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30年後、医療はどうなっているのか。



30年後の医療を考えるとき、我々医師は『AI』の存在を抜きにそれを語れないだろう。

すでに現時点でも、『内科診断でAIが人間の医師に圧勝した』などの報道が見られはじめており、さらに今後『パターン認識』を得意とするAIが今後格段に進歩するだろうことを考えれば、その存在が我々医師の存在価値を脅かしかねないということは容易に想像できるところである。

考えてみれば、現在すでに我々の情報の源は紙からコンピューターに置き換えられている。30年前であれば、研究のために何かの専門的知見を調べようと思ったら、知識・見識の深い先輩医師にお伺いを立てる(先人の脳内に記憶された情報を検索する)、もしくは図書館に行って専門書を片っ端から読み込む(紙に記録された情報を検索する)しか方法はなかった。

しかし、今はもうそうした手法を経由せずともインターネットで単語を検索すれば、欲しい情報はあっという間に手に入る時代である。この30年で『検索能力』は圧倒的に進歩したわけだ。

そして今後の30年はおそらく『パターン認識能力』の進歩、つまり『AIの時代』になる。

ICD-10には疾患の項目が14000あるが、我々医師はその膨大な疾患群のなかから、年齢・性別・既往歴・生活歴・発症機転・発症経過・症状など諸々の情報を手がかりに、どの疾患の確率が高いか、どの疾患は除外できるかを脳内で探っていくわけである。これが診断学である。しかし、実はこの診断学こそ、まさにAIが得意とする『パターン認識』そのものである。言うまでもないが、パターン認識という分野においては人間はコンピュータに全く歯が立たない。現在でもAIの診断能力が医師にまさる時代になりつつあるのに、AIは今後さらに延々と知識を吸収し、情報を蓄積し、その検索&パターン認識能力を高めていくわけである。30年後の診断の現場において、もはや我々医師の出番は残っていないかもしれないのだ。

では、その時代に我々医師は何をすればいいのだろうか。

おそらくその答えは、「古き良き時代の医療」にあるのではないか、と個人的には感じている。

というのも、「検索」も「AI」も、数値化・データ化されたものしか扱えない。数値化・データ化されない「心理」や「感情」、「手と手のふれあいによるぬくもり」などを読み取る部分については、AIはやはり人間の医師にかなわないだろう。

つまり、近代医療が得意としてきた「数値化・データ化できるサイエンスとしての医療」については、もうAI・コンピューターには敵わないのだとしても、近代医療以前の「人の心に寄り添うアートとしての医療」が人間の医師の手に戻ってくることになるのではないだろうか。ということである。

サイエンスを熟知しそこを基礎としながらも、患者の「心理」や「感情」に寄り添える『アート』にも明るい医師であれば、AI以上に市民の幸福に貢献できるかもしれない、ということである。

もし、どちらかというとサイエンスに傾倒してきた近代医療が、数値に置き換えられないアートの世界に比重を取り戻すのだとしたら。それが皮肉にもAIの出現によってもたらされるのだとしたら。

「病気を看ずして病人を診よ」という名言を残された『高木兼寛』先生(慈恵医大の創始者でビタミンの父)も喜んでくれるかもしれない。



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ぼくの本

財政破綻・病院閉鎖・高齢化率日本一...様々な苦難に遭遇した夕張市民の軌跡の物語、夕張市立診療所の院長時代のエピソード、様々な奇跡的データ、などを一冊の本にしております。
日本の明るい未来を考える上で多くの皆さんに知っておいてほしいことを凝縮しておりますので、是非お読みいただけますと幸いです。



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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)