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いっそ5割を目指してみる

フリーランスで文章業をしているというと、たまに「すごいですね、書く才能があるなんて」と言われる。けど、才能なんてない。思うに、僕は「誰でも文章なんて書ける」と思っている。少なくとも、僕レベルというか、日銭を稼ぐくらいには。それはなにも、ちょっとした技術を獲得すればいい話でもない。単なる、意識の問題だと思う。

要するに、「開き直ってしまう」のが大切なのだ。たとえばnoteでいえば、ほとんど推敲せず放出している。もちろん、最低限、一度読み返すくらいはするけど、ここは「だ」がいいか「る」がいいかと文末をこねくり回したり、この文章で伝わるだろうかと不安になったりはしない。正確にいえば、不安を押さえこんでいる。「どうせこんなもんだから」と、ダメな自分を認めて、まあいいかと思って放出しているのだ。

もちろん、仕事ではそうはいかない。かといって、基本の意識は同じである。見直しし、最低限の体裁は整えるけど、「~すること」を削除したり、「形容詞」はダメだとか、「受動態ではなく能動態で書く」だとか、細かいのには執着しない。「ま、いっか」の気持ちで、60%から70%くらいの完成度でも放り投げてしまう。仕事なら、どうせそのあとで修正指示が来るのだ。それから直したって遅くはない。

僕のこれはプロ意識に欠けるだろう。でもだからこそ、書き続けられたとも言える。一番難しいのはこの「ま、いっか」をどれだけ出来るか、どれだけ開き直れるかである。実のところ、技術なんて時間をかけて学べば誰だって身につけられるわけで、この意識のほうがすごく大事な気がしている。逆にいえば、意識を変えればいいだけであるから、その気になればいつでも書ける。そしてnoteに放出できる。そういうものだ。

もちろん、あとは書くのが好きか嫌いかの問題はある。それを才能と言ってしまえば、そこでおしまいだ。でも、こうしてnoteという媒体があって、みながどんどん書いている現状を見れば、好きか嫌いかの才能の有無なんて、大した問題じゃないなと思う。みんな、ただ怖がってるだけだ。不安になってるだけだ。そんなもの吹き飛ばして、「えいやっ」と投げ込んでしまえば、思った以上に簡単だと気づくんじゃないだろうか。

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