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"play"とは遊ぶこと

台湾に来て色々なジャズの活動に参加していますが、その時に使われる中国語にずっと違和感を感じていました。
中国語では音楽をやることを,ほぼ確実に"玩音樂"と表現するのです。音楽は遊ぶもの?この表現は如何なものかと、ずっと考えていました。

"玩"という表現

中国語でこの"玩"という動詞は、基本遊ぶことに使います。玩遊戲(ゲーム)、玩撲克牌(トランプ)など。これに派生してスポーツをやることもこの動詞を使います。玩足球(サッカー)、玩棒球(野球)。音楽もこの範疇の使い方ですね。

とは言え、この"玩"という漢字を使われると、遊ぶというニュアンスが強く感じられ、日本語の語感と異なるように思うのです。

日本語ではどう表現する?

日本語で音楽に使う動詞はなんでしょう?

音楽を演奏する、或いは音楽をやるなど。音楽を遊ぶではおかしいです。そのため"玩"という動詞を使われるときに違和感を感じるわけです。

英語では?

そんなモヤモヤした感じをずっと持っていたのですが、あるときふと思いつきました。英語の動詞表現は、遊ぶも音楽を演奏するも、同じ"play"を使っていると。ゲームをするのはplay game でスポーツならplay sport 、音楽ならplay music、全部playを使い中国語での使い方と同じです。
英語のこの用法が問題ないなら、中国語の用法も同じように対応しているので問題ない筈です。

日本文化の精神性

翻って、日本の方が特異なのかもしれないと考えるようになりました。
日本ではその"道"を極めることが尊ばれ、柔道や剣道など、道の文字を使ってスポーツでもその修練をして精神性を高めるという意識があるように思います。そのために、どのようなことに対してもこの精神的態度が求められるように思います。
それはスポーツや音楽に限らず、料理人、建築現場の職人などなど様々な場面でそのように感じます。

音楽の練習をしていると、日本人の態度と台湾人の態度は異なるように感じることがあります。
日本人は、練習を積み重ねより高い技術を身につけるように、切磋琢磨するような感じがあります。上に書いた道の精神につながっている。

台湾人と練習していると、音楽を練習することそのものが楽しいことなので、言葉の通りに玩音樂と言う感じになります。そして、今では玩音樂と言うあり方の方が、普遍性は高いのではないかと考えています。

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