちにとっても、また別の大事なものがあることを、わかっているからです。
 『「くぐり抜け」の哲学』において、稲垣諭さんはこう語っています。
 

単純に私という主体の経験を考えてみても、そこには誰にも分からない当事者だけの「体験」があり、その体験は取り外しのきかない固有な「身体(感覚)性」と結びついている。

『「くぐり抜け」の哲学』稲垣諭

 つまり、それぞれの人にとって、それぞれの世界があるということです。だから、「大事なもの」が違っているのも当然です。それをバカにしてはならないし、恥じてもならない。むしろ大切にしてほしい。もし今、あなたが自分の大事なものがわからないのだとしたら、心に余白がなく、余裕を失っているからかもしれません。
 一度、物を手放してみて、何が大事で、何が大事ではないか、それを鑑みてみるのも、一つの手でしょう。そして大事なものが見つかったら、それを際立たせてみる。心の引き出しに、余白を作ってみる。
 そうすることで、忙殺されている、頭の中がごちゃごちゃした日々から、少しでも抜け出せるかもしれません。

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