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時間から自由になる

時間というものを意識したのは、いつ頃だっただろうか?

考えてみれば、僕らは生きているときから、時間に支配されている。生まれた瞬間、いついつ、何時何分に生まれたとか、生後何ヶ月とか、何歳から歩き始めるとか。
僕らは「時間」とか「日付」から逃れられない。

そう思うと、何だか時間っていう鎖に自分の身体が縛られているような気がして、ひどく億劫で、苦しいような気分になった。

デジタル表示の置き時計を使っていたのだけれど、気づいたら、そっちをちらっと見て、時間を確認する癖がついていた。

そんな自分が嫌になって、ついに時計を見えないようにした。

置き時計は物置にしまって、腕時計は裏返しにして伏せている。

スマホの時計表示は、設定で消去できるものは消去して、できないものは、背景と同じ文字色にして、擬似的に見えなくしている。

最初はそわそわした。いつも時計がそばにある生活を送っているから、時間がわからないことで不安を覚えた。でも、すぐに慣れた。むしろ心地良いと感じた。何時になったからお昼を食べる、ではなくて、「お腹空いたな」と思ったら食べる。

外を眺めて、今が何時くらいだろうって思いを馳せることも増えた。

炊飯器には時計表示機能がついているので、たまたま目についてしまうこともある。そうしたとき、「え、まだこんな時間なんだ」と、思いのほか時間が経っていないことに驚く。

僕らはたぶん、身体的な時間と、時計の時間とで、かなりズレがある。

これを一致させる必要はないんじゃないか。むしろ身体的な時間に従って、「眠い」と思ったら寝て、「食べたい」と思ったら食べて、そんな生活が理想なんじゃないか、と、漠然と考えるようになった。

朝起きて、コーヒーを淹れる。朝日を浴びる。いまが何時かはわからない。でも太陽が昇っているから、きっと7時くらいだろう。今日は何をしよう。時間でやることを決めているんじゃない。心に聞いて、身体に聞いて、やりたいことを決めている。

コーヒーの匂いがマグカップから漂う。その瞬間、僕は時間から解き放たれている。

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